幸せを携えて

 

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 黒魔道士のとんがり帽子のつばの裏側には、何桁かの番号と並んで日付が刻印されている。

 工場で量産されていた僕たちの出自を踏まえれば、これは製造番号と製造日だろう。そのうち番号――僕の場合なら、「288」――がこの村における僕たちの名前だ。

 一方日付については、誰もあまり気にしていないようだった。何回か「この日付はなんなのか」と村の仲間たちに聞かれたことはある。その都度、これはたぶん製造日だろうと教える。

 だけど皆、ふうん、と納得はしても、そこに特別な意味を見出しているようすは見られなかった。

 

 ところがある日、とある黒魔道士がその日付のことを「誕生日」という名前で呼び始めた。こんなことは今までなかったので、正直なところとても驚いた。今思えば、コンデヤ・パタのひとにでも何か教えてもらったのかもしれない。

 驚きを隠しきれずに「誕生日?」と聞き返した僕を見て、その子は、ちょっと得意げに胸を張りながら教えてくれた。

「たんじょうびっていうのは、このよに生まれた日のこと。ごちそうや甘いものをたべたり、プレゼントをあげたりしておいわいする、たのしい日なんだってさ。でね、思ったんだけど、ぼくたちのぼうしにかかれてるのは、ぼくたちがつくられた日だって、まえに288号教えてくれたよね」

 ――だったら、これはぼくたちの「たんじょうび」なんだよね? 彼は僕にそう尋ねて、首を傾げた。

 確かに、「この世界に僕たちの体が存在するようになった日」ではあるので、その点で彼は間違っていない。

 けれど個人的には、単なる製造日に「生まれた」という意味を与えることに対する違和感がぬぐえなかった。むしろ、自我が目覚めた日こそが、そう呼ぶにふさわしいのではないかと思ったのだ。

 でも、とふと考える。それがいつだったかなんて、きっと誰も覚えていない。かくいう僕だってそうだ。「目覚めた」直後は戦場にいて、とにかく怖くてたまらなかった。当然日付なんてわからなかったし、そもそも自分の中に時間の概念があるかどうかすらあやしかった。

 結果として、僕はその黒魔道士の前向きな考えを受け入れることにした。

「そうだね……これが僕たちの『誕生日』だ。これからはそう呼ぼうか。そして祝おう、君が教えてくれたように」

 その答えに、彼は、嬉しそうに金色の目を細めた。

 

 僕個人の違和感を抜きにすれば、製造日を誕生日として扱うことは、この村においては素敵なことなのだとすぐにわかった。

 この村で過ごす黒魔道士には、同じ製造日を持つ者が少なくとも他に一人はいる。一番多いときなどは、五人が同時に誕生日を迎えたのだ。

 その日は朝から大忙しだった。何人かが、コンデヤ・パタからたくさんの食材と、贈り物を仕入れてくるという重大任務を与えられた。

 残った村人で、会場となる家の飾りつけをした。飾りつけといっても、具体的にどうするのかはあまりよくわかっていなかったけれど、とにかくにぎやかなふうになればいいと思った。村に生えている花を摘んできて花瓶に飾ってみたり、植物のつるを編んで輪っかのようにして、壁にかけてみたりした。

 こうして村総出で、仲間たちを祝った。といっても結局、主賓のうちの数人がいつの間にかごちそう作りを手伝っていたり、飾りつけに参加したりしていたので、もう誰がその日の主役かなんて、途中からあやふやになってしまった。

 でも、とにかくにぎやかで、楽しくて、とても幸せな一日だった。

 かくして、村人の誕生日にはとびきりのごちそうと贈り物を用意してお祝いをする――これが、いつの間にか村の慣習となっていた。

 

 もちろん、製造日から一年経過することが何を意味するか、考えなかったわけじゃない。誕生日を迎えた後の黒魔道士は、あとどれくらい話したり、遊んだりできるのだろうか。それを自分に置き換えてみると、胸がざわざわと落ち着かないような感じに襲われる。

