祝い風の季節

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 世界を巡る旅の途中、噴き出す汗を拭いつつサウスフィガロにたどり着いたのは、つい先週のことだった。

 この町は今回初めて訪れたので、あまり詳しくない。フィガロ国滞在中に世話になる宿のおかみさんにそう話すと、次のように教えてくれた。

「せっかくこの時期にいらしたなら、ぜひお祭りを見ていってくださいな。この町は、国王生誕祭の日に一年で一番盛り上がるんですよ」
 

 そして今日が、その祭り当日だ。散歩がてら朝から町に繰り出してみると、まさしく彼女の言っていたとおりだった。

 町なかには色も形もさまざまな装飾がほどこされ、大通りの両脇には目の覚めるような色のテントをかまえた露店がひしめき合っている。

 路肩で行われる即興の演奏に合わせて歌う者あり、踊る者あり。老いも若いも市民も旅人も、みな思い思いに楽しんでいる。

「祭り」というのは気分を高揚させて非日常へといざなってくれる。それは異国の地であっても変わらない。気づけば、人懐こい町人と一緒に踊りの輪に加わったり、露店を冷やかしたりしながら、町をすみずみまで回る勢いで祭りを満喫している自分がいた。

 が、少しはしゃぎすぎたのかもしれない。容赦なく照りつける太陽に体力をかなり奪われていたようで、突然立ちくらみにおそわれた。よくない兆候に、いったん休憩をとることにして、まずは飲み水を求めて手近な露店に駆け込んだ。

「はい、どうぞ」

 数枚のギル硬貨と引き換えに、店番の少年からよく冷えた瓶を受け取る。ふたを開けて、中身を勢いよく一口、二口、三口流し込む。冷水が、乾いて張り付いていた喉をこじ開けてそのまま胃の中へと落ちていった。ひとまず渇きは癒えて、思わず大きく息を吐いた。

 そうしたところで、少年がまじまじとこちらを見ていることに気付いた。眉を下げて、心配そうな表情をしている。

「お客さん、よかったら少しここで休んでいきなよ。顔色がよくない」

 その申し出を断るだけの元気はなかった。気づかいの言葉に素直に甘えることにして、手招きされるまま、売り物の乗った台の向こう側へと回り込む。

 店のテントの影に入ってしまえば、突き刺すような日差しがさえぎられて、それだけでもずいぶんと楽になった。

 店頭に立つ少年の隣には、木製の折りたたみのいすが広げられている。そこに座るよう促した少年は、僕も少し休もうかな、と言いながらもう一脚を広げて自分も腰掛けた。

 店番はいいのかと尋ねてみると、「いいんだ……どうせこれからお客さんが減る時間帯だし」という返事が返ってきた。

 水を飲みつつ、分けてもらったドライフルーツ――栄養価が高く、疲労回復の効果があるらしい――をかじる。店の前を通り過ぎる人びとをぼんやり眺めていると、隣に座る少年が話しかけてきた。

「ところで、お客さんは旅の人でしょう。どこから来たの?」

 もう何ヶ月も前に出発した母国の名を挙げると、少年は目を丸くする。

「へえ、そんなはるばる……でも、一番いい季節にここに来たね」

 この盛り上がりようを見ると、フィガロ国民にとってはそうなのかもしれない。しかしその言葉に素直に賛同するのが少しだけためらわれて、一瞬言葉に詰まってしまった。

 その不自然な間を、隣の彼は聡く感じ取ったようだ。不服そうにわずかに眉をひそめられた。

 

 この時期がフィガロ観光に向いている、ということ自体を否定するつもりはない。

 洞窟を出た先に広がる、真夏の抜けるような青空。壮大で美しい砂漠。その中央に堂々とそびえ立つ機械城の光景には、遠目から見るだけでも圧倒される一方で、蜃気楼のおかげでどこか幻想的な趣もあった。灼熱の砂漠を歩いた後にありつく、よく冷えた水ほど美味いものはないし、そしてなんといっても今日の祭りだ。

 問題は、この国がこの時期暑すぎることだった。

 もともと暑さは苦手な方だ。夏季は別の地域に滞在する計画を立てていた。本来であればこの時期に砂漠地帯を訪れるつもりはなかったのだが、さまざまな事情が重なった結果やむなく今ここにいる。

 先日など、少しでも涼しい場所を求めて、この町から少し離れたところにある山を訪ねたくらいだったのだ。

 そう少年にこぼすと、彼はひどく驚いた顔をした。

「山って……旅慣れてるふうには見えないのに、無茶するなあ」

 失礼なほどに正直な彼の言葉だが、反論できない事情があった。

 
   ◆
 

 深い考えもなくその山に足を踏み入れたのは、二日前のことだった。

 とにかく、避暑のできる場所を求めていた。斜面を登っていき、青々とした草むらを踏みしめ、つり橋をおそるおそる渡っていった。

 あまり標高の高いところまでは行けないが、登っていくにつれて少しずつ霧が出始め、気温も若干ではあるが下がってきた。その中で鮮やかな緑と新鮮な空気を楽しみ、満足したところで、道中の洞窟で少し休んでから下山することにした。

