「タバコ」
「やったことない」
「じゃあ酒は」
「ずっと修行してたから、旅を始めるまで飲んだことなかったな」
「ギャンブルは?」
矢継ぎ早に質問を繰り出すセッツァーに、マッシュは思わずといったように吹き出す。
「できる相手も、場所もなかったよ」
ギャンブルなんてやってたように見えるか、と逆に尋ねられて、セッツァーは肩をすくめた。
世界に異変があった後のこんな時世でも――いや、こんな時世だからこそだろうか。宿の酒場は、思ったよりも賑わいを見せていた。
セッツァーとマッシュは運よく空いていたテーブル席に陣取って、他愛のない話をしていた。エドガーは野暮用を済ませてから合流すると言っていたので、もう少ししてから来ると思われた。一緒にここに泊まっているもうひとりの仲間、ティナは今頃夢の中だろう。
エドガーを待ちつつ酒を飲みつつ話をしているうちに、何がきっかけだったかは忘れたが、この旅に出る前の暮らしぶりについての話題になったのだった。
「へえ……潤いがないっつうか、楽しみに欠けるっつうか」
酒もタバコもギャンブルもない生活は、セッツァーには想像がつかない。マッシュの話を聞いてつい正直な感想を口にした。そんなセッツァーのぼやきに、マッシュは心外そうな声で応じる。
「潤い、とは違うかもだけど……楽しみはいっぱいあるけどな」
「例えば?」
マッシュは視線を宙にやって少しの間考え、再び口を開いた。
例えば、まだ世界が半分眠っているような時間帯に、一人で瞑想をしている時。そうして精神を研ぎ澄ました後に、無心で鍛錬をする時。鍛錬の後、朝日が昇るのを山の頂きから見届ける時。そのような時に、マッシュは満たされるような心地がするのだという。
それを聞いて、セッツァーは、自分の表情が渋面に変わっていくのを自覚した。
「……俺には理解できん」
「セッツァーも一度やってみればわかるよ、早起きしてさ」
そう言ってからからと笑う目の前の男を見やり、セッツァーは深くため息をつく。無欲、清貧。本人から話を聞く限りでは、マッシュにはそんな言葉が似合いだ。修行僧なのだから、当たり前といえばそうなのかもしれないが。
「――こういうヤツに限って賭けが強かったりするんだよな」
独り言のつもりだったが、マッシュは律儀にもその呟きを拾った。
「俺、運は良いほうだから、もしかしたらそうかもな」
真面目な顔であっさりと頷くマッシュに、セッツァーは軽く舌打ちをする。マッシュは特に意に介したようすもなく、ゆっくりとグラスを口元に運んだ。
賭け――自分が発した言葉を頭の中で反芻して、ふと、セッツァーは思い出した。
ブラックジャック号――今はスクラップになってしまったが――と、セッツァーの運命を決めたのは、コインを用いた「賭け」だった。それとは別に、十年ほど前、マッシュとエドガーそれぞれが歩む道を決定する時にも同じ硬貨が用いられたのだという。セッツァーはそのことを最近になってから知った。
そして気づいた。二つの「賭け」の裏には同じ「タネ」があって、それが何を意味するかということに。
セッツァーは残り少なくなっていたグラスの中身を一気に流し込んだ。喉を焼くような感覚を楽しんでから口を開く。
「そういえば、お前……イカサマで勝たせてもらったんだって?」
誰に何を、と言わずともマッシュにはわかるはずだ。空になったグラスに手酌をしながら、鼻で笑った。
「そりゃあまた、大した運だな」
この程度の挑発はセッツァーにとっては慣れたものだったが、それを受け慣れていないであろうマッシュはどう出るだろうか。セッツァーは、皮肉な笑みを保ちつつ、マッシュの反応を好奇心をもって観察していた。
突然投げかけられた嫌味に、マッシュは困惑と不快感を隠すこともせず、眉間に深く皺を刻んだ。
「それは――」
硬い声で何か言いかけたが、急に口をつぐむ。
そして少しの考えるような間の後、眉間の皺は消えて、挑発に対抗するように不敵に口角が上がっていく。「そうだな」とセッツァーの言葉を肯定する声は自信に満ちていた。予想していなかった反応に、セッツァーは思わず眉を上げた。
マッシュは、堂々とした声のままで続ける。
「ほんとに幸運だと思うよ。俺には、そこまでしてくれる兄貴がいてさ……しかもさ、いったん別れたのにまたこうして会えて、近くにいられる」
一度そこで言葉を切ったマッシュは、笑みを深めた。
「こんなに運が良いやつも、そうそういないだろ?」
なんだか、急に全てがばからしくなった。
そんな気になったセッツァーは、再び長く息を吐く。そしてマッシュの背後に視線をやり、呼びかけた。
「……だってよ。良い弟を持ったもんだなァ、『兄貴』」
少し前から音もなくマッシュの背後に立っていたエドガーは、腕を組みながらセッツァーとマッシュのやりとりを興味深そうに聞いていたところだった。セッツァーの言葉に、マッシュが驚いたように後ろを振り返る。
急に二人の注目を浴びたエドガーは、まず顔を背け、次いでこちらに背を向けた。エドガーが背を向ける直前、その顔と耳がやけに血色良く見えた気がしたが、それはこの場に漂う酒精か、照明の具合のせいだったのかもしれない。
「あ、ちょっと……なんで逃げるんだよ、兄貴」
エドガーは何も言わないまま、人の合間を縫うようにして足早にその場を立ち去ろうとする。その後を、急いで立ち上がったマッシュが追っていく。その横顔と声は、溢れんばかりの笑みを隠しきれていなかった。
確たる根拠があるわけではないが、たぶんあの二人はしばらく戻ってこない。取り残されたセッツァーはそう決めつける。
だからこの酒も、わざわざ二人のためにとっておいてやる義理はないのだ。自分が出した結論に納得し、セッツァーは遠慮なく酒瓶を傾けて自分のグラスを満たした。
自身を翻弄する運命さえも幸運に結びつけられる者にとっては、賭け事でその時々の運に一喜一憂するなど、きっと小さなことに思えるのだろう。
賭博師を自称する身にもかかわらずそんなことを考えた自分に対し、またひとつ舌打ちをした。
「どうも、おもしろくねえな」
呟いてみたのは苦々しい言葉、しかし口元にはわずかに笑みを浮かべながら、セッツァーはグラスを揺らした。