 そして、ふと思った。こうして「誕生日のお祝い」をして幸せな思い出を増やすことは、限られた時しか持たない僕らの最後のあがきなのかもしれない。永い眠りのお供として携えていける何かが欲しくて、あがいているのだ。

 

 

 ところで、同じ黒魔道士でも、ビビの「誕生日」はさまざまな面で他の誰とも異なっていた。

 彼の帽子の裏側には製造日も何も書かれていない。それどころか、それらしき日付を見たことがないという。

 そこで気になって、いつだったかビビ達が村に立ち寄った際、尋ねてみたことがあった。

「君には、自分の『誕生日』と呼べる日に心当たりはあるかい」

 問われたビビはすぐに特定の日付をはっきりと述べた。八月の、夏の盛りの時期だ。

 聞いた側のくせに、予想していなかった答えを返された僕は、少し面食らってしまった。

「……いったいどうやって知ったんだい?」

「知ったっていうか、クワンおじいちゃんに決めてもらった」

 彼は少しはにかみながら答えた。養祖父に思いを馳せているのか、いつも優しい声が、懐かしむようにさらにやわらかさを帯びた。

「その日はね、ボクがおじいちゃんに拾われた日なんだ。それより前のことを何も覚えてないって言ったら、その日をボクの誕生日としてお祝いしようって、いっぱいごちそう食べてお祝いしようっておじいちゃん……言ってくれたから。結局、それはできなかったけれど」

 きっとそれが彼にとっての「目覚め」の日だったのだろう。自我の誕生という意味での、僕が本来ならこうであるべきと考えていた意味での「誕生日」だ。

 僕はビビのことがひどく羨ましかった。もちろん、こんなことは誰にも言えなかった。

 

 ビビやジタンたちとの出会いは、この村に刺激をもたらして、少しずつ良い方向へと導いてくれた。

 たまに立ち寄る彼らは、外の世界のことを何気ない会話の中で語ってくれる。その影響は特に大きかったかもしれない。もっといろんなことを知りたいと僕に教えを乞うてくる個体も増えたし、正直「ごっこ」の域を出ないくらいの質でやっていたような手仕事や大工仕事を極めようとする個体も出てきた。しばらくは、皆わりかしのんきに日々を過ごしていた。

 しかし、ある日そこに僕たちの「創造主」が姿を見せたことにより、村は大きく揺らいだ。ほとんどの村人が彼の言うことに従い、ここを離れた。

 ついていってしまった仲間たちが村に帰って来た時、彼らはひどく憔悴していた。無理もないだろう。自らの寿命についての真実を明かされたうえに、だまされ見捨てられ、苦労してここまで帰ってきたというのだから。

 中には、僕たちに与えられた時間のリミットについて「知っていたんだろう」「なんで教えてくれなかった」と僕を責める個体も何人かいた。それもまた仕方のないことだと思った。

 意外だったのは、それでも皆この村における誕生日の慣習はしっかり覚えていて、しかもそれをないがしろにしなかったことだった。

 僕らが誕生日を迎えるのは、製造日からちょうど一年後だ。その後どうなるのか、今となっては彼らもだいたい察しはついているはずだ。

 にもかかわらず、彼らはこれまでどおり、いや、これまで以上に誰かの誕生日には心を尽くしてお祝いをした。「本物の生命」――つまりチョコボが生まれたことも少なからず影響しているのか、これまでよりずっと誕生日のことを大事なものとしてとらえているような印象すら受けた。そして、祝われる本人もめいっぱい楽しんで、喜んでいるように見えた。

 この微妙な変化の理由について、僕にはすでに心当たりがあった。それと同じことを、うまく言葉にはできずとも皆なんとなく感じ取っているのではないだろうか。

 忍び寄る恐怖に飲まれないように、つらい記憶を上書きするように、ひたすらに幸せな思い出を作る。僕らの最後のあがきだ。

 

