今夜、星明かりの森で

本文表示きりかえ

 年季の入った柱時計の針は、日付が変わる数分前を指していた。

 自室のいすに掛けていたエドガーは、そろそろ弟が来る頃だとブーツの紐を編み上げる手を早める。約束の時間は零時ちょうどだった。

 その矢先、戸を軽く三度叩く音が室内に響いた。短く応答して入るよう促すと、ゆっくりとドアが開いてマッシュが顔をのぞかせる。

「準備できたぜ」

 マッシュはそのまま入室し、いったんドアを閉めた。

 日中、日よけのために羽織るものよりはいくぶん厚手の、防寒用の外套。それに、膝くらいまで丈のある散策用の丈夫なブーツを合わせている。

 いつも身軽なマッシュがこうした旅装束に身を包むのは珍しいことだった。エドガーも今は同じ格好をしていた。

「ああ。もう少し待っててくれ……」

 もう片方のブーツの紐も手早く結び終えてしまってから、エドガーは立ち上がった。

「じゃあ行くとしようか」

「あ、その前に」

 そのまま部屋を出ようとしたところを呼び止められ、首を傾げる。そんなエドガーを見つめながら、マッシュは破顔した。

「誕生日おめでとう」

 言われて再度柱時計に目をやると、いつの間にか零時を回っていた。

 今年も互いに一番乗りで祝いの言葉を交わせることを喜ばしく思いながら、エドガーも頬を緩ませた。

「お前も。おめでとう、マッシュ」

 

 城内はすでに寝入っていた。静まり返り、明度を落とした灯りに照らされた廊下を連れ立って歩く。

 そこへ、少し先の曲がり角から見回り番の兵士が姿を現した。彼はこちらに気が付くと、一瞬驚いたように目を見張ってから、エドガーとマッシュのもとへ駆け寄ってきた。

「陛下、殿下、いかがされましたか」

 問いかける彼の視線が、今の自分の装いに向けられていることをエドガーは感じていた。

「どうも眠れなくてね」

「でしたら、お茶を召し上がりますか? すぐご用意いたしますが」

「いや、変に目がさえてしまったから、少し外の空気を吸ってくるよ」

「かしこまりました。それでは待機の者を呼んでまいりますので――」

 護衛として同行する兵を呼んでくる、という、彼の立場からすれば当然の返答に対し、エドガーは微笑を浮かべた。

「ありがとう、でもその必要はない」

 軽く握った拳の裏で、隣に立つマッシュの胸板をひとつ叩く。

「マッシュも一緒だ。だから大丈夫だよ」

 兵士は、困惑の色をあらわにしてエドガーとマッシュの顔を交互に見た。

「殿下が? しかし……」

 言いよどむ彼の反応も、もっともだった。

 これから夜が明けて数時間もすれば、城内は一気に慌ただしくなる。王と王弟の生誕を記念する式典の準備のためだ。その主役たる二人がこのような夜更けに連れ立って外出しようというのだから、気が気ではないだろう。

 それをわかっていつつ、エドガーはさらなる説得の言葉をかけようと口を開きかけたが、マッシュの方が早かった。

「大丈夫だって!」

 明るく威勢のいい声は、大きく廊下に響き渡った。エドガーにじとり、と横目で見られて、マッシュは「ごめん、つい」と頭を軽くかいた。そして、今度はやや声を抑えめにして兵士に向かって言う。

「大丈夫、絶対無事に連れて帰ってくるからさ。そもそも、そんな何時間もかかるわけじゃないし」

 だから、な? とマッシュに笑いかけられ、エドガーに真正面から見すえられ、兵士はいたく困ったようすだ。しかしやがて諦めたのか、姿勢を正して敬礼をした。

「……承知いたしました。くれぐれもお気をつけて」

 言葉こそ従順だが、いかにも納得がいっていなそうな表情が隠しきれていない。自分よりいくつか年下とみられる兵士の素直な面持ちに、エドガーは思わず苦笑した。

「すまないな。一応兵士長には報告しておいてくれないか、戻ったら私から直接声をかけるから」

「はっ」

 短く答えた彼の鎧の肩を軽く叩いて、エドガーはその場を後にしようとしたが、「そうだ」ともう一度兵士に向き直る。

「……すまないついでに、チョコボ舎の鍵も開けてもらえると助かる」

 言って、軽く片目をつぶってみせた。

 

 チョコボ舎の係はすでに就寝していて不在だったが、エドガーもマッシュもチョコボの扱い方は心得ている。

 眠れないのか、敷き詰められたわらの上をうろうろと歩き回っていたチョコボ二頭を引いてきて、その背中に乗る。そして、鍵を開けてくれた先ほどの兵士に見送られ、二人は夜の砂漠へと駆けだした。