 しかし、いざ来た道を戻ろうとすると、歩いても歩いても同じところをぐるぐると回っているような気がする。迷わぬようにとつけてきたはずの目印が、どういうわけか見つからない。

 

 のし、のし、と遠くから重たい足音が聞こえてきたのは、すっかり帰り道がわからなくなって途方にくれていた、まさにその時だった。

 他の登山者だろうか、とかすかな希望に舞い上がり、助けを求めるため声を上げようとした。

 そこでふと、山のふもとで目にした「熊出没注意」の傾いて古ぼけた看板が頭をよぎった。もし、この足音の正体が人ではなかったとしたら――そう思うと急に喉が絞られて、声を出すことができない。

 まだ熊と決まったわけでもないのに、思わず後ずさった。その拍子に枝を踏んでしまったらしい。ばき、と木の折れる音が辺りに大きく響いた。

 その音が向こうにも届いたのか、足音が一瞬止まった。少し後に再開した足音は、先ほどより速さを増して、今度は明らかにこちらに向かってくるのがわかった。

 もし熊だったとしても、決して声を上げずに、落ち着いてその場を去るのだ――何度も自分に言い聞かせながら息を詰めていると、

「誰かいるのか?」

 木々の影から、武闘家のような服装に身を包んだ大柄な男がひょこ、と顔を出した。

 先ほど自分に言い聞かせたことは全く役に立たなかった。驚いて大声を上げると同時に、安堵のあまり全身の力が抜けて、その場に尻もちをついた。

「おいおい、大丈夫かよ」

 側に寄ってきたその男に手を貸してもらって、何とか立ち上がる。

 てっきり熊がいるのかと思った。思わず漏らした呟きは、目の前の男にもしっかり届いたらしい。

「熊かあ……」

 何か思うところがあるのか、武闘家らしき男は苦笑して遠くを見るような目をした。気分を害してしまったかと非礼を詫びると、彼は軽く首を横に振った。

「いや、何でもない。それより、道に迷ったんだったらふもとまで連れてってやろうか?」

 ありがたい申し出に、力強く頷いた。

 こっちが近道なんだ、と慣れたようすで歩き出し藪をかき分け木の間をくぐっていく背中に必死についていく。その合間に、この山には野生の熊は今ほとんどいないこと、しかし万が一ということもあるので注意の看板は残していることを聞いた。

「近道」だという男の言葉は正しく、拍子抜けするほどあっという間にふもとまでたどり着いた。

「熊がいるにしろいないにしろ、あまりうかつに入らない方がいいぜ。地元のヤツですら迷うこともあるんだから」

 去り際にしっかりと釘を刺された。恥ずかしいばかりだ、とその言葉にしおらしく頷いた。

 直後、男が小さく笑った気配がした。見上げてみると、に、と歯を見せて笑っている。

 薄暗い森の中では気が付かなかったが、明るいところで改めて男をよく見てみると、まぶしいくらいに輝く金色の髪と、夏の青空をそのまま写し取ったような色の目が印象的だった。

 そんなことを思っていたところ、突然思いきり背中を叩かれた。すさまじい力に、思わずせき込んだ。

「ま、とにかく無事でよかったな!」

 その豪快な笑いに見送られながら、男とはそこで別れたのだった。

 
   ◆
 

 以上のいきさつを、店番の少年はどこかおかしそうな表情で聞いていたが、後半のあたりで何やら考え込むような顔つきになった。

 そして、こちらが話し終えた後に口を開く。

「この国の王さまのことは知ってる?」

 唐突な質問に戸惑いつつ、軽く首を横に振って答える。名前と年の頃くらいは聞いたことがあるが、詳しくは知らなかった。

「王さまには双子の弟がいてね、まあ実質兄弟で国を治めてるような感じなんだ」

 彼によると、弟の方はモンク僧でもあり、今でもたまに山中で修行をしているらしい。

「だから、お客さんが会ったのはもしかしたら、殿下……王さまの弟だったかもしれないね」

 声をはずませる少年には悪いと思いつつ、それはないだろう、と内心考える。

 旅人がたまたま地元の山を訪れて、そこでたまたま遭遇した者が、実は王族だった――いい土産話にはなりそうだが、偶然にしてはできすぎているような気がした。

「さて、と……体調はもう平気?」

 ふいに、少年が立ち上がってこちらを振り返る。「大丈夫そうならそろそろ行こうか」と言われ、どこに行くのか聞いた。

「広場だよ。この日にこの町に来たからには、見ておかなきゃ」

 販売台がわりの簡素なテーブルに「不在」の札を立てさっさと店を後にする少年を、あわてて追いかけた。

 大通り沿いの、露店街とでも呼べそうな一帯は、今はその店番も含めほとんど人がいなかった。一方で、少年と連れ立って歩く少し先には人のかたまりだ。皆、同じ方向――広場に向かっているようだ。