 そういうわけで、村には誕生日文化がすっかり定着していた。なので村にジェノムたちを受け入れた日も、黒魔道士たちは新しい村人相手に彼ら彼女らの「誕生日」を聞き出そうと苦心していた。

「誕生日……?」

 自宅を出て、道具屋の横を通りすがるところで、あるジェノムと黒魔道士の会話が聞こえた。ジェノムが何と答えるのか興味がわいて、少し離れたところで立ち止まり耳を澄ませた。

「そう、きみたちがつくられた――じゃなくて、生まれた日のことだよ。この村では、その日が誕生日のひとを村人みんなでお祝いするんだ」

「我々が創造された日を知るのは『管理者』のみだ。我々自身は把握していない。その必要もない」

 どうするのだろうと思いながら聞いていると、奇しくも、ここでビビのおじいちゃんがとった方式が採用されることになった。

「じゃあ、きみたちがここに来た今日が、きみたちの『誕生日』ってことにしようよ!」

「……な、何を言っている?」

 唐突な提案に、それまで一貫して無表情だった彼はあからさまに動揺を見せた。それは、この村に彼らが到着してから僕が初めて目の当たりにした、感情のようなものを伴う反応だった。

「ねえ、288号、どうかなあ?」

 黒魔道士は声を張り上げて僕の方をまっすぐ見た。盗み聞きは最初からばれていたようだ。きまり悪いのをごまかすように軽く咳払いしてから、僕は頷いた。

「いい考えなんじゃないかな? 人数を考えるとだいぶにぎやかなお祝いになるだろうけどね」

「でしょ? じゃあみんなにも言っておかなきゃ!」

 まごつくジェノムを残して、その黒魔道士は今決まったことを早々に仲間たちに伝えに行った。それは瞬く間に村中に広まり、さっそくジェノムたちの最初の誕生祝い兼、村への歓迎祭を開こうという話にまで発展した。

 黒魔道士たちが急にお祝いの準備で慌ただしく走り回るあいだ、ジェノムたちは所在なさげに立ち尽くしていた。僕は、もう少し後になったらその準備作業に合流すると仲間に伝えて、ひとまず当初の予定通り墓地へと向かった。

 与えられた時を全うした仲間たちが眠るこの場所を訪れるのは、もはや日課となっていた。毎日足を運ぶことで、確かにここで一緒に過ごしていたことを忘れないでいられる。

「288号……かしら」

 そこへ無機質な声で名を呼ばれて、振り向いた。軽くこちらを見上げてくる少女は、たしかミコトという名だった。ここに来た他のジェノムたちとは異なり、特別にたくさんの知識を与えられ、ある程度は感情も備わっているとジタンから聞いていた。

 そのことを踏まえると、無表情の中でも、瞳の中にどことなく疲れが見えるのは気のせいではないように思えた。

「そうだけど、どうかしたかな」

「あなたは『この村で一番の物知り』って聞いたわ。だから少しは話が通じると思って」

 ミコトは、まるでため息のように軽く息をついた。それを皮切りにして抑揚のない声で流れるように話し始める。

「誕生日、誕生日って……あの騒ぎは何? そもそも『誕生日』というのは、命あるものがこの世に生を受けた日。器として造られた私たちや、人の手で量産された人形のあなたたちには縁のない概念なのよ。そんなものを持ち出して、ましてや祝うなど、なぜそうまでして人間の真似事を――」

「ねえ、ミコトさん」

 静かに、ゆっくり語りかけるように名を呼ぶと、彼女は目を瞬かせて口をつぐんだ。意外にも聞く耳をもってくれるようだ。

「君たちジェノムのことはまだよく知らない。だから僕たちの話をするよ。確かに僕らは、最初は指示に従うだけのただの人形だった。でも今は、こうして自分の意思でしゃべってる。持ってる知識は限られているけど、一生懸命考えてる。悲しみもすれば笑いもする。食事だってできる。これは、人の『生』と何が違うのかな」

