Better Than Half

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 引き裂かれた世界に一刻も早く平和を。そして青い空を、美しい緑を人々の手に取り戻す――それは間違いなく、全員が共有する願いだ。とはいえ、戦いに明けくれる日々に適度な休息が必要なこともまた、皆の共通の認識だった。

 そのためマッシュたちは、週に少なくとも一日、長期間の探索や特に激しい戦いが続いた週は二、三日の休息日を設けるようにしていた。

 この日は、めいめい好きなことをして過ごす。町へ繰り出す者あり、飛空艇に残りゆっくり身体を休める者あり、鍛錬に集中する者あり。過ごし方はさまざまだ。

 

 そんなとある休息日の昼下がり、ちょうど小腹も空いてくる時間帯のことだった。

 飛空艇の広々とした談話室にはテーブルが備え付けられており、食事をとる場所としても使われている。そこにたまたま居合わせたマッシュ、セリス、リルムは今、紅茶で一服しているところだった。お供として、素朴な見た目の焼き菓子が皿に広げられている。

 マッシュの正面に座るリルムが、飾り気のないティーカップを手に取る。少し香りを楽しむようにしてから、中身を口に含んだ。ほどなくして、じんわりと少女の頬が緩んでいく。カップを満たす紅茶は、今しがたマッシュが淹れたばかりのものだった。

 ふと、リルムが視線を上げた。そしてマッシュをまじまじと見た後に発せられたのは、紅茶の感想ではなく簡潔な問いかけだった。

「どしたの? なんか元気ないよ」

 その観察眼の鋭さに、マッシュは舌を巻いた。表には出さないようにと努めていたつもりだったが、あまり意味はなかったようだ。

「よくわかったな」

 素直に伝えたら、筋肉男はわかりやすいもん、と笑われた。

「ケンカでもしたんでしょ、色男と。最近あまり話してないじゃん」

 それを「ケンカ」と呼ぶかはともかくとして、近頃マッシュとエドガーとの間に、若干の距離があることは事実だった。マッシュは何も言わず小さく肩をすくめただけだったが、少女はそれを肯定ととったようだ。また一口お茶を飲んでから、おおげさにため息をついてみせる。

「見た目に似合わず子どもなのねえ」

 その年のころにしてはずいぶんとませた言葉に、マッシュは年齢の割には大人げなく答えた。

「ホンモノのお子さまには言われたくねえな」

「なによ」

「間違ったことは言ってないだろ? 本当に子どもなんだから」

「言い方がなんか嫌なの!」

 リルムは一転、機嫌を損ねて唇をとがらせる。

 にらみ合う大男と幼い少女をよそに、セリスがゆったりと優雅な動作でティーカップを口元に運ぶ。味わい、小さく息をついてから「意外ね」と呟いた。

「ケンカなんてするのね」

 再びその言葉を使われて、マッシュは、「ケンカ」というのは正確ではないと訂正したい気になってきた。視線をリルムから隣のセリスに移し、腕を組みつつ代わりとなるようなふさわしい言葉を探してみる。

「いや、ケンカっていうのとは違うんだ。なんつうか、俺が一方的にもやもやしてるだけっていうか」

 セリスは、続きを促すようにわずかに首を傾げて瞬きをしている。

 マッシュからすると、セリスはひどく大人びているように見えて、十近くも年が離れていることを普段あまり意識することはない。しかしいつしか、今のようなふとした仕草から年相応のあどけなさがうかがえるようになってきていた。

 あるいはそれが、彼女が本来持つ柔らかさなのかもしれない。ひそかにそんなことを思いつつマッシュは続けた。

「なんか色々と兄貴にまかせっきりだし……それに兄貴の中では、俺はいつまで経っても弟なのかって思うとさ」

 

 突然、エドガーにすべてを背負わせているような、そんな気になったのだ。

 そして、その種がまかれたのはあの時だったのかもしれないとマッシュは考える。するすると糸をたぐるように、その場面を呼び起こす。

 忍び込んだブラックジャック号の中、ポーカー台の前。まだ仲間になる前だったセッツァーを説得する過程でエドガーが取り出した、両表の硬貨。鈍く光を反射するコインは、自分が運に恵まれて自由を得たと信じてきたマッシュに対して、その自由は兄が弟に譲ったものであったという事実を突きつけた。

