エバーラスティング・スイート・メモリーズ

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 ガウを彼の父親に会わせる――そのために、猛特訓が開始された。まずは宿の食堂の一角を借りて、テーブルマナー講習だ。存外マナーに厳しいマッシュが、ガウの一挙一動を指導する。

「いつも豪快ゆえ、ともすると忘れそうになってしまうでござるが……」

 カイエンが、少しだけ苦笑いしてから、続ける。

「さすが王族ですな。いや、しっかりしているでござる」

 ストラゴスが同意するように頷く。

「リルムも一緒に習ってきたらどうゾイ?」

「うるさいなあ」

 リルムは、笑いながらの祖父の提案を不機嫌に一蹴した。

 講習にはいつの間にか言葉遣いの指導も加わっていた。口癖を矯正するのはなかなか難しい。手も動かしながら教わっているから、よけいに混乱してしまうだろう。リルムは、苦戦しているガウにひそかに同情した。

「ふう……熱心だなあ、マッシュは」

 俺まで疲れてきた、と先ほどまでマッシュを手伝っていたロックが、リルムの隣の空いている椅子に座った。同じく手伝いを一時中断してきたらしいエドガーも、ロックの隣に腰かける。

 弟を指して、あいつはまじめだからな、と言うエドガーの目じりが下がっているのを、リルムは目ざとく見つけた。

「何にやついてんの、色男」

「ああ、やめとけリルム。こういうときのコイツの話はなっげえぞ」

「聞く前からそれは失礼じゃないか?」

 エドガーはロックに対しわざとらしく眉をひそめてみせたが、すぐに再び破顔する。

「いや、幼少期のことを思い出しただけだよ」

 

 エドガーの語る思い出話を要約すると、こうだ。

 幼いころのマッシュは、相手によって言葉を使い分ける、ということがあまり得意ではなかった。

「殿下。『うん』ではなく『はい』ですよ」

 受け答えをするときの言葉遣いについて、そのように世話役に言い含められ、兄と接するときにも丁寧な言葉を使うようになった。

「マッシュ、あそびに行こう」

「うん……じゃなくて、はい、エドガー」

 幼いエドガーは、弟に丁寧な言葉を使われると、どうもよそよそしく感じてしまって面白くなかった。

「マッシュ、ぼくには『はい』じゃなくて『うん』って言って」

「え? でもばあやは……」

「ね、言ってごらん」

「う、うん、わかったよ、エドガー」

 混乱させてしまうのはわかっていながら、素直に言った通りにするマッシュが子ども心にいじらしくて、他の敬語についても同じようなことをしていた。そんなことをしているものだから、マッシュに対しては、しばらく世話役による丹念な言葉遣い指導が続いたのだそうだ。

 

 その丹念な指導が今のマッシュに受け継がれているのかもしれない、というのがエドガーの分析だった。

 幼い兄弟のやり取りを想像していたリルムは、気持ちはわかるかもしれない、と思いつつ、素直に同調する気にもなれず、「イジワルねえ」という感想にとどめた。

「可愛くてな、つい」

「マッシュもかわいそうになあ」

 リルムの論調に乗っかったらしいロックがしみじみと頷いていると、講習をいったん休憩にしたマッシュがこちらに向かってきていた。

「かわいそう? 何の話だ?」

「エドガーがお前にイジワルしてた話」

 マッシュはきょとんとして兄の方を見る。

「なんだそりゃ? イジワルなんてされた覚えないけど」

「忘れてるならそれでいいさ」

「ええ? そう言われるとよけい気になるぜ」

 くつくつと笑うエドガーを、マッシュは困ったように見ていたが、ふと視線を投げた先のガウの行動に、慌てて走り去っていく。

「あっ、ガウ、ナイフはそうやって使うもんじゃあないって……」

 休憩を打ち切って再び指導に戻った弟を眺め、エドガーはぽつりとつぶやく。

「……ちょっと、熱心すぎるかな」

 今の話の流れだとお前のせいだろうが、とエドガーの肩に軽くパンチをくらわせるロックに、リルムは思わず吹き出した。

 

   ◆

 

 場所は変わって、今度はリルムたちは服屋に来ていた。ガウに似合い、かつきちんとした服を見繕うためだ。厳しいマナー指導の後に、ああでもないこうでもないと服を着せられ続けているガウの顔には、あからさまに疲れがにじんでいる。