 問いかける形にはなったが、特に相手の回答を期待しているわけではない。僕はそのまま続けた。

「こんな僕たちでも、人のような『生』を、たとえ短いあいだでも得られたこと――それを皆で楽しく祝いたいって思った。君の質問への答えとしては、こんなところだ」

 ミコトは目を閉じてゆっくりと首を横に振った。納得どころか理解すらできない、そんなそぶりだった。

「あなたたちのこと、多少は知っているわ。製造から一年余りで止まるんでしょう。とすればあなたたちにとって『誕生日』を迎えるということは、じきに止まることのサイン――死の予告でもある。それを……怖いとは感じないの」

 彼女が「死」という強い言葉を使ったのはあえてのことだろう。事実をぼかさず、突きつけてくる。それは真摯な態度だと僕には感じられた。だから僕もごまかしたりはせず、正直な気持ちを伝えることにした。

「君の言うとおり、僕たちには『命』のリミットがある。それはもうみんなわかってることだ。表に出さないだけで、怖いと思っている子たちはたくさんいる。僕だって、怖い」

 いつかその時が来る。そしてその「いつか」は、僕たちにとっては遠い未来の漠然としたものではなく、ある程度はっきりと形を持って常に背後に存在している。そして日を追うにつれ、確実に一歩ずつ近づいてくる。

 じきに追いつかれるのだ。だから仕方がない、甘んじて受け入れよう――そんなふうに諦めて笑えるほど、この村の誰も達観していない。

「だからこそ……この世界からいなくなってしまう前に、この村で過ごした中でも一番楽しい思い出を作ることを僕たちは選んだ。今までつらいことはたくさんあった。でもそんなことを思い出しながら最期を迎えるのは嫌だ。最も幸せな記憶が鮮明なうちに、眠りにつきたいんだ」

 一連の言葉に耳を傾けていたミコトはゆっくりと目を開けた。わずかではあるけれど、彼女の端正な顔は今や無表情ではなくなっていた。

 ただ、その表情がどんな感情に起因するものなのかが僕にはわからなかった。見方によっては、僕たちを憐れんでいるようだ。一方でどこか怒っているような雰囲気も感じられる。やっぱり黒魔道士の考えは理解できない、そういう諦めが浮かんでいるような顔にも見えた。

 何も言わないミコトに背を向けて、かつての仲間の麦わら帽子が風に揺れるのを眺めながら僕は続けた。

「そんなわけだから、あと一、二年もすればこの村から黒魔道士は全員いなくなってしまうだろう。そうしたら、ここでジェノムのみんなに楽しく暮らしてほしいんだ。もちろん、誕生日を祝いながら、ね」

 最後は、慣れないながらもちょっと冗談っぽく言ってみた。それに対して彼女がどんな反応をしたのかはわからなかった。しばらくの沈黙の後、砂利を踏みしめて走り去る足音だけが背後に聞こえた。

 

 それから数週間経ったころ、大変な戦いを終えたビビが一人でひょっこり村を訪れた。これからはここに居を構えたいと言うから、もちろん歓迎した。

 聞けば、旅の仲間たちもそれぞれの帰るべき場所に戻ったのだという。ただ一人を除いては。

 

   ◆

 

 それから、何ヶ月かが過ぎた。

 その間、仲間が数名止まってしまった。日付にばらつきはあったけれど、彼らが誕生日を迎えた数週間後のことだった。一方で、本当にたまにだけれど、自我が芽生えた黒魔道士がどこからかふらりとやってくることもあった。

 この村の「慣習」は変わらず続いている。直近でその主役となるのはビビで、数日後がその日だった。かつての旅の仲間たちがお祝いに何人か訪ねてくるらしく、「エーコから手紙で報せがあったんだ」と嬉しそうに語っていた。