 そのことに気づいた瞬間、マッシュは言葉を失った。エドガーも何も言わなかった。しかしその後、帝国の領地へと向かっている最中に、甲板で小さく声をかけられたのだ。

『すまない、マッシュ』

 その一言は、マッシュの胸を強く締め付けた。自分は謝罪を受ける立場ではない、むしろ感謝しなければならない立場であるのに。

 兄と自分との間にある齟齬を、解消しなければならないと思った。そして何もかもを背負おうとする兄の背中に乗っている荷を、少しでも分けてほしかった。そのためには一度、兄弟で面と向かって話す必要があると考えた。

 しかしその後は、ただでさえ慌ただしい旅路が、文字通り休む間もなく緊張感をもって展開した。そして世界の崩壊。ゆっくりと話すどころではなくなってしまったのだった。

 一年の空白を経て、再会した直後はただ嬉しかった。解けずわだかまったままだった思いにも気づかないほどに。それが再度表出したのは、二人で何気ない話をしていた時、何かの拍子にエドガーが口にした言葉がきっかけだった。

『この旅が終わって色々落ちついてからも、お前は世界を見て回るといいよ。得られるものはたくさんある』

 穏やかな横顔がなぜか、十七歳の兄の、少し無理をしていたような笑顔と重なって見えた。

 この時そうしようと思えば、話し合うことはできたはずだ。しかしいざとなると、どう切り出していいかわからずにためらった。

 そしてそのためらいに引きずられるように会話も減ってしまっているというのが、最近のマッシュとエドガーをめぐる状況だった。

 

 マッシュが記憶をたどっている間、セリスはこちらをじっと見つめていた。

 それからしばし、何かを考えているようすだったが、やがて「わたしはエドガーのことはよく知らないけれど」と前置きしてから話し始める。

「もしかしたらエドガーは、まかせっきりにされてる、なんて思っていないんじゃないかしら」

 予想していなかった言葉に、マッシュは虚を突かれながらも続きに耳を傾ける。

「それが自分の役目だ、って思ってるとか」

「役目……」

「あ……役目って言っても、責任とか、義務感だとか、そういうことを言いたいわけじゃなくて」

 オウム返しにするマッシュの声に何を感じ取ったのだろうか、セリスはすぐに少し慌てるように補足する。

「そうね……自分から進んでそうしたい、っていう思いというか」

 適当な言葉を探し思案する彼女の、長いまつげが伏せられる。エドガーのこととして話していながらも他の誰かのことを思い浮かべている。言葉の端々ににじむ雰囲気が、マッシュにそう感じさせた。

 セリスは両手で包むようにティーカップを持ち、少しの間考え込んでいたが、やがて諦めるように軽く首を横に振った。

「――ごめんなさい、うまく言えない」

 セリスの意図するところはマッシュには完全にはわからなかった。それでも、懸命に説明しようとしてくれたことに対する感謝も込めて、気にするなと笑いかける。

(本人と話せばすぐ済むことだって、わかってるけど)

 それができるのなら、もうとっくにやっている。

 マッシュが目の前の二人に気づかれないようにため息をついたその時、頭上から、まさに話題にあがっていた人物の声がした。

「うらやましいやつだな」

 マッシュが振り返って見上げようとするのと同時に、肩を軽く叩くように手が置かれる。

「こんなにもすばらしく優雅なティータイムを過ごしてるとは。声かけてくれよ」

 少し咎めるような口調でエドガーはマッシュに笑いかけた。

「うわさをすれば」

 リルムの一言に、エドガーは「私の話をしてたのかい?」と眉を上げる。

「ぜひ詳しく聞きたいところだが……その前に二人とも、ちょっとマッシュを借りるよ」

「え?」

「ほら、行くぞ」

 ぽんぽん、と肩を軽快に叩かれて、状況がつかめず困惑しながらも、促されたマッシュは椅子から立ち上がった。追いかけるように、二人分の視線が見上げてきた。

「いってらっしゃい」

「早くしてよ? マッシュの紅茶もっと飲みたいもん」

「おや、ますますうらやましいな」

 小さく微笑んでいるセリスと、カップを持ちながらエドガーに注文をつけるリルムに、エドガーは相好を崩して手を軽く振った。

 

