「いつか」の話をしよう

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 旅の途中で立ち寄った山あいの小さな村は、一見特異なことはなかったが、村人の視線がやけに冷ややかに感じられた。

 話しかけても、皆表面上は応対してくれるものの、態度は明らかによそよそしい。居心地の悪さをひしひしと感じ、マッシュはつい意味もなく身を縮こませた。

「サマサも前はこんな感じだったよ」

 ロックがマッシュたちにだけ聞こえるようにつぶやく。セッツァーもあたりを見渡し、軽くため息をついた。

「何か事情があるのか、単なるよそ者嫌いか……」

 それでも、村で唯一の宿の主人だけは、職業柄かマッシュたちを歓迎した。今夜の宿を取りに来た一行を応接室に通し、お茶をふるまってくれた。

 マッシュ、ロック、セッツァー、エドガー、そして宿の主人。この部屋は五人も入るとかなり手狭になった。

「旅のお方なんてめずらしいものですから。それにこんな状況でしょう、皆余裕がなくて」

 膝を突き合わせてお茶を飲む一行に詫びるように言って、宿の主人は苦笑いした。

 もともとこの村では林業が盛んで、木材の取引で生計を立てている村人が多いのだという。

 先の大災害では地面が割れ森は焼け、緑が枯れた。しかし、幸いにしてこの村は大きな被害を免れていた。そして今、建物の補修などの用途で世界的に木材の需要が高まっている。

「今のうちに他の村や町と積極的に取引したいのはやまやまなんですよ。ただ、肝心の仕事道具がね」

 聞けば、木の伐倒に使う機械じかけののこぎりが相次いで不調を起こしているのだという。替えの部品も、出入りの業者が消息不明になってしまったためになかなか入ってこない。現状として、斧などを使う古来の方法に頼っているために作業効率が著しく落ちているらしい。そのために十分な供給量が確保できず、経済的に苦しむ住民が出てきているというのだ。

 そこまで話を聞いたマッシュは、ふと思いついて隣に座るエドガーに声をかけた。

「なあ、兄貴」

「ああ、私もちょうど同じことを考えていた」

 先ほどから考え込むようなようすを見せていたエドガーは、おもむろに自分の荷物を探り始めた。

「どうにかできそうか?」

 斜向かいのロックが身を乗り出してくる。エドガーは頷いて応えた。

「おそらく大丈夫だろう。セッツァー、少し寄り道をしてもいいか?」

「このまま一泊しても寝覚めが悪そうだからな」

「よっし! 決まりだな」

 セッツァーの答えを聞いて、マッシュは勢いよく立ち上がった。ティーポットが倒れないように押さえながら、あっけにとられたようすの宿の主人に、マッシュは笑いかけた。

「なあ、その困っている人のところへ案内してくれないか」

 

 一行は、村で最も大きい林家の元へと案内された。

 かの家の主人は、この村の村長でもある。大柄で人好きのしそうな風貌の初老の男は、マッシュたち旅人たちを表面上は丁重に迎えたが、張り詰めた警戒心を隠すことはしなかった。

「宿のほうから連絡は受けております。わざわざこんなへんぴな場所にお越しくださるとは」

 エドガーは一歩前に進み出て、急に押しかけたことを詫びてから言った。

「仕事道具のことでお困りと聞いて、お手伝いできることがないかと思い伺いました」

「手伝い……?」

 主人の顔から張りつけた笑みが消え、眉がひそめられる。訝しんでいるようすの彼を説き伏せようと、マッシュはロックとともに加勢した。

「兄貴は機械のことに詳しいんだ。きっとなんとかしてくれるよ」

「こいつ、こう見えて機械修理の腕は一流だからさ。話を聞いてみてくれないかな」

「ほら、セッツァーも」

 マッシュに促されたセッツァーは「そうだな……」と腕を組み考えるそぶりを見せた。

「機械の扱いに関しては俺も腕に覚えがある。この男で解決できなければ俺がなんとかしよう」

「大きく出たな」

 苦笑いして、エドガーは主人に向き直った。

「言葉を連ねるより実際に見ていただいたほうがよさそうだ。マッシュ」

「ああ」

 エドガーの合図で、マッシュは抱えていた工具箱を開けて中身が見えるように村長へと差し出した。

「多少なりともお役に立てるかと思いますが、いかがでしょう」

 箱の中には、工具の他に、細かく仕切られた区画に大小さまざまな機械の部品が詰まっている。エドガーが普段使う機械の修理や整備に用いるものだ。

 フィガロに戻れば容易に調達できるものの、なかなか城に戻れないことも想定していつも多めに持ち歩いているとのことだった。

 示された中に必要な部品があったのだろうか。村長は一瞬目の色を変えたが、重く首を横に振った。

「大変ありがたい申し出ですが……これほどの部品も今は貴重でしょう。お恥ずかしい話なのですが、対価をお支払いするだけの余裕がとても無いのです。我が家だけでなく、どの家も苦しい状況で」