 その中に「彼」はいるのだろうか。ビビは言及しなかったし、僕もビビの前で言葉にすることはなかった。けれど、その時初めて、胸の奥底から何かが一気に湧き出るような感覚を経験した。どうか、どうにかして「彼」に来てほしい。そしてビビに会ってほしいという願いだった。

 ビビは、近頃眠っている時間が長くなった。起きて活動している時でも、動きはゆっくりとしていて、かつてのようになわとびやかけっこはできなくなっていた。重いものを持つことも少しずつ難しくなってきて、あるていど動いたらたくさん休まなければならなくなっていた。

 ビビが実際に製造されたのがいつなのかはわからないが、プロトタイプは僕たち量産型よりは長く時間が与えられている。クジャはそう言っていた。だからビビも、少なくとも僕が止まってしまうまでは動き続けるのではないかと勝手に思っていた。

 嫌な想像ではあるけれど、それはもしかしたら本当に僕の勝手な思い込みだったのかもしれない。

 こんな調子だから、僕とビビは、ちょっと前から僕の家で一緒に暮らしている。彼を自宅でひとり過ごさせるのがどうしても気がかりで、僕から提案したことだった。

 

 ビビの誕生日はあっという間にやってきた。手紙で指定された時間ぴったりに、玄関のドアがノックされた。

 ドアを開けて応対すると、見覚えのある橙色の旅装束に身を包んだ、物腰やわらかな女性が微笑んでいた。

「こんにちは、288号さん。お久しぶりです」

 この女性は、たしか以前は「ダガー」と呼ばれていて、今やアレクサンドリア王国の女王さまのはずだ。一国の女王を自宅に迎え入れるのは僕としても緊張する。

「ビビは奥の部屋にいます。ベッドに入ってはいますけど起きてますから……行ってあげてください」

 彼女は軽く会釈をして、その部屋の方へと向かった。

「失礼するのである」

「こんにちは、おじゃまします!」

 彼女に続いて、ビビのかつての仲間たちが次々とあいさつや会釈をして部屋へと向かっていく。体の大きなク族のひともいるので、六人全員が入りきれるかどうか心配だったけど、意外と大丈夫そうだ。

 玄関ドアの向こうに七人目がいないか、ひと通り外を見回した。一応、屋根のほうも見上げてみた。しかし期待していた人影はどこにもなかった。僕は静かにドアを閉めた。

 自分もビビ達のいる奥の部屋へと向かう途中で、ビビのひどく驚いたような、半分裏返った声が聞こえてきた。

「お、おねえちゃん!?」

 反応からして、きっと手紙には彼女の来訪については書いておらず、ビビ自身も予想していなかったのだろう。

「あ……え、えっと、女王さま、だよね。今は」

 開いたままのドアから中を覗いてみると、ベッドの上で上半身のみを起こしているビビは、もともと大きな瞳をさらに見開いて、なにやらあたふたと手振りをしていた。そんなビビの手を、女王さまは両手で包み込んだ。

「いいの。前みたいに呼んで、ビビ」

「大丈夫なの? ここまで来て。おねえちゃんすごく忙しいんじゃ……」

「あんたが何か気にする必要なんてないの! ベアトリクスとトット先生にちゃーんと言って、お許しをもらってきたんだから、ね!」

 青い髪の女の子が、女王さまの肩に触れながらその顔を覗き込んだ。アレクサンドリアの女王さまは、彼女と視線を合わせて微笑んだ。その横に立つ騎士さんが、拳を握りしめながら熱弁し始める。

「そう、ビビ殿は何も心配する必要などないのであります! ビビ殿にお会いするのは陛下のたっての願い。叶えないわけにはいかぬ! それに、自分もビビ殿の顔を見ることができて大変嬉しく思っておりますぞ!」

