10. 知ってる知らないキミのこと

エドガーのすべてを知りたいマッシュと、巻き込まれるロック氏。(エドガー不在)

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 旅の途中で立ち寄ったこの町には、手頃な価格帯の大衆酒場がある。今夜そこに行かないかとロックに声をかけてきたのはマッシュだった。

 彼からのこうした誘いはめずらしい。しかもエドガーやセッツァーなど他の者には声をかけていないという。ロックは不思議に思ったが、酒の誘いは断らない主義だ。二つ返事で了承した。

 

 宵の口、賑わう広いホールで人の間を縫って卓につく。マッシュは二つ折りのメニューをロックに差し出しながら言った。

「どれでも好きなの頼めよ。今日は俺が奢るからさ」

 何か裏があるな、とロックは直感した。

「お前金持ってんの?」

 問われて、マッシュは衣服のポケットから手のひらほどの大きさの麻袋を取り出した。どうやら彼の財布のようだ。

 袋の口を開けて、中を覗き込み、一瞬の沈黙。大男はからりと笑った。

「まあ足りるだろ」

 不安である。

 念のため自分の財布の中身を思い起こしたロックだったが、暴飲暴食しなければ大丈夫だろうと高をくくった。それに、いざとなればマッシュにエドガーを呼びに行かせて払ってもらえばよい。そうと決まればさっそく店員を呼び、何の憂いもなく適当な食べ物と酒を注文した。

 それからロックは、目の前の男に対して宣言した。

「さて、マッシュよ、俺は回りくどいのが嫌いだ……本題に入ろうぜ」

 言葉の意味を掴み損ねたのか、マッシュは眉をひそめる。ロックは続けた。

「俺に何か頼みごとがあるんだろ?」

「え……」

「それも、エドガーのことで」

「す、すごい。よくわかったな」

 特に根拠があるわけでもなく、直感に頼ったあてずっぽうだった。しかし称賛の言葉とまなざしを受けるのはまんざらでもないので、そのことは言わずに黙っていることにした。

「ロックさまにかかればこんなもんよ……で、何を頼みたいんだ」

 マッシュは一瞬ためらったようにも見えたが、意を決したように「依頼」の内容を明らかにした。

「ロックが知ってて俺が知らない兄貴の情報を、できるだけたくさん教えてほしいんだ」

「――ほう、そりゃまたどうして」

 いろいろと気になる点はあったが、まずは詳しく理由を聞くことにして説明を促した。

 マッシュはわずかにうつむき加減になり、訥々と語り始める。

「……俺と兄貴はさ、ちっちゃい頃はずっと一緒で、お互いのことも全部わかってて、それが当たり前だった。それが十年離れ離れになって……その間の兄貴のことを俺はよく知らないし、兄貴もなんでかあまり話してくれないんだ。でも、その十年の間にお前と兄貴は知り合ったんだろ?」

 経緯が語られている間も、頼んだ料理や酒が次々と到着しテーブルを埋めていく。ロックはそれらを適当につまみながら話を聞いていた。

 マッシュは自らは料理に手を付けず、一呼吸置いた後、やや表情を曇らせながら続けた。

「俺の知らないことをロックは知ってるんだなあって思うと、こう、すごくもやもやしちまって。しばらくずっと嫌な気持ちになっててさ。でもある時思ったんだ、いっそ直接聞いちまった方がすっきりするかな、って」

 その考えに至ったところまではよかったのだが、思考とは裏腹に、感情はなかなか折り合いがつかなかったのだという。

「ただ、そのもやもやをロックに直接ぶつけちまうのはもちろん嫌だし、隠したまま聞くのもそれはそれで……なんか虫がいいっていうか、悪いような気がしてさ。だからせめてこれくらいはしようかなって思ったんだ」