 その人波からは少し距離を取りつつ歩いていく。他愛のない話をしながら彼らの背中を追っていたところ、急に後ろから声をかけられた。

「君たち、ちょっといいかな」

 振り返ると、くるぶし丈ほどもありそうな日よけ用のケープをまとい、フードを目深に被った長身の男が立っていた。胸元に、深い青色の宝石をあしらった留め具が輝いている。

「これから広場に向かうんだろう。私も一緒にいいかい」

 頷く前に、隣に立つ少年を見ると、彼はあっけにとられた表情で男を見上げていた。

「……」

 その視線に気づいたらしいフードの男は、少年に向かって何か合図でも送るように片目をつぶった。そのとたん、先ほどまでの人懐こさはどこへ行ってしまったのか、少年は緊張したように背筋を伸ばした。

「――は、はい。もちろん」

 声もやや硬い。急にどうしたのだろうかと首を傾げていたが、「ありがとう。では行こうか」と男に促され、ひとまず歩みを再開した。

 とはいえこちらから振る話題も特にない。また頼みの綱の少年はなぜかすっかり恐縮してしまっているようで、どことなく緊張感のある空気のまましばらく歩いた。

 しかし目的地が見えてきたころに、そうだ、と少年が何か思いついたようにこちらを見上げてきた。

「このお兄さんにも話してみたら。さっきの『熊』の話」

「熊?」

 不思議そうに聞き返すフードの男に、先ほど少年にも聞かせた、山でのできごとをかいつまんで話した。

 男は穏やかに相づちを打ちながら聞いていたが、途中からその口元が緩み始める。そしてすべて話し終えたところで、こらえきれないといったようすで声を上げて笑いだした。

「ああ、そうか。熊、ねえ……」

 ひとしきり笑った後に彼は呟く。それとほぼ同時に、人だかりのできている広場に到着した。

 広場の中央へと続く道の左右に、市民が集っている。彼らは、広場を少しでも見やすそうな場所を探したり、おしゃべりをしたり、紙ふぶきや花火の準備をしたりしながら、何かを待っているようだった。

「……さて、ちょうど時間だな」

 男が懐中時計を取り出し、時刻を確認した。正午になるところだった。

「楽しい話をどうもありがとう。今日はこの町でゆっくり、存分に楽しんでいってくれ」

 こちらに笑いかけた後、一人歩みを進めながら、おもむろに男がフードを上げた。

 最初に視界に飛び込んできたのは見事な金色だった。輝くその色に日の光が反射して、思わず目をすがめた。

 続けて、男は両手を背中の方に回して羽織っていたケープを脱ぐ。その下から現れた、鮮やかな青色のリボンで二か所結わえられた長い髪が、風に吹かれてわずかに揺れた。「陛下」と誰かが叫んだのを聞いた。

 男は、ケープの下に白を基調とした礼装を身に着けていた。そのマントを翻らせながら、さっそうと広場の中央に設けられた演台へと歩いていく。途中、控えていた兵士にケープを預けた。

 演台の短い階段を上がった先には、すでに誰かが立っている。

 よく目を凝らして見てみると、それは見覚えのある顔で、驚きのあまり言葉も出なかった。

 今は武道着ではなくこちらも礼装に身を包んでいるが、山の中で助けてくれたあの男に違いなかった。

 その隣に「陛下」と呼ばれた長髪の男が並び立つ。何やら言葉を交わした後に笑いあう。一見しただけではそうでもないのに、笑顔は驚くほどそっくりで、双子なのだとすぐにわかった。

 この国を治めるのは双子の兄弟だ。先ほどの少年の言葉が思い出された後に、突然、頭の中で点と点が繋がった。

「あ……!」

 気がつけば、大声をあげていた。ぽかりと大きく口を開けたまま、思わず隣の少年を見る。

 さぞ間の抜けた顔だったに違いない。こちらのようすをうかがっていたらしい彼は、勢いよく吹き出した。しかしすぐに、気を取り直すように軽く咳払いをした後に、少し気取ったしぐさで帽子を傾けた。

「フィガロへようこそ、旅人さん」

 満面の笑みは年相応に無邪気で、楽しくてたまらないと語っていた。
 

 誰かが投げ上げた紙ふぶきが風にさらわれて舞っていく。それは、人びとの祝福の声も乗せて、雲一つない夏空のどこまでも届いていくようだった。

 夏はこの国を訪れるのに最も良い季節だ――ようやく、その本当の意味がわかった気がした。