 女の子のよく通る高い声と、騎士さんの力強い声に、けっして立派とは言えない僕の家の壁がびりびりと振動した。

「……てめえら、声がでけえぞ」

「なによ、この相変わらずもじゃもじゃ男!」

「……」

 燃えるような髪色の、大柄な男の人は、自分よりもだいぶ小さな女の子にぴしゃりとはねつけられて、腕を組んで黙り込んだ。それを見ながら、竜騎士の装束をまとったネズミ族の女性が苦笑した。

「エーコにサラマンダー、おぬしらは変わらんのう……ビビ、これを。旅先で見つけてな」

 言いながら、彼女はビビの手のひらに何かをそっと乗せた。愛らしい、小さな木彫りのチョコボ像だった。黄色ではなく、よく晴れた夏の空のような美しい青色で塗装されている。

「わあ、かわいい! あ、なんだかちょっとボビィ=コーウェンに似てるかも」

「ああ、そう思って買ってきたんじゃ」

 弾むビビの声に、竜騎士の彼女は相好を崩す。そして、面白いことを教えてやろう、と内緒話でもするように少し声を落とした。

「こいつにはちょっとした言い伝えがあってな。三回頭を撫でてから願いごとをすると、その願いが叶うといわれておる」

「そうなんだ……じゃあちゃんとお願いごと、考えなきゃね。ありがとう、フライヤおねえちゃん」

「ビビ、今日のごちそうはワタシ腕によりをかけたアル。危うく味見で全部平らげるとこだったアルよ。この村も、前と比べたらだいぶマシな食材揃ってきたアルね! じっくり味わうがヨロシ」

「クイナのごはん、おいしいものね。ごちそう楽しみだなあ……あとで皆で食べるね」

 ク族のひとを見上げ、ビビは目を細めた。二人がそんな話をしているあいだ、青髪の少女は赤髪の大男のひじの辺りを突っついて、小声で尋ねていた。

「それで? サラマンダーは? まさかわざわざここまで来ておいてお祝いの言葉のひとつもないってことはないでしょうね。あんたの居場所突き止めるの苦労したんだからね」

 赤髪の男の人は、少女の言葉に肯定も反論もしなかった。無言のまま懐から小さな紙袋を取り出し、ずいとビビに差し出した。

 少し驚いたように目を瞬かせながらも、ビビはそれを受け取って中身を取り出した。

 ビビの手のひらにおさまってしまいそうな大きさのそれは、何かのお守りみたいに見えた。丸い木枠に、模様を描くように丈夫そうな糸が張り巡らされている。木枠の下の方には木でできたビーズの飾りがぶらさがっていて、上には細い糸が輪っか状に結びつけられている。

「お守り……?」

 ビビの疑問に答えるように、贈り主はぼそぼそと呟いた。

「本当かは知らんが、枕元に吊るしておくと悪夢を退け吉夢を呼び寄せる……といわれている」

「へえ、すごい。サラマンダー、素敵なものをありがとう。じゃあさっそくここにかけておくよ」

 その言葉通り、ビビは少し身を乗り出して、ベッド横の窓枠に打ち付けられていた釘にそのお守りを吊るした。

「ふむ、おぬしにもそういう一面があったとは。見直したぞ」

「うん……自分で言っておいて何だけど、正直、おめでとうの一言すら準備してないと思ってたわ」

「お前ら、なんなんだ……」

 竜騎士さんと小さな女の子にあっけらかんと言い放たれて、大男さんはいらだったようにその赤い髪をかいた。

 そのようすに、いよいよ耐えきれなかったとでもいうようにビビと女王さまが同時に吹き出し、そして顔を見合わせて笑った。

 

