エドガー自身は気に入っているのだが、機能面と堅牢さを追求したフィガロ城は「無骨」と表現されても仕方のない見た目をしている。確かにどう好意的に見ても、豪華絢爛な宮殿からはほど遠かった。
しかし、仮にも王宮なので、他国の王や貴族、諸侯を招いて宴を開くことができるほどの大ホールもあれば、それより規模の小さい、より親密な客人を招いて食事会を開催するためのダイニングホールなどの設備は備わっている。
そして後者ではまさに今、晩餐会が開催されていた。といってもその名が示すような形式ばったものではなく、旅程の途中でフィガロに寄るついでに、仲間たち全員を食事に招いたのだ。
厳密には、「全員」ではなかった。ウーマロとモグは人が多いところは苦手だというので、無理に連れてこず飛空艇を守っていてもらうことにした。
食事会には、大臣をはじめ、学者や兵士長など、フィガロ側からも何人か参加を許可した。久々の客人を迎えての晩餐会に城中は浮き立ち、特に厨房担当は腕の見せ所だと張り切っていた。
会が始まってから一時間ほどが経過した。このころには、もう仲間たちもフィガロ側の参加者も打ち解けて、皆思い思いに話に花を咲かせていた。ただ一人を除いては。
「リルム、具合が悪いのかい? いったいどうしたんだ」
フィガロの歴史学者とカイエンとの三人での会話をほどよいところで切り上げてから、エドガーは小声で隣の少女に問いかけた。リルムは食事会が始まってからずっと不機嫌そうにしている。見れば、料理にもあまり手を付けていなかった。
「あいつは一体どこ行ったの」
彼女の視線はずっと斜向かいの空席に注がれている。そこはシャドウのために用意した席だった。グラスに入ったままの食前酒と料理とともに、別途犬用に用意された食事の乗った皿が手つかずで置かれている。
「……まあ、あの人はいいよ、別に。でもインターセプターはきっとお腹空いてる。せっかくごはんも用意してもらってるのに、かわいそうだよ」
口ではそう言っているが、きっとシャドウのことも心配していると思われた。その心配が取り除かれないと、リルムにとっては心残りのある食事会になってしまうだろう。
エドガーは苦笑して席から立ち上がった。
「わかった、彼らを探してこよう。ただしそのあいだ、君はもう少し食べていなさい。厨房では、久しぶりの晩餐会だからって、みんなずいぶんと張り切って料理を作っていたんだからね」
少しずるい言い方だと自覚はしていた。案の定、少女は気まずそうな顔をしながら、ナイフとフォークを手に持った。それを目の当たりにしてエドガーは少し安心する。
エドガーはそばに控えていた給仕係に、リルムに聞こえないよう小声で言った。
「ちょっと席を外す。悪いけど、その間この子の相手をお願いできるかな。私の椅子に座っていてくれてかまわないから」
急に王に話しかけられ、しかもその内容に彼女は恐縮したようすだったが、職務熱心さが窺えるはきはきとした声で「かしこまりました」と頭を下げた。
夕方城に戻ってきた時は、確かにシャドウは他の仲間と一緒にいた。おそらくこの城内のどこかにいるはずだった。エドガーは、城内の地図を頭に描き、あまり人の気配がなさそうな場所をいくつか絞り込んだ。
エドガーはまず、今は物置状態でほぼ誰も寄り付かない状態になっている、旧練兵場のある棟を目指した。今夜は月が出ていたが、厚い雲に時折遮られ辺りを照らすには至らない。頼りになるのは見張り塔の灯りだが、今向かおうとしている場所はちょうどその光が届きにくい位置にある。
ランプを持ってくるべきだったと思いつつ件の物置棟にたどり着く。錆びた鉄扉の前には誰もいない。ではその裏はどうか、と目を凝らしながら建物の裏手に回ると、一人の人間と一匹の犬の輪郭がぼんやりと見えた。
「よくこの場所がわかったなあ」
このまま闇に溶けてしまいそうな二つの影に近づきながら、エドガーは呼びかけた。
「この城の者以外でここにたどり着いたことがあるのは、ロックとガウとリルムだけだ」
反応はない。シャドウは腕を組みながら壁にもたれて立っており、その足元にインターセプターが静かに行儀よく座っていた。
「リルムがたいそうご立腹だったよ。インターセプターがかわいそうだって」
「こいつの分の食事まで用意したのか」
「かえって迷惑だったか? まあ、気が向かないなら食事は後で部屋に届けさせてもいい。でもせっかくだ、一緒に食べないか」
言いながら、エドガーはインターセプターのいる方に回り込む。一定の距離は保ちつつ、しゃがみこんでインターセプターと目線を合わせようとした。
「君も歓迎するよ、インターセプター」