 今は、タキシードを手にしたエドガーと、バンダナを握りしめているロックがにらみ合っているところだった。

 ふと、ガウに似合いそうな服をあれこれと選んでいたティナの手が止まったのを見て、リルムは首をかしげた。

 興味深いのでそのまま見ていると、白い衣服を手にとって、しげしげと眺めている。かと思ったら、同じくハンガーをかき分けかき分け衣装を選んでいたセリスの元にその服を持って駆け寄った。
 
 しばし、彼女らのひそひそ話。そして二人して急にぱっとこちらを振り返ったので、リルムは少々たじろいだ。しかし二人の視線の先にはリルムではなく――

「……エドガー?」

 どんなにかすかな声でも、エドガーが女性の声を聞き逃すなどということはないのだろう。

 ロックとのにらみ合いがつかみ合いの喧嘩に発展していたエドガーは、ティナの小声に即座に反応する。ロックの手を振り払い、柔らかい笑みを浮かべて振りかえった。

「なんだい、ティナ?」

 さっとエドガーの目の前に差し出されたのは純白のブラウス。

「これ、着てみてほしいの」

 衣装を差し出すティナの後ろでは、セリスが静かに目を輝かせている。

「……ん?」

 細かい装飾が入っているようだが、距離があって見えづらい。リルムは目を眇めていたが、あきらめて椅子から立った。突然の提案に面食らっているエドガーと並んで、間近でブラウスを観察することにしたのだ。

 裏から見ただけでは何の変哲もない真っ白なブラウスだが、表を見ると、立て襟から鎖骨あたりまでの部分が美しいレース編みになっている。襟元には、白くつややかな素材のリボンタイ。

 件のレース編みの部分は胸元までで終わり、そこから裾にかけては、シンプルながら上質そうな素材に切り替わっている。

 夜空を思わせる深い青に、月のような細い金色で縁取られたボタンが、前身頃に縦一列に配置されていた。袖口は花びらのように広がっており、手首あたりをボタンと同じ色合いのリボンで絞るようになっていた。

 繊細なつくりの衣装だ。決して華美ではないが、一度目に留まると思わずじっくり観賞してしまうような美しさが宿っている。それは一言で表すなら、

「王子さまの服って感じね」

 リルムの総括にティナは少し首を傾げたが、思い当たる「王子さま」のイメージを彼女の中で見つけたのだろう、ほどなくして嬉しそうに頷いた。

「どうして、私に?」

 笑みは崩さないが明らかに困惑しているエドガーに、ティナとセリスの声が重なった。

「着なれてそうだし似合いそうだから」

「……自分で着たいとは思わないのかい」

「自分が着るより、誰かが着ているところを見たい服だと思ったの。それにこれ、男性用でしょ」

 ティナが、そう言うセリスの肩にブラウスを当てる。確かに、セリスの肩幅よりいくぶん広いようだ。

 一度着て見せないと解放されないと判断したのだろう、エドガーは食い下がることをせず、素直にその服を受け取った。

「わかった。着替えてくるから、ちょっと待ってなさい」

 ブラウスと合わせる適当なスラックスを店員に見繕ってもらいながら、エドガーは試着室へと消えていった。

「ああいう男性ものの服は、よくあるんですか」

 待っている間、セリスが店主に尋ねているのが聞こえる。

 店主の話だとあまりないらしいが、あの服に関しては、貴族の町ジドールで貴族の子弟や愛好者向けに作られたものだろうということだった。

 

「待たせたね」

 数分後、穏やかな声にティナが振り返り、わあ、と声を弾ませた。

 ティナとセリスの見立ては全く正しく、エドガーは特に違和感なくそのブラウスを着こなしているように見えた。しかし、本人は居心地悪そうにしきりに身にまとった衣装を見ている。

「こういうの着るのは久々でね……なんだか、落ち着かないな」

「心配しないで、似合ってるわ」

「ええ、とても」

 普段大笑いすることなどもないセリスとティナの、花が綻ぶような笑顔は、見る者全員を幸せにするのだろう。周りの大人たちの表情からそう感じたリルムは、自分もつられて頬を緩ませた。