 それから一時間半ほど、それぞれの近況や、アレクサンドリアやリンドブルムの話なども交えての歓談で、部屋はいつもの静けさが嘘のようににぎやかになった。

 しかし、ふいに騎士さんが壁の時計を確認し、「陛下、そろそろ……」と耳打ちすると、女王さまの笑顔がさみしそうに翳った。

「ビビ、残念だけれど……そろそろ行くね」

「うん。みんな、来てくれて本当にありがとう。顔を見られてすごく嬉しかったよ……気をつけて帰ってね」

 そこで大人たちは、どことなく困ったように目くばせし合った。僕の勝手な憶測だけど、次ビビに会えるのがいつになるかわからないし、そもそも会えるのかどうかという点で疑念があるのではないかと思った。それで今ビビにかけるべき言葉に迷っている。そういう雰囲気だと僕には感じられた。

「……ありがとう。それじゃあ、ね」

「達者でな、ビビ」

 しかし結局、無難な表現に落ち着いたようだ。ビビが手を振るのを背中に受けながら、大人たちは部屋を後にした。

「……あれ、エーコ、どうしたの?」

 そんな中、女の子はひとり部屋に残ったまま不満そうに眉間にしわを寄せ、ビビの前に突っ立っている。

「ビビ……」

「ん?」

 彼女もまた、逡巡を見せた。しかしそれはわずかな間のことで、すぐにビビに掴みかからんばかりの勢いで口を開いた。

「ねえ。あんた、弱虫だったけど、弱くはなかったでしょ。だったら昼間っからベッドに入ってないで、外に出なさいよ。村のみんなにたくさんお祝いしてもらいなさいよ。クイナもすっごいごちそう作ってくれたんだから、いっぱい食べなさいよ」

 芯の通った、はきはきとした声が次第に曇っていく。そしてついに、何かを懸命にこらえているように幾度も声を詰まらせながら、彼女は続けた。

「それで……それでずっと元気でいてよ。せめて、せめて……」

 その先を言わせないかのように、ビビはさえぎった。声の調子はあくまで穏やかだった。

「ごめんね、エーコ。シド大公とヒルダさまにもよろしく伝えてね。あまり二人を困らせちゃだめだよ」

 うつむいて嗚咽をこらえていた少女は、その一言にぱっと顔を上げて目を吊り上げた。両目からは涙がひとすじ伝っていたけれど、声は少し鼻にかかりながらも、さっきまでの調子を取り戻していた。

「もう、一言余計なのよあんたは! いい、ビビ? また絶対に来るからね。手紙もしつこいくらい送ってやるんだから。返事をよこさなかったら飛空艇で村の横まで乗りつけてやるんだから!」

「飛空艇って森の中でも着陸できるんだっけ?」

「できるわよ! ……たぶん。今日は平地に着陸してから森を抜けてきたけど……」

 それまでの威勢はどこに行ったのか、急に自信なさげにもじもじとしだした少女に、ビビは小さく声を上げて笑った。

「わかったよ、ボクももう少しがんばってみる。だからエーコも元気で、またね」

「またね」という言葉に、少女の顔が一気に晴れ渡った。涙の跡を衣服の袖で乱暴に拭って、ビビに大きく手を振った。

「うん。またね、ビビ!」

 

 ビビの仲間たちを村の出口まで見送ってから、家に戻る。ドアを開けるやいなや、玄関に置かれたあふれんばかりの贈り物と、居間のテーブルに所狭しと並べられた豪華な料理が目に飛び込んでくる。思わず僕は苦笑した。

 本来なら誕生祝いの日には、村の皆でテーブルを囲んでごちそうを食べる。そしてその後に、主役がプレゼントを開けるのをわくわくしながら見守るのだ。

 だけど今日は、皆ビビの具合を気づかって、ひとまずプレゼントだけを置いていった。

 部屋を覗き込んで、窓の外を眺めていたビビに声をかけた。

「すごい数のプレゼントだよ。開けるのは明日にする?」

「うん、みんなには悪いけど、そうする」

 応じるビビの声は、少し舌足らずになっている。彼が眠たい時の癖だと知っていた。

「少し、寝るかい?」

「うん……」

「クイナさんの作ってくれたご飯はどうしようか」

「起きたらたべる。288号が先にたべててもいいよ……そうだ……きっとたくさん作ってくれただろうから、村のみんなに少しおすそ分けしてあげてくれないかな。プレゼントのお礼に」

