忘れ種

本文表示きりかえ

 スピラの民はみなブリッツボールに目がない。しかし、プロの試合を実際に観戦できるのは一握りの者だけであり、大部分の者はスフィアモニターを見るか、試合が録画されたスフィアの流通を待つ必要がある。

 アーロンも例外ではなく、スフィアモニター越しに何度か見たことはあっても公式試合を観客席で直に見るなど夢のまた夢と思っていた。

 

 今、一行はブリッツシーズン真っ只中でにぎわうルカにいる。当初の旅程にはなかったが、ブラスカが寄り道を提案したのだ。

 ガードのうちひとりはあからさまに戸惑い、もうひとりのガードは嬉しさと興奮を隠しきれていない。予想していたとはいえ、その対比に召喚士は思わず吹き出した。

 真面目なガードには運の悪いことに、運良く三人分のチケットがとれたので、人でごった返す街中をスタジアムを目指して歩いていたのだった。

 そこらにある応援グッズの屋台はチームを問わず盛況だ。その中でもとりわけ人気の高い選手のポスターなどは、早い者勝ち、奪い合いの様相を呈している。

 ブリッツ人気は、周辺の店も潤す。照りつける陽射しの中でも、カフェはテラス席まで満員、酒場は言わずもがなだ。

 そのにぎやかな様子がいかにジェクトにとって異質に映ったか、彼の正直で無遠慮な(しかし、彼なりの配慮でかなり抑えた声で発せられた)、「スピラにも辛気くさくねえ場所はあるんだな」という言葉がよく物語っている。

 スタジアムの正面入口では、これから始まる試合に胸踊らせる観客たちが開場を今か今かと待ちわびている。ここで待っているとその熱気にあてられてしまいそうで、一行はスタジアムを囲むポートを散歩して時間潰しをすることにした。

「っと、いけねえ、忘れるとこだった」

 他愛もない会話の中、ふとジェクトが思いだし、スフィアを取り出す。

「アーロン、また頼まあ」

「使い方はわかるんだからいい加減自分で撮ったらどうだ?」

「土産なんだから俺様が映ってねえと意味ねえだろ?」

 そういうものだろうかとアーロンは内心疑問に思う。しかし、結局反論できないままに撮影係を仰せつかったアーロンは、釈然としないながらも、撮るからにはしっかり撮りたい。羽繕いするカモメを被写体にスフィアの調整を始めた。

「アーロン、怒ってるかい?」

 ふいに小声で尋ねられて隣を見ると、口元に微笑みをたたえた主と視線が合う。

「怒ってはいませんが……こんなことをしていていいのか、という気持ちはあります」

 今は主従の関係とはいえ、変な遠慮や隠しだてをする仲でもない。アーロンは思っていることを正直に答えた。

「そう思うのは間違っていない……いや、正しいよ」

 アーロンの意見にブラスカはうなずく。

「ただね、少し心配になったんだ。ずっと気を張っていると、ちょっとしたきっかけで簡単に折れてしまいかねない。ここらで少し緩めておいた方が、今後のためにはかえって良いと思ってね」

 異世界にほうり出されたかと思ったらすぐに魔物やシンのコケラとの戦いに駆り出されたジェクトのことを言っているのだろうとアーロンは理解した。

 確かに、ジェクトはあまり弱音を吐くことはない。いつもどこか余裕があるように見せたがるふしがあるが、それでは気が休まる暇もない。今日のように、少しくらいは気分転換が必要な時もあるのだろう。

 そう結論づけたアーロンは、スタジアムを目指し、少し先を歩くジェクトの日に焼けた背中を、少しだけ優しくなったような気持ちで眺める。

 そんなアーロンの視線の先を追って、ブラスカは苦笑した。

「まったく君は……ジェクトのことが心配なのは、それはそうだけど、自分のことも一度かえりみてごらん?」

 ぽんぽんと肩を優しく叩かれる。そこでようやく自分の肩肘にずっと力が入っていたのだということに気づく。今ブラスカがアーロンを見るまなざしは、主のそれでもなければ、召喚士のそれでもない。親しみがあって、やわらかく、そしてどこか懐かしい。

 まるで子どもの頃に戻ったような感じがして少し決まりが悪いが、このようなブラスカの前で笑顔にならないことは、アーロンには難しかった。緩んだアーロンの表情を見て、ブラスカは満足げにうなずく。

「スタジアムでブリッツを見るのは始めてだろう?存分に楽しみなさい」

 
 

   ◆

 
 

 開場のアナウンスと同時に、待ちかねた観客たちが一斉にスタジアムへと飲み込まれていく。ジェクトは自分の分のチケットをすでに持っていたのでその波に乗ってさっさと行ってしまったようだ。ブラスカとアーロンは、観客の勢いがおさまるのを待ってから入場することにした。

 人波をかきわけかきわけようやく観客席にたどり着くころには、軽快なチーム紹介のアナウンスが会場に響き渡っていた。アーロンはあわててスフィアを構える。

 アルベド・サイクスとグアド・グローリー。日頃の民族間の軋轢もブリッツの前では意味をなさないと見えて、選手の身体能力やプレースタイルに魅了されるファンは多い。隣席の、いかにも信心深そうに見える老夫婦が立ち上がってアルベド・サイクスの選手に声援を送っているのを見て、アーロンはその熱量に内心舌を巻く。