「……あの、何かあったのか?」

 廊下に出て、すたすたと歩いていくエドガーの後ろ姿を追いながら、マッシュは戸惑いを隠さずに声をかけた。エドガーは前を向いたまま、誰かの真似をするかのような口調で答える。

「『いつもうるさい双子が最近は静かすぎてブキミで仕方ねえ。なんとかしろ』」

 そして肩越しにちら、と振り返った。

「――セッツァーからのお達しだ」

「容赦ねえな、あいつ」

 眉間にしわを寄せながら言うセッツァーの表情まで、ありありと想像することができた。マッシュは思わず苦笑する。視線を前に戻したエドガーも、一緒になって小さく笑っていたようだが、ふと声のトーンを落とした。

「まあ、彼の言うことももっともだ。俺たちが原因でまわりの調子を狂わせても仕方ない」

 言葉を切ると同時にエドガーは足を止めた。

 吹き抜けとなっているこの空間は、飛空艇のちょうど中央部分にあたる。いつもなら待機している仲間が誰かしらうろついている場所だが、今日は皆出払っていて静まり返っていた。

 階下には二人で座ってもまだ余るほどの立派なソファがあるが、エドガーはそこに行くことを選ばず、ソファを見下ろすようにして手すりによりかかる。エドガーの隣に立ったマッシュもそれに倣った。

「だから、何か不満に思ってることがあるなら言ってほしい」

 顔を正面に向けたままエドガーは呟く。そして一拍置いた後、今度はマッシュの方を向き、目を見据えながら静かに続けた。

「俺の言動がお前の気分を害したのなら、それはもちろん謝るから」

(ああ、また……)

 マッシュは内心ため息をついて自分を責める。結局また、兄に譲歩させてしまった。マッシュはエドガーと反対の行動をとるように、視線をエドガーからそらし、顔を正面に向けた。

「――兄貴は、一人でなんでもできちまうだろ。じゃあ俺ができることって、なんだろうって」

 その言葉が思わず拗ねたような響きを帯びてしまったことに、マッシュは気が付いていた。

「あとさ、なんだろ。なんでもやってもらって、譲ってもらってばかりでさ、色々と」

 伝えたいことは、何度も頭の中で反芻したはずだった。しかしいざ声に出そうとすると、自分で自分の言おうとしていることを認めたくないような変なプライドが邪魔をして、素直な言葉として出てこない。

「そういうことを考えてたら、なんか……」

 着地点を見つけられず、すっきりしない余韻が場に漂った。まとまらず、素直でもない。これではエドガーに伝わるはずもない。自分へのもどかしさと行き場のないいら立ちに、マッシュは頭をかいた。

 エドガーはしばらく何も言わなかったが、その視線が自分の横顔に注がれていることをマッシュは感じていた。耳の痛くなるような沈黙が落ちる。

「そうだな……」

 やがて、エドガーが切り出した。

「まずは後半に言ってたことについてだが……悪いが、これはもうそういうものだと思ってもらうしかない」

 エドガーが何と返すか予想していたわけではなかったが、それでもその言葉はマッシュの想像する範囲の外にあった。思わず眉をひそめて隣を見る。依然としてこちらを見つめている表情からは、感情を読み取るのは難しい。

 しかしそれが突然、満面の笑みになった。マッシュが驚く間もなく、手が伸びてきて雑に髪をかき混ぜられる。

「何でもしてやりたくなっちまうんだよ、お前には。だから、もしそこに負い目を感じてるんなら、そんなのは気にしなくていい」

 ――あのコインのことだって、お前が気に負う必要は無いんだ。髪をぐしゃぐしゃにされながらだったので表情をうかがうことはできなかったが、柔らかな声だった。

 マッシュはその言葉を望んでいた一方で、余計に罪悪感を募らせてしまいそうで、聞きたくなかったような気もした。そんな整理されない感情の中、ただ一つ、確実に言えることがあった。