「君がそれでいいなら、そうするよ。で、君が起きたら、僕も一緒にいただくことにしようかな」

 ビビはその提案を受け入れたらしく、半分目を閉じながらこくりと頷いた。

「じゃあ、適当な時間に起こすからね。おやすみ……」

 ゆっくりと横たわった体に上掛けを引き上げてやる。ビビがそっと目を閉じたのを確認してから、僕は部屋を後にして静かにドアを閉めた。

 プレゼントをくれた皆にお礼を言うがてら、クイナさんの料理をおすそ分けして回った。

 皆はビビのようすをひどく心配していた。仲間の何人かの家に招かれて、彼の状態について話をしたりしているうちに、気づけば日が傾き始めていた。夜眠れなくならないよう、そろそろビビを起こしたほうがよさそうだ。

 早足で家に帰り、そっとドアを開けて部屋を覗くとすでにビビは目覚めていた。午前中にもらった青い木彫りのチョコボを、左の手のひらに乗せて眺めている。

「かわいいね」

 呟くようなビビの言葉は、手のひらの置物に語りかけているようにも、僕に同意を求めているようにも聞こえた。とりあえず後者ととらえて返事をした。

「うん」

「この子、お願いごとを聞いてくれるんだよね」

「頭を三回撫でてから、ってフライヤさんは言っていたね」

 ビビは頷いた。そして、右手の指先で、まるで本物のチョコボの羽毛を撫でるような慎重さで、木彫りの鳥の頭を撫で始めた。

 一回、二回、そして三回。あまりにもゆったりとした動作だったものだから、ここだけ時の流れがゆっくりになったかのように錯覚した。それから一呼吸ほど置いて、ビビは口を開いた。

「どうか、どうかジタンが今もどこかで元気でいて――」

 彼が「ジタン」と呼ぶ声を久々に聞いた。彼自身、口にするのはずいぶん久しぶりだったのではないだろうか。

「――そしてみんなと会えますように」

 願いごとを言い終えると同時に、彼は瞳を閉ざした。その両手は、今は木彫りのチョコボを包み込むように握っている。そうすれば願いごとが確実に届くと信じているような動作だった。

「……ちょっといいかい、ビビ」

 ぱっと目を開け、軽く首を傾げ、ビビは不思議そうにこちらを見つめてきた。そのようすを認識してはじめて、僕は、自分が無意識に言葉を発していたことに気がついた。

 いったい何を言おうとしていたのだろう。戸惑ったのは一瞬で、その後は考えずとも続きの言葉がすらすらと出てきた。

「他人の願いごとにけちをつけるのもどうかと思うけど――『みんなと』じゃなくて『ボクたちと』だろう。君とジタンは、絶対にまた会える」

 村のみんなと話すときは、論拠のないことはあまり言わないようにしてきたつもりだ。彼らは物事の核心まで知りたがるうえ、「物知り」の僕の言うことを信じきってしまう傾向にある。

 だから、僕にわかることは教えてあげて、確証が持てないことやわからないことははっきりとそう伝えたり、そもそも聞かれない限り言わないようにしてきた。

 けれど今は、その壁をすり抜けて、言葉が勝手に口をついて出ていた。こんなことは初めてだった。

 

 ビビの蜂蜜のような色の瞳がまんまるになって、何回か瞬いた。そしてそれらは、満月が一夜ごとに欠けていくように、ゆっくりと細められていった。

「……うん、そうだね」

 

 夏の盛りにしては過ごしやすい、静かで涼しい夜のことだった。