 紹介された選手たちは、軽くウォーミングアップを済ませるとそれぞれのポジションにつく。

 一瞬の静寂。

 そして、甲高いホイッスルの音とともにブリッツオフが宣言され、試合が始まった。

 身軽さが売りの両チームの戦いらしく、展開は目まぐるしい。軽快なパス回し、トリッキーな戦術。エース選手が華麗にタックルを避けると、ひときわ大きな歓声があがった。

 試合展開と周りの熱狂的な応援に気圧されながらも懸命にスフィアを構えていたアーロンだったが、試合が進むにつれ、スフィアを通さずに自分の目にこの光景を焼きつけたいと思うようになった。

 ふと気づいたころには、手元のスフィアはとりあえず正面に向けて目はスフィアプールにくぎ付けという状態になっていた。

「どう? アーロン」

 ブラスカが声をかけても、アーロンはスフィアプールから目を離さない。頬を上気させて、水面の光を反射するかのように琥珀色の瞳を輝かせるそのさまは無邪気な少年のようだ。

「目の前で見ると……圧巻ですね……」

 そのようすを横目で見るジェクトは、あからさまにおもしろくないという声を出す。

「けっ、こんなので圧巻たあ、ジェクト様のプレーを見せてやったらひっくり返っちまうんじゃねえの?」

「…………」

「……オイ! 聞けよ!」

「あっはっは、アーロンに振り向いてもらえるようがんばれよ、ジェクト」

 近頃戦いの場面で鮮やかなコンビネーションを見せるようになってはいたが、こういうところでもこのガード二人は妙な息の合い方をするのだった。

 

 予想以上の好ゲームに満足した一行は、人波に流されるままにスタジアムを後にし、ポートで一息つく。ジェクトがアーロンに向き直る。

「さっきの試合、ちゃんと撮ったか?」

「ああ」

 途中からスフィアそっちのけで試合に夢中になってしまったが、撮れてはいるはずだ。アーロンはうなずいた。

「だがわざわざ撮る必要があったのか? あんたのザナルカンドにもブリッツはあるんだろう」

 なぜルカの試合を撮影するのか。アーロンの言葉を、これだから素人はとジェクトは鼻で笑う。

「わかってねえなあ」

「研究、というわけか」

 ブラスカの言葉に、ジェクトは肩をすくめた。

「ま、ジェクト様にはどうでもいいけど? ガキがよ」

 おや、とブラスカは眉を上げる。

「君の息子もブリッツを?」

「ああ、ナマイキに俺に対抗意識を燃やしててな……」

 息子の話をするジェクトの面差しは、ぶっきらぼうな口調とは裏腹にどこか優しさを感じさせる。ふと、紅い目が、遠くを見るように細められた。

「……ちったあ背も伸びて、たくましくなったかな……」

 めったに弱音を吐かないはずの男が、このときわずかに揺らいでいるようにアーロンには感じられた。胸の奥が締め付けられるような感覚に戸惑って、なんと声をかければよいかわからない。

 その時、一部始終をスフィアにおさめていたアーロンと視線が合うと、ジェクトはごまかすように短く笑った。

「おら、こんなとこ撮るんじゃねえよ!」

「……ああ」

 アーロンがスフィアのスイッチを切ったのと、ジェクトが背を向けてさっさと歩きだしたのとはほぼ同時だった。

 

 今日の宿に着く頃には日も暮れはじめていた。アーロンが宿泊の手続きを済ませている間、二人はロビーのソファで待つ。

「いやあ、やっぱブリッツはいいねえ」

 これも息子への土産物だろうか、屋台で買った小さなブリッツボールのモチーフがついたアクセサリーを眺め、しゃらしゃらともてあそびながらジェクトは満足げにこぼした。その様子を見て、ブラスカは安心したように微笑む。

「それはよかった。君には物足りなかったらどうしようかと思っていたよ」

「へっ、何度ヘタクソって言いそうになったかわかりゃしねえ。まあでも及第点ではあったかな」

「近くに両チームのファンがいないことを祈るよ……」

 わざとらしく声を潜めるブラスカにひとしきり笑った後、ジェクトはブラスカから視線を外したまま、ぽつりとつぶやいた。

「気ィ、遣わせちまったな。その……すまねえな」

 ブラスカは小さく首を振る。

「気にする必要はないさ。たまにはこういう日が必要だと思っていた。それに」

 自然、視線は青年のすっと伸びた背中へと移る。

「君のことはもちろんだけど……彼も、ただまっすぐに走り続けるのを見てるとどうも放っておけなくてね」

「ああ、確かにあいつは少しくらい肩の力抜いたほうがいいわな」

「彼に負担を強いているのは他でもない、私なのはわかっているのだが……」

 ため息をつくようにつぶやかれた言葉がなぜか引っかかって、ジェクトは眉をひそめる。

「なあ、たぶんだけどあいつは負担なんて思ってねえんじゃねえか? おめえと一緒に『シン』をぶっ倒してユウナちゃんのところに帰る、それを望んでんだからよ」

 ジェクトの言葉に、はっとしたようにブラスカが顔を上げる。

「ああ……すまない、変なことを言ったね。うん、わかってるよ。アーロンが負担と思ってないということは」

 負担を強いていると認める一方で、負担と思っていないことをわかっていると言う。この矛盾に、わずかに話が噛み合っていない時の違和感を覚える。

「……なんか、含みのある言い方だな?」

 いぶかしげな表情で腕を組む。そんなジェクトに、ブラスカは少し苦しそうに笑いかける。

「君のこと、頼りにしてるよ。ジェクト」

 アーロンが宿の部屋の鍵を持ってこちらに歩いてきたところで、会話は途切れた。

 

 一見脈絡のないブラスカの言葉の意味をジェクトが知ることになるのは、もう少し先のことだった。