「……俺だってなんでもしたいよ」

 理由は違えど、エドガーのためになるなら何でもしたい。ただ、そう思ったのだ。思わず漏れた呟きに、エドガーは耳聡く反応した。

「ほう、じゃあ何してくれる?」

 言ったそばから正面から問われるとは思わず、マッシュは言葉に詰まる。エドガーは、目じりを下げたままもう一度問いかけてきた。

「例えば、何してくれるんだ?」

 促されるまま、どんなことができるのだろうと真剣に考える。

 そしてふと思いついた。子どもの頃、他愛のないいたずらを考えついた時の感覚を思い出しながら、マッシュもまた、エドガーににやりと笑いかけてみた。

「兄貴にゃ絶対できないこと」

 真っすぐ立ってそのまま動くなよ、と指示すると、エドガーは不思議そうにしながらも従う。そんな兄の背中を支えつつ、すっと伸びている膝裏を掬い上げる。そして横抱きにするようにして抱え上げた。

「う、わ、おい」

 突然地面から離されてさすがにうろたえたようすのエドガーが、慌ててマッシュの肩を掴んだ。しかし自分の身体を支えるマッシュの腕が安定していることを確認すると、安心したのか、深く息を吐いて苦笑した。

「……確かにできないな、悔しいが」

 その表情に、寒さでかじかんだ手を暖炉にかざした時のように、マッシュの心がじわじわと満たされていく。

「このままレディたちのもとに運んで差し上げましょうか、陛下」

 おどける余裕の出てきたマッシュに対し、エドガーは真面目くさったしかめ面を作った。

「レディたちの手前だ、せめて背負う方にしてくれ」

 目が合って、思わず吹き出した。

「それ、あんま変わんなくないか」

「なんか違うんだよ、俺の中では」

 笑いながらも、マッシュはいったんエドガーを下ろした後、背を向けてしゃがみこんだ。エドガーは先ほどの言葉の通りにマッシュの背中におぶさってくる。

 その身体を支えながらゆっくりと立ち上がると、まさかお前におぶってもらう日が来るとはな、と兄は感慨深そうに言う。

「なあ、マッシュ」

 続けて、呼びかけられる。

「俺にしかできないことがあるのと同じで、お前にしかできないことがあるんだよ」

 鼓膜を震わせる音がなす意味を認識すると同時に、エドガーを支えるマッシュの手に自然と力がこもった。

「それを忘れるな」

 重さも厳しさもない、しかししっかりと響いてくる声に、鼻の奥がつんとした。それがどういう時に起こるものなのかよく知っているマッシュは、今自分の顔がエドガーから見えないことに安堵する。あまり格好の悪いところは見せたくなかった。

「今でも、これから先も……近い未来、そのもっと先にも、お前の力が必要になるときが来る。いざという時にしょぼくれられてても困るぞ」

 目を瞬かせて、言葉もなく頷いた。声に出して応じたらきっと震えてしまっていただろう。

 頭上からわずかに笑うような気配がした後、エドガーが軽く咳払いをした。

「まあそれはそれとして……結構天井が近いな。頭ぶつけてくれるなよ」

「いや、それは自分で気ぃつけてくれよ」

「落とすなよ」

「それは当然」

 そんな掛け合いをしながら、マッシュはセリスとリルムが待つ談話室へと進路をとった。

 

 どうやらセッツァーは、マッシュと入れ替わりで卓についていたらしい。先ほどまでマッシュが座っていた位置に、銀色の後頭部が見える。その向かいのリルムとセリスが、マッシュとエドガーの姿を認めると、会話を中断し目を丸くした。

 そのようすを不思議に思ったのか、セッツァーが焼き菓子をつまみながら振り返る。そして弟におぶさって登場したエドガーを視界に入れた。

 セッツァーは一瞬目を見張ったが、すぐに何回かゆっくりと頷いた。

「……ああ、そうだな。確かに俺はお前に、なんとかしろと言った」

 しかしすぐに、呆れをふんだんに含ませた声で言い放つ。

「だがそこまでしろとは言ってねえ」

 ほんのわずかに遅れて、リルムとセリスの鈴を転がすような笑い声が響く。

 それをマッシュは、少しだけ胸を張って聞いていた。きっと兄も同じ表情で笑っている。