 今夜は新月だった。月の光をあてにすることはできないため、遠くまで光が届くよう改良された携帯用のランプで辺りを照らしつつ進んだ。夜の冷えた空気を全身に浴びていると、昼間の暑さを忘れてしまいそうになる。

 城の南西へしばらくチョコボを走らせると、どこまでも続くと思えた砂漠の向こうから、目的地である小さな森が少しずつ見えてくる。

 今でこそちっぽけな――そして世界崩壊の影響でさらに規模が縮小してしまった――この森は、気が遠くなるほどの昔に、周辺一帯が豊かな緑地であったことの名残なのだといわれている。

 そうして何百年、何千年も前の世界のようすをわずかにでも伝えてくれるようなこの緑地を、エドガーは気に入っていた。

 森の入口に差しかかったところで、エドガーとマッシュはチョコボから降り、手綱を引きながら木々の中へと分け入っていく。

「足元気を付けろよ」

 マッシュの言うように、ランプで照らす地面にはところどころ太い木の枝が折れて転がっている。また倒木している場所もあり、そうしたところは迂回した。奥へと進むにつれ、湿った土の匂いが濃くなっていく。

 おおむね平坦なこの森だが、中心部に唯一、小高くなっている場所がある。

 そこを目指して歩き、緩やかな斜面を登りきると、その空間だけ森がくり抜かれたかのように開けた場所に出た。

「このあたりがいいかな」

 言いながら、エドガーはチョコボの手綱を手頃な木の幹に結びつける。マッシュもそれに倣った。

「少しここで休んでてな」とマッシュに慣れた手つきで羽毛をくすぐられ、チョコボは目を細めてひと鳴きした。微笑ましい光景にエドガーは思わず口元をほころばせる。マッシュの真似をして、自分も、乗ってきたチョコボの柔らかな羽毛を撫でた。

 その後に、横倒しになっている太い木の幹に二人並んで腰かける。ランプの灯りをごく弱いものに調節し、充分暗闇に目を慣らしてから空を見上げた。

 梢にふち取られた暗い夜空には、宝石箱をひっくり返したかのように無数の星が輝いている。星々をさえぎる雲はない。このぶんだと、夜が明けたらすがすがしい晴天に恵まれると思われた。

 そう考えていたところで、小さな宝石のうちのひとつがひときわ強い光を放ったように見えた。エドガーが声を上げる間もなく、次の瞬間には、その星は白い尾を引きながら空を駆け抜けていった。

 まるでそれが合図だったかのように、静かに瞬いていた周辺の星のいくつかも続けて流れ始めた。

「すごいな」

 マッシュが感嘆したように呟く。エドガーは目線を上空に固定したまま頷いた。

 

 エドガーたちは、今日、この光景を見るためにここへやって来た。

 発端は、先日エドガーが城の天文学者から聞いた話だった。毎年この時期には流星群が観測される。最も多く流星が発生する、いわば「見ごろ」の日は年によってまちまちだが、今年はそれがちょうど八月十五日から十六日にかけての深夜になる見込みなのだという。

 それを聞いた時、いつか父が語ってくれたことを思い出した。エドガーとマッシュが生まれたのは、無数の星が降り注ぐ夜のことだった――兄弟が特に気に入っている思い出話だ。

 そこでマッシュに、せっかくだから夜中に城を抜け出して見に行かないかと持ちかけてみた。弟は一瞬何か言いたげな顔をしたが、結局その場では二つ返事で了承した。

 そして今ふたり、ここにいるのだった。

 

 ふと、木の幹に置いていたエドガーの右手に、マッシュの手のひらが乗せられた。

 隣をうかがうと、マッシュが見上げる横顔のまま口を開いた。

「ここでなら、いいだろ」

 エドガーは静かに笑った。穏やかな温度に包まれた右手を上向けて、ぬくもりを分け合うように手のひらどうしを合わせる。ゆるく指を絡ませると、それより少し強い力で握り返された。

