ただ、君の幸いを

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 一緒にこの国を出よう、と涙ながらに伸ばされた弟の手をとって、ともに自由の身になる。それは確かに心惹かれる提案だった。

 しかし結局俺はこの城に残ることを選んだ。

 

 打算がないわけではなかった。

 マッシュが出奔すれば、 後継者にかかわる争いは、円満解決とはいかずともひとまず鎮めることができる。そう考えたことは事実だ。

 国王である父の体調が悪化する少し前あたりから、家臣が水面下で派閥争いを繰り広げていたことは知っていた。後継として兄を推すか、弟を推すかの対立。

 最終的には帝国と同盟を締結したとはいえ、城内の帝国追従派と反対派との分断は根深く、国王の求心力は落ちていた。

 そこに追い討ちをかけるような形で、いつの間にか後継者争いという火種が生まれていたのだ。当の「後継者」本人らは対立などしていないというのに。

 フィガロをめぐる情勢は必ずしも良いとはいえない。これから周辺国、とりわけ帝国とうまく付き合って父が託したこの国を存続させるためにも、余計な内紛は排除していく必要があるだろう。マッシュが城を去ることがその一助となるのは、否定できなかった。

 

 しかし今挙げたようなことの何よりも、俺は弟の幸せを願っていた。

 彼の幸福が王宮の外にあるというのなら、それを掴みに行ってほしい。自由に世界をめぐって、美しいもの楽しいことをたくさん見て知って、そして心から安らげる場所を見つけてほしい。

 王宮の息苦しさや水面下での争いに辟易していたマッシュを見ていたら、そう願わずにはいられなかった。

 そうするには、俺の存在はかえって足かせになる。世継ぎ二人が同時に失踪となれば、家臣たちは血眼になって俺たちを探すだろう。その間は、マッシュに真の自由など訪れない。

 

 弟をこの国につなぎとめることが彼の幸せにはつながらないと、理解しているつもりだった。

 そのはずなのに、こうして未練がましく聞いてしまうのは俺のエゴだ。

「マッシュ」

 急いで荷の準備をしている背中に向かって、問いかける。

「もし俺がこの国を、お前が誇りに思えるような国にすることができたら、その時は戻ってきてくれるか」

 荷造りをしていた手が、はた、と止まった。しかしマッシュは背を向けたままなにも答えない。耳が痛くなるほどの沈黙に、ああ、困らせてしまったと苦笑いがもれた。

「悪い。今から出ていくやつに聞くことじゃないよな。忘れて……」

「兄貴」

 振り返らないまま、マッシュは言葉をさえぎった。

「いつになるかはわからないけど、俺、いつか兄貴のところに戻ってくる。必ず」

 訥々と自身に言い聞かせるようにつむぐ言葉は、何よりも誠実な響きを持っている。

「だから……待ってて」

 そして、消え入りそうな言葉は、幼子をあやすかのように柔らかい声で。

「……ああ」

 俺は短く返事をするのが精一杯だった。

 俺の返事に応えるように、さて、とマッシュがつぶやく。

「そろそろ行くよ」

 そう言って荷物を抱えようとする腕をとって、思い切り引き寄せた。

 受けとめた身体は、自分より少しだけ線が細い。その輪郭を、確かめるように、自分の身体に刻みつけるように、強く抱きしめた。すぐに、あたたかい手が同じ強さで抱きしめ返してくれた。

 そうしていたのはわずかな時間だったと思うが、実際よりずっと長く感じられた。

 少し腕の力を緩めて、互いの顔を見つめる。なにも言わずとも、引き寄せられるように唇が重なった。角度を変えながら、何度もお互いの唇に触れる。やがて、甘えるように下唇をなぞる舌の侵入を許した。舌先をゆるく絡ませて、軽く吸って。そして徐々に深いところまで。

 このようなキス、家族としての親愛という範疇を超えていることはとっくの前にわかっている。それでも、俺たちは気づかないふりをしてきた。今、永遠かもしれない別れの時でさえ。

「バイバイ、レネ」

 上がる息を抑え、唇を重ねながら注ぎ込むように囁く。

 これが最後かもしれないという諦観と、いつかまた会えるという期待のはざまで揺れて、どのような言葉をかけようか迷った結果、わざと戯れのような表現を選んだ。

 そして、その一言を最後に、ゆっくり唇と身体を離して小さく笑ってみせた。

 目の前の表情が泣きそうに歪んで、ゆっくりと目が伏せられる。しかし、再びまぶたが上がるころには、マッシュの瞳はすでに前を向いていた。

 ぽん、と俺の肩を軽く叩き、踵を返して扉へと向かう弟は、もうこちらを振り返らない。

 

 

 マッシュの背中が見えなくなって、押し殺した足音のわずかな気配が消えてからも、開け放たれた部屋の扉から視線を外すことはできなかった。

 薄暗く冷えた部屋の中で、触れられた唇だけが、唯一熱を持っている。

 

 

 
 
 
 
【あとがき(※長い)】

国を託された者の一人としてエドガーにも色々思惑があったと思います。が、それをも上回る、マッシュに幸せになってほしいという強い思いがあったりしたらたまらんです……。あと、弟は自分が兄のもとへ帰ることを信じて疑わないけど、兄は今生の別れとなることを半ば覚悟していたら切ないなあと。

 

 

~以下は好きな曲を超おすすめするコーナーですので読まなくていいです~

どうでもいいのですが、この話は某バンドの『子グマ!子グマ!』という曲に影響を受けてできました。

曲を聴いていたらですね……この歌詞、双子やん!?ってなってしまいまして……

本当は逐一歌詞を載せて「この部分が兄!ここが弟!!」って指さし確認したいくらいなんですが権利上問題があるのでやりません。かわりに歌詞のURLを置いておきますのでよかったら見て、聴いてみてください(ダイマ)

http://sp.utamap.com/showkasi.php?surl=k-160824-174

自分は聴いてる最中、随所で「これもう兄じゃん……」「これもう弟じゃん……」「これもう双子(以下略)」となって大変でした。いや、感じかたは人それぞれなので、そう感じるのは自分だけかもしれないのですが。

イメソン云々抜きにしても、童話のようなかわいらしさがあるのに、どこかドライな感じの素敵な曲なのでぜひ!(ダイマ再)(すみません、某バンド大好きなんです……)

なんだ?曲紹介記事か?これは