 困っているはずなのに固辞されるのは、遠回しな不信の証だ。確かに、急に押しかけて都合の良い話を持ってこられては、裏に何かあると思われても仕方がないかもしれない。法外な価格をふっかける行商、押し売りのたぐいだと思われていてもおかしくなかった。

 そう頭では理解していたのだが、気づけばマッシュは口を開いていた。

「金なんていらないよ。解決できるかもしれないことをそのまま放っておけないだけだ。苦しいんだったら、困ってるんだったら、俺たちのこと少しだけ信じてみてくれないか」

「おい、勝手に……」

 セッツァーが肘のあたりをつついてきて苦言を呈そうとする。それをエドガーは穏やかに制した。

「いや、いいさ」

 戸惑いを見せている村長に向き合い、エドガーは改めて言った。

「我々の思いは、今彼が言ってくれた通り。すぐに信じていただくのは難しいとは思いますが、一度預けていただけないでしょうか」

 

   ◆

 

 夜、宿の部屋に戻ったマッシュは、他に誰もいないのをいいことに手足を大きく広げてベッドに飛び込んだ。四人部屋の各隅に配置されている木製のベッドは、この村の職人が作ったのだろうか。寝転ぶとほのかに森の匂いがした。

「大変なんだなあ」

 ベッドひとつを作るまでの過程に思いを馳せて、マッシュは呟いた。

 

 あの後、エドガーたちの説得により村長は首を縦に振ってくれた。エドガーとセッツァーで機械の修理にあたっているあいだ、マッシュとロックとで他の地元住民の手伝いをしていたのだった。

 木材の運搬作業は苦ではなかった。しかし肝心の木の伐倒が骨が折れる仕事だった。機械ののこぎりが使えないために、手挽きののこぎりや斧で地道に作業を進めていく必要があった。

 斧を振るったのはずいぶん久々だ。それも修行小屋で薪を割る程度にしか使ったことがなかったので、力加減も、必要とされる技量も微妙に異なっていた。

 修理のほうはつつがなく済んだようで、他の林家にも赴いてできる限り機械の修理や整備をしていたらしい。それでも、マッシュとロックがへとへとになって村長の家に戻ったころには、村長夫人と一人息子と談笑しながら優雅にお茶を飲むエドガーとセッツァーがいた。

 謝礼は辞退したものの、せめて食事だけでもという夫人のたっての希望により、四人は村長一家と食卓を囲んだ。

 その後、一人息子いわく「村で唯一の娯楽」だという酒場に四人揃って連れられた。確かに、酒場は村のどの店よりも規模が大きいように見え、一日の仕事を終えた男女で賑わっていた。

 すでに飲んでいた住人のうちの一人がマッシュとロックを見るやいなや、駆け寄ってきて彼らの宴席に半ば強引に加えさせられた。

 慣れない作業を経て、酒も少し入ったところで、猛烈な眠気に襲われたマッシュは、他の三人を残して一足先に宿へと戻ってきたのだった。

 湯浴みも済んでいるし、あとは疲労感にまかせて心地よい眠りに落ちるだけだ。上掛けを肩まで上げて、マッシュは目を閉じた。

 それからどれくらい経っただろうか。酒場ではあれほど存在感を主張してきた睡魔がすっかりどこかへ去ってしまったようだ。何度も寝返りをうって少しでも眠りに入りやすそうな体勢を模索したが、徒労に終わった。