 言いながら、マッシュの視線はテーブルに所狭しと並んだ料理に移る。この奢り作戦は、ロックに対する彼なりの配慮の表れということらしかった。

 呆れるほどの実直さにロックは深く感心した。そして、てっきりエドガーのことしか見えていない男だと思っていたが、その他の者に対する配慮もそれなりにできるらしい、などとこのうえなく失礼なことを考えた。

 マッシュの思いは――完全に理解できたわけではないが――なんとなくわかった。しかし彼の望みをそのまま叶えてやるのは難しいようにも思えた。ロックがその旨をそのまま伝えると、マッシュは勢いよく椅子から立ち上がった。

「な、なんでだよ」

 椅子の脚が床をひっかき、耳障りな音がその場に大きく響いた。まわりの非難するような視線を浴び、大男はその体を縮こませてそろそろと座りなおした。

「単純なことさ。そもそもお前が何を知ってて何を知らないかが俺にはわからない。だからどこから話せばいいかも、わからん」

 きょとんとするマッシュの表情が、その発想はなかった、と語っている。ロックは毒気を抜かれて思わず笑いが漏れた。

 それに――ロックは心の中で、今のマッシュの話の中で少し引っかかった点を思い起こす。過去のことに固執しすぎてはいないか、という懸念だった。

 ここまで踏み込むのはお節介がすぎるかもしれない。そう思いつつ、目の前の男のため、そしてその兄のためを思い、少々照れくさい感じはあるものの、ロックは言うことにした。

「それに、まあ過去のことも大事かもしれないけど、もっと大切に思うべきなのは未来のこと――これからのことじゃないかって俺なんかは思うけどな」

 マッシュはわずかに目を見張った。そして、ふ、と表情を緩ませて、神妙にうなずく。

「うん……そうだな。確かに、そうだよな」

 だから無理にすべて知ろうとする必要もないのではないか――そう続けようとしたロックだったが、その隙は与えられなかった。その前にマッシュがあっけらかんと言い放ったからだ。

「じゃあさ、今から俺の記憶にある範囲で兄貴の生い立ちを聞かせるから、それ以外でロックの知ってることを全部教えてくれよ」

「おいおい、ちょっと待て」

 今の話の流れでなぜその結論に至るのか。ロックは思わず頭を抱えた。そのようすを見て、マッシュは不思議そうに首を傾げている。

「ん? 俺、なんかおかしなこと言ったか」

「いや……話の流れ的に、そうはならないんじゃないかと思ったんだけど」

 目の前の男は、曇りひとつない透き通った瞳を何回か瞬かせて意外そうにロックを見つめた。そして、道理が通じない子どもになんとかわかってもらおうとでもするように、ゆっくり丁寧に説く。

「あのなロック。俺にとっては、兄貴のこれまでもこれからも今も、全部がすごく大事なんだ。全て知ったうえで大切にしたいんだよ。この気持ちと、さっきお前が言ったこととは別に矛盾はしないと思うけどな」

 当然であるかのように紡がれた言葉、その背後に圧縮された途方もない熱量をひしひしと感じる。それにあてられて、ロックは頭痛がする思いだった。

「その……そうだ、今お前が言ったこと、エドガーに直接言ってやったら? 泣いて喜ぶだろ。ここの勘定は俺が済ませとくからさ、これからあいつのとこ行って伝えてこいよ。うん、それがいい」

 畳みかけるようにロックは提案した。内心必死だった。

 この男に兄のことを語らせたら長いのだ。しかも今さっき垣間見た熱量を伴うとすれば、まず間違いなく夜が明ける。貴重な休息日の夜がそれに費やされるのは勘弁願いたかった。

 しかし、ロックの願いむなしく、マッシュは頭を軽くかきながらはにかむように笑った。

「いやいや……できないよ、そんなの。照れるだろ」

 

 その数日後。

 やたらエドガーのことに詳しくなったロックがことあるごとに彼の幼少期の話を持ち出して本人を気味悪がらせるようになったのは、そしてマッシュがそのようすを面白くなさそうに眺めていたのは、また別の話である。