10. ここから始まる新たな関係

エンディング後、フィガロ城に帰るまでの道中の二人。 
★これで「初夏のマエドまつり」はおしまいです。お付き合いいただきありがとうございました!!

 

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 雲のない、どこまでも続いていきそうな青空の下をファルコン号は泳いでいた。朝の身支度を終えたエドガーは甲板に出て、冴えた空気を頬に感じながら地上を見下ろした。眼下にはもう、荒れ狂う海も枯れ果てた大地もない。

 瓦礫の塔から脱出した直後は、戦いによる疲労と、本当にこれで終わったのかという疑心が強かった。一晩飛空艇の中で羽を休め、目を覚ましてはじめて、美しい空と瑞々しい緑が戻りつつあるこの状況が現実なのだという実感がわいてきたのだった。

 それは同時に、仲間との旅路が終わりに近づいていることを意味していた。

 

 飛空艇はまずサマサへと向かった。ストラゴスとリルムを先頭に、一行が村に足を踏み入れると、他の村人よりもいち早く一人の少女が駆け寄ってきた。リルムと同じくらいの年ごろに見受けられた。

「リルム、ストラゴスさん、大変なの」

 息を整える間も惜しいのか、口から空気を取り込みながら、少女はとぎれとぎれに続ける。

「昨日ね、空がぱあっと光ったら、突然魔法が使えなくなっちゃったの。あたしだけじゃなくて、ママもパパも、村のひとは全員……」

「魔法はね、もうないの。魔法の力自体が世界から消えちゃった」

 リルムの説明に少女は大きく目を見張った。あどけない表情は悲しみか悔しさにか、徐々に曇っていく。

「なんで? ケアルの練習、いっぱいがんばったのに。あともう少しで、絶対にできたのに」

 唇を噛んで彼女はうつむいた。

「まあ、そう悲しむでない」

 今にも泣きだしそうになっている少女を、後方に立って話を聞いていた老人がなだめている。遅れて到着した村長だった。少女の肩に手を置きながら、村の長はストラゴスに向かって問いを投げた。

「終わったのか?」

「うむ、ようやく片が付いた」

「そうか……」答えを得て、村長は目を閉じた。「……変わらねばならない時が来たのだな。われわれも、この村も」

 ふいにリルムが振り返り、エドガーたちのほうを見た。

「ねえ……また、会えるよね?」

 仲間の誰よりも先に進み出たのはティナだった。リルムと目線を合わせるようにわずかに腰をかがめ、頷く。

「ええ、もちろん。これでお別れじゃない――」

 話が終わる前に、リルムはティナに抱き着いた。驚いたのだろう、ティナは一瞬動きを止めたが、きゃしゃな体を受け止めた両手をそっと少女の背中へと回した。その動作はごく自然なもので、一連の光景を見ていたエドガーは無意識に目を細めていた。

「二人とも、ぜひフィガロに遊びに来てくれ。飛空艇ならすぐだからね」

「ほう、それはありがたいゾイ」

 ストラゴスがあごひげを触りながらセッツァーを見る。急に視線を集めた賭博師はエドガーを睨んだ。

「なんで俺が足になる前提なんだ。飛空艇を飛ばしたいなら自分で造れ」

「セッツァーのことだから、言えばなんだかんだで乗せてくれるさ」

「お前……」

 せっかくの苦情をマッシュによって明るく覆されて、セッツァーはため息をつきそれ以上何も言わなかった。その反応がマッシュの言葉を裏付けているようにも感じられて、エドガーはつい吹き出す。

 心なしか満足そうな顔をしたマッシュは、まだティナにしがみついているリルムを呼んだ。

「じいちゃんのこと、大事にしろよ」

 ぱっと顔を上げたリルムは、少し鼻先を赤くしながらも顔いっぱいの笑みで応えた。

「わかってるよ!」

 

 モブリズ、次いでナルシェに停泊した飛空艇からは、その都度戦友たちが降りていき、それぞれの帰るべき場所へと向かった。

「お前ら二人はフィガロ城でいいんだな?」

 雪原の上空で舵を取るセッツァーが聞いてくる。エドガーよりも先にマッシュが反応した。

「ああ、頼む」

 次いでエドガーへと視線を移し、釘を刺すように続ける。

「俺だけサウスフィガロに置き去り、なんてのは無しだからな」

 疑り深いものだと思いつつ、弟をそうさせているのはこれまでの自分なのだ。エドガーは返す言葉もなく苦笑した。

 砂漠と飛空艇との相性は必ずしもいいとは言えない。一部の区域では岩石が露出しており、かといって平坦な砂地では着陸時と離陸時に大量の砂が巻き上がる。

 そのためフィガロ城が目的地の際は、城からの距離という利便性よりも、周辺環境への影響と機体の損傷を最小限に抑えられるかどうかを優先して着陸場所を決めていた。

 今回もその例に漏れず、エドガーとマッシュは城からやや離れた場所で降ろしてもらった。二人が十分に離れたところで、ファルコン号のエンジンが唸り、機体とともに砂が舞い上がった。