歓迎の言葉への返答は、濃い警戒の色を宿した鋭い瞳と、低い唸り声だった。そのようすを見ていたらしいシャドウの、呆れたような感心したような声が頭上から聞こえてきた。
「もともと他人には懐かないが、それにしてもずいぶんと嫌われたものだな」
エドガーは動物に特段好かれも嫌われもしない質だと自分では思っているが、もはや敵意と呼べるほどの警戒心を抱かれる理由は思い当たらなかった。諦めて立ち上がったエドガーに対して、シャドウは補足する。
「お前の弟のことはこれほどまで警戒していないようなんだがな」
「へえ? あいつと私と、一体何が違うんだろう。双子だから似てるところもたくさんあると思うんだけどなあ」
我ながら白々しいとエドガーは思う。想像通り、覆面の下からは冷たいせせら笑いが漏れ聞こえた。彼の返答は最初から期待していなかったので、エドガーは気にせず続けることにした。ずっとシャドウに聞いてみたいことがあったのだ。
「マッシュといえば、ずっと気になっていたんだが……君、あいつに報酬を請求しなかったそうじゃないか」
シャドウの顔が初めてエドガーの方を向いた。
「あいつがナルシェに向かおうとしていた時の話だ。君ほどの手練れが無償で道案内だなんて。マッシュから話を聞いた時は、殺し屋から親切な何でも屋さんに転向したのかと思って驚いたんだよ」
「あの時はちょうど依頼も入っていなかった。ただの気まぐれ、時間つぶしにすぎない」
そこでシャドウは、めずらしく、ふ、と可笑しそうな笑いを漏らした。
「今後、弟には十分に小遣いを持たせてやることだな」
「と言うと?」
「あの時、奴の所持金は数十ギルだった。そんな端金を渡されてもむしろ扱いに困る」
なるほど、とエドガーは頷いて苦笑した。
リターナー本部を脱出する際に、万一のことを考え、各々に道具や薬を買えるだけの手持ちを配分していた。しかしマッシュは、シャドウと出会った時点では、レテ川の急流に流された直後だったはずだ。流されている間に財布の中身も失ってしまったのだろう。
「いつまた何の用事で君を雇う必要が出てくるかもわからない。常にある程度手元に持っていた方がよさそうだね。マッシュも、私も」
「俺の稼業は、あくまでお前も知ってのとおりのものだ。あの男が俺に依頼をする機会がこの先あるとは思えない」
「マッシュにはない、でも私にはある、と?」
エドガーの問いに、シャドウはまた元のように顔をエドガーから逸らして、何も答えない。
「君の本来の稼業で?」
立て続けに聞いても返答はない。わかりやすい肯定だった。エドガーはため息をついて腕を組んだ。
「おそらくだが……これからは当面、そんなことがまかりとおる時代ではいられなくなるだろう」
敵国の主要人物を暗殺、自国内の反対勢力を粛清。世界がまるで変わってしまったこの状況下でそのようなことをして何になるというのかと、エドガーとしては思う。そもそも帝国なき今、敵国と明確に言える国は存在しない。それに自国の人間に手をかけてしまっては、その混乱によって国の基盤が揺らぐ事態も想定される。
この旅の目的を果たしたとして、その後に新たに火種を作るようではフィガロがそれこそ第二の帝国になりかねない。同じことの繰り返しだ。むろん、それはエドガーの望むところではなかった。
そこでふと、エドガーはシャドウと再び合流した時のことを思い出す。そしてにやにやと男の方を見ながら口を開いた。
「ああ、でもやっぱり、万一その必要が生じても君にだけは依頼しないかな」
エドガーの思惑通り、その意味を問う怪訝そうな視線がシャドウから送られてきた。エドガーは笑みを深めた。
「だって、コロシアムでさんざん大衆の前に姿をさらしておいて、しかも私たちに負けてしまうような殺し屋が、これまで通りに変わらず完璧に任務を遂行できると思うか?」
シャドウは黙っている。表情こそ見えないが、余裕のある意図的な沈黙ではなく、言葉に詰まっていることが明らかな空気だった。少なくともエドガーにはそう感じられた。
ほんの少しだけせいせいしたような気分で、エドガーはインターセプターに再度呼びかけた。
「君はどう思う?」
インターセプターは、もう一度唸りながらエドガーを鋭く睨んだ後、そっぽを向いた。当たり前だが、先ほどから進展はない。むしろ主人を困らせたことで両者の関係は悪化したとみられた。
「多分一生慣れてくれそうにないな……まあ、まったくの無関心でいられるよりはマシか」
人間どうしの関係と同様、どうでもいいと思われているよりは、嫌われている方がよっぽどいい。
そう前向きにとらえ、エドガーは肩をすくめて笑ってみせた。
ややあって、シャドウは、砂漠の夜風に吹き消されてしまいそうなほどの声で言った。
「……そういうところは、多少弟と似ているのかもしれんな」