 それからしばらくの間は言葉も交わさず、二人して空を眺めていた。

 やがて、断続的な星の流れが落ち着いてきたころに、マッシュが意を決したように切り出した。

「兄貴、一つ教えてくれ」

 視線を夜空からエドガーの顔へと移し、まっすぐ見つめてくる。

「星なら城のバルコニーのがよく見えたろ? どうしてわざわざここに来ようと思ったんだ」

 エドガーは少しの間考える。そしてきっとすぐに見破られるだろうと思いつつも、なるべく明るく聞こえるように言う。

「わくわくするだろ、こういうの――子どものころは夜ふかしなんかできなかったしな。それに、なんだかあの旅が無性に懐かしくなったんだ」

 寝袋にくるまって星を眺めるのがたまに恋しくなるんだよ、などと軽い調子で言ってみたが、弟は答えずに軽くうつむくだけだった。

 ややあってマッシュは顔を上げ、静かな、しかし強い意思を感じさせる声で言った。

「ごまかさないでくれよ」

 ごく淡い灯りの中であっても、その視線は鋭くエドガーを射抜いてくる。エドガーは返すべき言葉が見つからずに黙りこんだ。

「……当ててやろうか、兄貴の考えてること」

 ため息をついて、うまく言葉にできるかわからないけど、と前置きをしてからマッシュは続ける。

「兄貴は……王だ。みんなの王さまだ。いつもそうでないといけないし、『だれか一人のもの』になんてなれない。特に、城にいる間は」

 言葉は一度そこで切られた。それから、慎重さを増すようにして再開された。

「それをきっと、俺に対して、悪いと思ってる。負い目を感じてる。だからせめて、城以外の場所で二人になりたかったとか……そんなとこだろ、たぶん」

 エドガーはマッシュから視線を外した。

 現在自らが置かれている立場から逃れたいわけではない。今マッシュが代弁したようなことのすべては承知のうえでこの関係を続けてきたつもりだった。

 にもかかわらず、深い愛情を受け取る日々を重ねていくごとに、すべてを捧げると言わんばかりのまなざしを注がれるほどに、それらに自分は応えられているのだろうかと考えずにはいられなくなった。

 それでも、今こうしているように二人だけの空間で体温を分かち合っている時だけは、マッシュがもたらしてくれるのと同じくらいのものを返すことができていると、そう思えるような気がしていた。

 静けさの中、目を閉じてため息をつく。

「……お前の言うとおりだよ」

 再度まぶたを開けてみると、星粒がまたひとつ、静かに流れていくのを視界がとらえた。

「お前と二人だけでいたかった。ただそれだけだ」

 こうして声に出してみると、流星に託す必要すらないほどささやかな願いのように思われた。しかしエドガーにとってはそれゆえに重い望みだった。

 マッシュはすぐに何か答えることはなかった。やがて、ああ、と苛立ちをにじませるように息をつき、立ち上がる。

「兄貴ってさあ、なんでこう……なんだろうな」

「どういう意味だそれは」

 含みのある言葉の真意を探ろうと、エドガーも立ち上がりマッシュの表情を覗き込もうとする。そうしたところで、強く手を引かれ腕の中に抱き込まれた。

「兄貴が……兄貴が負い目を感じる必要も、気にすることも、これっぽっちもないのに……だってそんなこと、俺は初めからとっくにわかってるんだ。わかったうえで俺は、ずっと、ずっと兄貴のそばにいることを選んだ」

 言葉は堰を切ったように流れ出す。それとは裏腹に、揺らいでいる声は、大きく振れてしまいそうな感情を努めて抑えようとしているかのようだった。

「……なあ、誰よりも、わかってるんだよ」

 絞り出すような言葉の後に、エドガーの身体に回された腕に力がこもり、より強く引き寄せられた。

 胸を衝くような弟の覚悟を、エドガーは痛いほど理解していた。だからといって、今しがた彼が言ってくれたように、割り切って気負わないようにするなどということは恐らくできないのもわかっていた。

 それでもせめて、目の前で肩を震わせる愛おしい半身に、伝えなければならないことがあった。

 エドガーは、ゆっくりとマッシュの背中に両手を回した。目いっぱいの力を込めて、自分の体に引き寄せる。目を閉じて、肩口に顔をうずめるようにして呟いた。

「――ありがとう」

 マッシュがもう一度肩を震わせる。同時に、小さく鼻をすするような音がした。

 

 静謐な森の中、しばらく抱き合っていると、互いの鼓動の音さえ聞こえるようだった。

 少し落ち着いてきたのか、気を取り直すように弟が口を開く。

「な。また、ここに来よう」

 腕を解きつつ、エドガーの両肩に手を添えて、マッシュは真剣な表情で見つめてくる。

「来年も、再来年も、もっと先も……この日にまたここに来て、二人で星を見るんだ」

「いい考えだが、流れ星は毎年この日が見ごろとは限らないぞ」

「いいんだ、それでも。――だって、わくわくするだろ」

 冗談めかして先ほどのエドガーの言葉を引用し、暗い中でもまばゆい太陽の笑顔に、エドガーは思わず目を細めた。

 

 来年も、そのさらに先も――その言葉が現実となることを、エドガーは願う。

 そして、胸に湧いた情動にまかせるままに、マッシュの笑む口元に自らの唇を重ねた。