11. 悪魔はどちら

本当にひどいのは女たらしの兄か、その弟なのか。年齢制限としてはかけていないですが、後半にキス描写など不健全さが漂うのでご注意をば

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 フィガロの砂漠に降り注ぐ日差しは、今日はとりわけ強かった。 

 フィガロ城からファルコン号の停泊場所まではそう遠くはなかったが、その距離を歩いただけでも汗が吹き出してくる。飛空艇まで戻ってきたマッシュたちは、日よけのマントについた砂を手早く払い、タラップを登った。

「もう喉からっから。早くなにか飲もうよ」

 デッキから船内へとつながる階段を下りているところでリルムが提案する。その後ろを行くマッシュは外套を脱ぎながら同意した。セッツァーも、反応は示さなかったが同じ心境なのだろう。黙って二人の後についてきた。

 荷物を下ろし装備を解いて身軽になった一行は、食堂兼用となっている談話室へと赴く。そこで三人を出迎えたのはロックだった。

「おー、お疲れ。ずいぶん遅かったな」

「エドガーのせいでね」

 冷ややかに言いながら、リルムはグラスを棚から出して水差しの中身を注いだ。

「へえ? そういやそのエドガーがいないな。城に置いてきたのか」

「知らないもん、あんな人」

 少女のかなり突き放した言い草にロックは片眉を上げる。それ以上語ろうとしないリルムの代わりにセッツァーが答えた。

「結婚の約束を反故にしたとかで女を泣かせてな。今一生懸命とりなしてるところだ」

 一瞬で怪訝そうな顔になったロックがマッシュに視線を向けてくる。

「……エドガーのやつ、いいなずけなんかいたっけ?」

「いいなずけっていうか……」

 その表現は正確ではなかった。もっとも、相手のほうからすれば「いいなずけ」に近い心境だったのかもしれないが。マッシュは苦笑いしながらロックに対し説明する。

「城に、『将来は陛下のお嫁さんになりたい』ってずっと言ってる女の子がいてね。七つか、八つくらいかな」

「あ、俺も前会った気がする」

「兄貴も兄貴でまああんな感じだろ? もっと大きくなったらねとか、毎回そんなことを言っていたんじゃないかな。で、その子がそれをずっと信じてたみたいで」

 そして今回フィガロ城に戻った際も、彼女からエドガーに対してその話が持ち出された。「へいか、いつになったらケッコンできるの?」と無邪気に尋ねる少女のきらきら輝く瞳を思い出して、マッシュはため息を漏らした。

「てっきりそこはうまくかわすと思ってたんだけど……兄貴、その子にはっきり言ったんだ。『本当に申し訳ないけれど、結婚はできないよ』って。そしたらもう、場が荒れに荒れちまって」

 続きをセッツァーが引き取る。グラスを持っていく口元は楽しそうに吊り上がっていた。

「その子を落ち着かせるまで時間がかかりそうだからって、俺らは先に戻ってきたってわけだ。まァ、てめえの不始末はてめえで片づけてもらわんとな」

 経緯をおとなしく聞いていたリルムが、グラスを両手で包み込む。顔中を涙で濡らしていた女の子に思いをはせているのだろうか、複雑そうな表情でつぶやいた。

「……できない約束をするなんて、ひどいよ」

「おお、確かにひどいよな。あいつは悪魔だ、悪魔」

 ロックが、少女の言葉に全面的に調子を合わせてやや大げさにはやしたてる。そのようすを眺めていたセッツァーは声を上げて笑った。そしてマッシュへにやにやと視線を向けてくる。

「お前はいつでも『兄貴』の味方だろうが、今回は分が悪そうだな?」

「いや、確かにひどいと思うよ」

 ぽつりとこぼしたマッシュの一言に、マッシュ以外の三人の表情が固まった。その場が水を打ったようになった。

 そして次の瞬間、三人は互いに顔を見合わせ声を落として話し始めた。

「……反抗期だ」

「反抗期か」

「反抗期なの?」

「なんだよリルムまで……」

 どうにも調子が狂う。気を取り直し軽く咳払いをしてからマッシュは続けた。

「別にそんな大層なことじゃなくてさ。ただやっぱり、誰かを泣かせてしまうっていうのはあまり気分のいいものじゃないなって思っただけだよ」

「見上げたもんだねぇ。あいつは弟を見習うべきだな」

 セッツァーがなぜかつまらなそうにぼやく。対して、リルムは少し気分が上向いたと見えて笑顔が戻ってきていた。

「なんだ、わかってんじゃん筋肉男。それエドガーにもちゃんと言い聞かせておきなさいよ」

 言っておくよ、と適当に返事をしながらマッシュは水のグラスを持って席を立つ。これ以上この話題につきあう気にもなれず、自分と兄にあてがわれた客室に引っ込むことにした。