 おぼろげながら、艇に残っている仲間たちが手を振っているのが見える。エドガーとマッシュは、遠く小さくなっていく飛空艇が完全に見えなくなるまで、彼らに手を振り返していた。

 砂漠に静寂が戻り、特に示し合わせることもなく、二人は同時に一歩踏み出した。そのまま何歩か歩いてからマッシュが口を開く。

「やっぱりサウスフィガロで降ろしてもらったほうがよかったか?」

「なんだ、いまさら」

「チョコボを借りることを考えたらさ」

「いいよ、歩きたい気分だった」

 横目で隣をうかがってみる。弟は「そうか」などと言いながら神妙に頷いてみせているが、その本心を想像すると可笑しくなった。

「お前だってそうだろ」

 つついてやればたちまちマッシュは破顔して、からりとした答えが返ってきた。

「やっぱばれてるか」

 なだらかな砂丘を越えるたびに城が近づく。帰還すれば、しばらくは、今のように二人だけの時間と空間を確保することは難しくなるだろう。その予想がエドガーの歩調を鈍らせる。この時間を引き延ばせないかと悪あがきを企てている――そう自覚しながらエドガーは切り出した。

「マッシュ」

「うん?」

「ずっと考えていることがある」

「なんだよ改まって」

「あの日、お前の手を取った理由を」

 二重に聞こえていた足音が一人分になる。少し遅れてエドガーも立ち止まった。振り向くと、二、三歩ほど後ろにいるマッシュがじっとエドガーを見つめていた。

「……聞いてもいいかい?」

 乾いた空気の中よく響くおだやかな声には、今は微量の緊張が含まれているように感じられた。ただ、マッシュの期待と不安に応えるような言葉をエドガーは持ち合わせていない。

「考えたが……どうしても言葉にできそうにない」

 それは偽りのない本心だった。

 理由を探してしまうのは、無意識のうちに正当化をしようとしていることの表れだろう。しかし自分たちが選んだのは、理性的な判断に委ねればそもそも成り立つはずのない関係だ。その前提がある限り、どんな理屈を並べても意味はない――「正しい」ことにはならないのだ。

 マッシュは思案するように視線を砂の上に投げていた。ややあって、その見つめる先がエドガーの顔へと戻ってくる。眉間には軽くしわが寄っていた。

「ちゃんとした言葉にする必要なんてあるかな」

 兄貴の考えを否定はしないけれど、と前置きをしてマッシュは続けた。

「『そうしたい』って思ってくれたんだろ? 兄貴の中でその気持ちが本当なら、それがすべてで……それでいいじゃないか」

 今になって、エドガーは初めて目を開けたような気分になった。

 たとえ「間違って」いるのだとしても、自分の中にある真実はめったなことでは揺るがず、また逃れることもできない。取ることのできる選択肢は、そのことを認めて真正面から見つめるか、目を閉ざしてしまうかだ。このことを、マッシュはこの瞬間に至るまで教えてくれていた。

 もはや言うことは何も思い浮かばない。代わりに足が動いた。導かれるようにして、エドガーはマッシュの正面に立った。

 向かいにある肩に手を伸ばそうとして、中途半端なところで止まる。つい最近まで、幼いころでさえ自然とできていたことのはずが、すっかり方法を忘れてしまったようだった。

 その間、マッシュは覗き込むようにして不思議そうにエドガーの顔を見つめていた。やがてそれ以上の行動がなされないと見るやいなや、焦れたような短い笑い声を漏らしてエドガーの体をかき抱いた。

 

 順風満帆とはいかないだろう。罪と呼ぶべきものを愛であると貫き通す以上は、唐突な終わりも覚悟しておかなければならないのだろう。

 しかしすでにエドガーの視界は開けていた。遠い将来、歳を重ねても共に歩み、二人王家の霊廟に眠り、そして行った先で待っている父に叱ってもらう、そんな未来を今は信じることができた。

 短い抱擁の後、マッシュの体がゆっくりと離れた。顔を見合わせると、鏡のように自分の口元もほころんでいく。笑みを乗せたマッシュの瞳が前を見据える。同じ方向に目を向けてみれば、帰るべき場所がエドガーとマッシュを待っていた。

 この国の砂漠では常ならば熱風が吹きすさぶ。しかし今は、気流が細かな砂粒を時々宙に舞わせているのみだった。やわらかい風に背中を押されるようにして、エドガーは再び歩き出した。