3.「おうさま」

本文表示きりかえ

 

 洞窟の中、ナルシェの民が拓いた坑道を歩く。やがてトロッコ用に敷かれたレールも途切れ、一行は人の手が加えられていない奥深くまで分け入っていく。

 たどり着いたのは、ウーマロが住まいとしていた空間だ。彼が骨彫刻用に使う石刀、その素材を調達するために一行はここまで来ていた。

「手伝うクポ」

 同行していたモグが、ウーマロの元に駆け寄っていく。

 彼らと一緒に来たはいいが、エドガーには石の良し悪しはわからない。今のところ自分の出番はなさそうだ。エドガーは傍らにあった大きな岩に腰かけて、ひと息ついた。

 その横に、荷物をいったん地面に下ろしながらカイエンが立ち、エドガーに笑いかけた。

「息が合ってますな、彼ら」

 カイエンの視線の先を、エドガーも追いかける。視界に入ったのは、モグがウーマロに指示を出して、そして指図された場所からウーマロが石を削り取っている光景だった。モグには、この洞窟内のどこに質のいい石があるのかがわかるようで、そこはいいあっちはダメだと次々と指示していく。

「ああ。なんだか不思議な光景だ」

 ウーマロも、そんなモグのことを信頼して従っている。彼ら二人の関係は興味深く、また微笑ましいものだった。

「ところで」

 カイエンが、視線をエドガーに戻しつつ話を転換させる。

「エドガーどのは帰らないのですかな」

「ん?」

「近頃フィガロには立ち寄っていないようでござるが」

 エドガーは頷く。カイエンの言う通り、触手を退治し城を再浮上させて以来、フィガロには戻っていない。一ヶ月は帰っていないだろうか。

「いつ何があっても対応できるように指示はしてある……だからしばらく城を空けてても、さして支障はないかな」

 もともと、リターナーに与することを決めた時から、大臣とごく限られた範囲の高官に対しては入念な指示を出していた。王の不在時、どのような場合でも対応できるような内容としたつもりだ。そしてそこには、エドガーの身に万が一のことが起こった場合も織り込んである。

「まあそれに、私がいない方が皆のびのびできるだろう」

 エドガーは軽口をたたいて笑ってみせた。しかし、カイエンは笑い返すことなく、思案するような表情で遠くを見つめる。

「エドガーどの……これはあくまで、拙者の意見にすぎないでござるが」

 そして、ゆっくりと切り出した。

「仕える主の顔が見えていると、それだけで心持が違うのでござる」

 士気にかかわるということ以上に、絶大な安心感をもたらすのだ、という。

「それに……どこか寂しいものでござるよ。主君のいない城というのは」

 寂寥と、そして強い後悔を含んだ横顔を、エドガーは見上げていた。

 カイエンはいったんそこで言葉を切り、静かに目を伏せた。そして、フィガロの人びとは前線に出る王を誇りに思っているのだろうが、と続ける。

「――もう少し顔を見せられればよりよいのではないか、と拙者としては思うのでござる」

 

 ドマ国王宮における国王と臣下との結びつきは、他諸国と比べて強い傾向にあるといわれていた。カイエンは特に、「サムライ」として側近を務めていたうえ、目の前で主を失った。そのため、主従という間柄に関しては強い思い、信念を持っているのだろう。

 カイエンの言うことがすべてそのままフィガロにも当てはまると思っているわけではない。しかしそれを差し引いても、痛いところをつかれたなとエドガーは内心苦笑していた。

 城の面々はエドガーに対し、頻繁に戻ってきてほしいなどと直接言うことはない。しかし、何か思うところがありそうだとは前々から感じていた。

 それを象徴する出来事もあった。最後に城に滞在したひと月前、城を出る朝のことだ。門を守っていた若い兵士が、思わず、といったようすでエドガーに声をかけてきたのだ。

『もう、発たれるのですか?』――その声と表情がずっと心に引っかかっていたのは、確かだった。

 その引っかかりを抱え続けるくらいなら、カイエンの言うように、もう少し城に戻る頻度を増やしても良いのかもしれない。

 

 ただ、エドガーには一つ懸念があった。

「しかし……皆に聞いてみないことには」

 一行の旅の計画の取りまとめは、エドガーが中心となって執り行うことが多い。であればこそ、自身の都合を持ち出して計画に組み込むのは気が引けた。

 ためらうエドガーに、カイエンは「何を言いなさる」と小さく吹き出してから言った。

「誰も反対などしないでござろう」

 仲間のためなのだから。穏やかで深い声が、エドガーの耳に残った。

「……うん」

 素直に頷くエドガーに、カイエンは小さく笑う。直後、姿勢を正してから軽く頭を下げた。

「差し出がましいことでしたな、国王陛下に対して」

 仲間に「陛下」などと呼ばれたことなど一度もないし、いざ呼ばれてみるとくすぐったくてかなわない。「やめてくれよ」とエドガーは顔の前で手を振った。

「――ありがとう。ちょっと、考えてみようと思う」

 礼を言いながら、そういえば、と思い出した。

「城の中には、ドマの文化に関心を持っている者もいてね。次フィガロに寄ったときは、ぜひ彼らに話を聞かせてやってくれないかな」

 しかし、カイエンはなぜかそこで目を泳がせる。

「いや、その、拙者は飛空艇に残るでござる」

「え?」

「ほら、あまり大勢で押しかけても大変でござろう?」

 頑なに辞退する態度にエドガーは首を傾げるが、すぐに理由に思い至って、深くため息をついた。

「カイエン……機械は取って食ったりしないよ。触らなければ何も起こらない」

 機械が苦手な身には、機械城などという場所は落ち着かないのかもしれないけれど、と付け足す。カイエンは、ぐ、と言葉に詰まった後、きまり悪そうに顔をそむけた。

「……わかっているでござる」

「なら、大丈夫だろう」

「む。し、しかし……」

「そうだ、カイエンどのには特別にエンジンルームでも見ていただこうかなあ」

 独り言を装って、わざと聞こえるように言ってやる。

「え、遠慮するでござる!」

 洞窟内に、カイエンの悲痛な叫びがこだました。

 その声に驚いたのか、ウーマロとモグが振り返ってこちらを見る。エドガーはそんな二人に、気にするなと片目をつぶってみせた。