 そうこうしているうちに、睡魔は一向に来ないのに空腹感を覚えはじめた。すぐ寝るつもりだったので、宴席では食事を控えていたのが裏目に出たらしい。

 ついにマッシュは目を開けた。暗闇に慣れた目にうっすら見える天井の木目を眺めていても状況は変わらない。

「腹減った……」

 呟きは、応える者もいない部屋にむなしくこだました。

 その時、控えめなノック音が聞こえてマッシュは飛び上がった。上体を起こしてドアの方を注視していると、橙色の細い光の筋が徐々に広がっていく。

 その光の中からひょいと顔を出したエドガーは、マッシュの姿を見て少し驚いたようだった。

「まだ起きていたのか」

「なんか眠れなくなっちまってさ。明かり、つけていいよ」

 部屋全体を照らすランプをつけたエドガーの手元には、小ぶりな瓶と紙包みがあった。マッシュの視線に気づいたエドガーは包みを軽く掲げた。

「美味しそうな酒を買ってみたんでね、宿で飲み直すと言ったらつまみを持たせてくれた」

「へえ」

 エドガーは部屋の中央にある丸テーブルに包みを広げた。興味をそそられたマッシュはベッドから降り、エドガーの隣に並んで中身を覗き込んだ。

 円形の薄いクラッカーが十枚ほど、そこに厚切りのチーズが二切れ添えてあった。こんがり焼き上げられたクラッカーの香ばしい匂いと、いかにも滋味深いチーズの香りが鼻腔をくすぐる。芳香に反応して、ぐう、と腹の虫が鳴いた。

「なるほど、それで眠れなかったんだな」

 きまり悪く頭をかいたマッシュを見て、エドガーは軽く吹き出した。向かいにある椅子を手で示しながらマッシュを見上げてくる。

「一緒に食べよう、レネ」

 すっかり子ども扱いだ。しかしそれで釣られる自分も自分だった。マッシュは椅子に腰掛けて、グラスにエドガーが買ってきた酒をついでおき、自分のグラスには水差しでその中身を満たした。

「ロックとセッツァーは?」

「まだ酒場にいるよ」

「ロック、疲れてねえのかな」

「旅慣れているし、体力があるんだろう……乾杯」

 軽くグラスを合わせて、それぞれの飲み物を口に含む。

「なんだか、旅人らしいことをした一日だったな」

 マッシュがさっそくクラッカーに手を伸ばすかたわら、エドガーはグラスを持ったままぽつりとつぶやいた。

 どこか心ここにあらずといった雰囲気が気になって、マッシュはそっとようすをうかがう。酒場でもそれなりに飲んできたはずだから、少し酔いが回っているのかもしれなかった。

「各地を旅する間に困っている人を助ける。案外向いているかもしれない」

「案外どころか結構サマになってたぜ」

 そうか、と満足げな表情でエドガーはグラスを傾ける。

「いつかまた、こういう旅をしてみたいものだ。お前と一緒に」

「俺も?」

「お前がいればどこに行っても信頼を得られそうだからね」

「便利だからってか」

 マッシュが肩を落とすと、エドガーは軽く空気を揺らして笑った。

「お前と何かを分かち合うのは楽しいからな。いくつになっても」

 グラスを置いたエドガーは、クラッカーを一枚つまんだ。指先に力を入れて、器用にも均等に割る。

「もう少し食べるか?」

「ああ、うん。ありがとう」

 半分のクラッカーを差し出されて、マッシュは素直に受け取ったが、内心は複雑だった。

 自覚があるのかはわからないが、たまにエドガーの軽口の中には苦い本心が忍ばせてある。たとえ他の誰もが気に留めずにするりと飲み下すような会話であったとしても、マッシュにはそのまま飲み込むことができない。

 今もそうだ。ひっかかりを残したままにしておくことはマッシュにはどうしてもできなかった。

「兄貴」

 エドガーの目を見つめながら、マッシュはゆっくりと告げた。

「俺はいつでもいいからな」

「ふむ……」

 マッシュの意図は伝わったらしい。エドガーはわずかに視線を逸らし、空想にふけるように遠くを見た。

「仮に実現したとしても何十年も先になるぞ」

「いいよ、ずっと待ってる」

 いつまでも兄に与えられるだけの自分ではない。

 エドガーの希望とあれば、マッシュはそれを夢物語では終わらせない。そのことをわかってもらわなければならないのだ。

 伝わってほしいと祈りにも似た思いでマッシュは続けた。

「また一緒に世界を巡ろう。必ず」

 エドガーの対の瞳が再びマッシュをとらえた。海のようにも空のようでもある青い眼が、ランプを反射して輝いた後に、柔らかく細められていった。

 それはもはや、遠い夢に憧れを寄せるまなざしではなかった。

 困難があっても諦めない、信念を宿した、そして少し負けずぎらいな、マッシュが愛する瞳だった。