「さすがね……」

 一言つぶやいたセリスが、急に真剣な眼差しになった。

「今度は何を思い付いたんだ、セリス……」

 半ば諦めているらしいエドガーが、苦笑いして聞く。

「髪をね、もっと高いところでくくってみたらどうかしら」

 リルムよりは年上だがまだあどけなさの残る女性二人、顔を見合わせて再び相好を崩す。

「うん……あっ。逆にゆるくしばって、横に垂らしてもいいかも」

「そうね、どっちがいいかな」

「……どっちも試そう」

 エドガーが、彼女らの要望全てを受け入れるかのように、達観した表情でただ頷いているのがなんだか可笑しい。その光景を、ロックが若干うらやましそうに眺めているのが可笑しさを倍増させた。

「おっ! 兄貴似合ってるぜ」

 いつの間にかガウにタキシードを着せ終えたらしいマッシュが、エドガーを見て満面の笑みになった。

「楽しそうだね、筋肉男」

「ああ、なんか子どもの時のことを思い出してな」

 

 目を閉じて回顧するマッシュの話は、こんな具合だった。

 幼いフィガロ兄弟は、ある日城の衣装部屋をひっくり返して遊んでいた。

 そこで、二人はフリルのたくさんついたチュニックを見つけた。以前町で見かけた貴族の青年が、似たような服をかっこよく着こなしていたのだと主張するエドガーは、記憶を頼りにその着こなしを再現しようとしたのだ。

「どうだ、マッシュ」

 マッシュが呼ばれて振り返ると、そこにはドレスをまとった兄がいた。

 いや、正確には、それはドレスではない。大人ものゆえにエドガーには大きすぎるチュニックを来て、ベルトか何かの代わりに腰のあたりにリボンを巻き付けているので、そう見えただけだ。

「わあ……かっこいい!」

 マッシュは、心から兄を称賛した。かっこいいとは少し違うような気もしつつ、なんにせよマッシュの目には好ましく映ったので、その時浮かんだ最大級の賛辞の言葉をかけたかったのだ。

 そのまま父に見せに行こうと廊下を駆けていると、客人の貴族に連れられた、幼い女の子と鉢合わせた。年のころは双子と同じくらいの彼女は、ドレスの裾をつまみ上げて優雅に膝を落とした。

「お目にかかれてこうえいですわ、殿下」

 が、顔を上げて二人を見ると、困惑の色を露にした。

「……しつれいですが、おうじょ、さま……?」

 

 回顧を終えて再び目を開けたマッシュは、からからと笑った。

「そう間違われても仕方ないほど可愛かったんだぜ、そん時の兄貴」

「へえ」

「それ、お前の方が間違われたんじゃねえの?ちっちゃい頃は瓜二つだったんだろ?」

 一緒になって聞いていたらしいセッツァーが割り込んできた。

「うーん、まあ俺もいつもの服は着てなかったと思うから、そう言われると自信なくなってくるけど……」

 マッシュは少し表情を曇らせたが、すぐに拳を握りしめて力説する。

「どっちにしろ、あんときの兄貴は可愛かった!」

 知らねえよ、と半目になるセッツァーに、リルムはいよいよ笑いをこらえきれなかった。

 そこへ、ようやく解放されたらしいエドガーが戻ってきた。リルムを見て、やあ楽しそうだねと微笑んだ後、空いている椅子を引いて座る。

「よう、任務完了かい」

 喉の奥で笑うセッツァーにエドガーはがくん、と頭を垂れた。

「ああ……ところで何の話をしていたんだ? ずいぶん盛り上がっていたようだが」

「色男が女の子と見まがうくらいに可愛かったころの話」

 話の端々から自分が分かった単語をつなぎ合わせていたらしいガウも、エドガーを不思議そうに見上げている。

「エドガー、かわいい、だったのか?」

 一回り以上も年の離れた子ども二人にそんなことを言われて頬をひきつらせたエドガーは、弟に詰め寄る。

「本当に何の話だそれは。マッシュ何を話した」

 しかしマッシュはどこ吹く風だ。エドガーの顔を面白そうに眺めている。

「あれ、兄貴覚えてねえの?」

「……あまり心当たりがない」

 少し考えてからの一言を聞いて、マッシュは実に楽しそうに笑った。

「じゃあ言わない!」

 

 可愛いからこそ困らせてしまう。尊敬する人だけど困らせたい。両者の行動原理にはあまり大差がないようにリルムには思えた。

「さすが、双子……」

 リルムのつぶやきは、顎の下を撫でられて気持ちよさそうなインターセプターだけが聞いていた。