 

 結局、エドガーが飛空艇に戻ってきたのはそれから一時間ほど後だった。

 客室の寝台に寝転がりながら、エドガーが置いていった本を読むともなしにページをめくる。そうしていたところで軽くドアをノックする音が聞こえた。

 マッシュが体を起こすと同時にエドガーが入室してくる。兄の表情には、旅から来るものだけではない疲れが色濃くにじんでいた。

「おかえり。だいぶ絞られたみたいだな」

「ああ、ばあやからかなりお叱りを受けた。でも、あの子にはひとまずわかってもらえたと思う」

 そう確信しているというよりは、そうであってほしいという願望がうかがえる声色だった。苦く笑いながら、エドガーは身に着けていた鎧を外し軽装になった。

「しかし……今日は特に暑かったな。ちょっと歩いただけで汗まみれだよ」

 そのまま上の衣服を脱いで薄手のシャツへと着替える。

 後ろ髪が暑いのだろうか。エドガーは右手を首の後ろに回し、掬い上げた髪を前の方へと流した。さらされた首筋に汗で濡れた髪が張り付いている。

 それを目の当たりにした瞬間、突然、マッシュの背に寒気のような興奮が走った。それは次の瞬間には強い衝動に姿を変え、殴りつけるように襲いかかってきた。

 抗えず、ふらつく頭で、マッシュはベッドから立ち上がった。そして半ば自分の体ではない感覚を覚えつつ操られるようにしてエドガーの後ろに立ち、呼びかけた。

「兄貴」

「なんだ、お前も俺に説教か?」

 エドガーが自嘲するように薄く笑いながら振り向く。

 マッシュは、そんなエドガーの顎をつかみ無理やり上向かせた。言葉を発したままの形で開いた唇を自分のそれで覆い舌をねじ込ませる。もう片方の手は、エドガーの腰に回し固定する。エドガーは拘束から逃れようとマッシュの体を強く押すが、抵抗は実らなかった。

 口内を一方的にまさぐった後、マッシュはエドガーの着替えたばかりのシャツの襟に手をかけた。

「マッシュ、ここでは――」

 制止の言葉も、どこか遠くに聞こえる。シャツのボタンを半ば強引に三つ目まで外したところで、日に焼けていない鎖骨が暴かれる。舌を這わせると、汗の塩気と、これまでに何度も賞味した肌の甘い味がした。マッシュはそこに歯を立てながら、強く吸い付いた。

「――っ!」

 鋭く息を飲む音が耳に届いた。それと同時に強い力で両肩を押され、マッシュはエドガーの体から引き離された。

「……いったいどうしたんだ、急に」

 わずかに息を乱しているエドガーの問いに対応する答えを、マッシュは持ち合わせていない。

「それに、跡は残すなとあれほど言っただろ」

「ごめん」

 全く悪いと思っていないのが明確な謝罪に、エドガーはいらだったように深く息をついた。まぶたを伏せて、今しがた弟に傷つけられた胸元を見下ろす。噛み痕にはわずかに血がにじんでいた。

「ああ、これは……しばらく残りそうだな」

 言葉自体は遠回しに非難するようなものだった。しかしその声の裏に潜むものの正体を、マッシュは、理性よりも先に、首の後ろをざわりと這う感覚をもって知った。

 伏せられていたエドガーのまつげがひとつ震えた後、ゆっくりと上がっていく。そのさまにマッシュの視線は縫いとめられたように動かない。

 やがてあらわになった瞳の中には、マッシュだけが映っていた。

 その薄らと潤む青い空間に自分が居座り続ける限り、きっとまた誰かが、成就しないエドガーへの思いに泣くことになるのだろう。マッシュは熱に浮かされた頭で他人事のように考えた。

「どうしてくれる、マッシュ」

 唾液で濡れた口唇が笑みの形にゆがめられ、誘い込む。いざなわれた先に潜む舌は蜜の味がした。

 

 本当に「悪魔」の謗りを受けるべきは誰なのか、マッシュは知っている。