4. ドッペルゲンガーごっこ

「フィガロ王の弟」をめぐる過去と現在。ロック視点。※ゲーム開始時点より前のことを妄想捏造してるのでご注意を お題の趣旨からだいぶかけ離れた気もしますが、大目に見てくださいませ

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 リターナーの指導者から「フィガロ王に接触せよ」との命を受けた時、実のところ、ロックはあまり気が進まなかった。

 前代の王――実の父を帝国による計略で失ってなお、かの国との同盟を維持するような男だ。とうていわかり合える気などしなかった。

 しかし蓋を開けてみれば、二十歳そこそこのフィガロ王はわりかし話がわかる男だった。出会ってからまだ数年程度だが、「友人」と呼べるほどには懐に入りこめているとロックは自負している。

 ただ、ひとつだけ、どうしても腑に落ちないことがあった。

 

 ある日の昼下り。窓から城内に侵入したロックが執務室の前で待ち受けていても、もうエドガーは眉ひとつ動かさない。

 扉を開けて入室するエドガーの背中についていき、本部から預かった封書を渡せば、仕事はひとつ片付く。ロックはわが物顔で応接用のソファに掛けた。

 エドガーはさっそく封を開けて書状に目を通している。そのようすを眺めながら、ロックは、仕事とは別の「本題」を切り出した。

「お前さ、この間コルツ山にいた?」

 書状から顔を上げないままエドガーは答える。

「しばらく行っていないが、なぜだ」

「いや……この間コルツに行った時に、なんか見た気がしたんだよ」

 エドガーは顔を上げ、目を眇めた。

「なんだ、『なんか』って」

「お前が山の中にいる姿をさ、見た気がするんだ。フード被ってたから横顔しか見えなかったけど」

 その時、一瞬、エドガーの表情がわずかに険しくなったように見えた。しかし次の瞬間には、それは幻のようにかき消えた。代わりに広がっていったのは、苦笑いのようなどこか呆れたような、形容しがたい表情だ。

「……まさか、人違いだろう」

「まあ、だよな」

 ロックは肩をすくめる。

「俺が見たそいつはかなり身軽でさ、岩場を飛び越えたりしてたんだ。どんくさいお前はそんなのできるわけないもんな」

「ひとこともふたことも余計だ」

 憮然として書状に視線を落としかけたエドガーだったが、ふと、何かを思い出したように再度口を開いた。

「あるいは……生霊のたぐいかもしれないな」

「はあ」

 いかにも目に見えて触れることのできるものしか信じなさそうなこの男が、「生霊」とは。訝しみつつ、耳を傾ける。

「知っているか? 不幸にも自分そっくりな生霊を見かけてしまった者は、死んでしまうそうだよ」

 いつからあるかもわからない迷信を、エドガーは薄く笑みを浮かべながら語る。

「もしコルツ山でお前が見た人物も『それ』なのだとしたら、そしてもし『それ』と遭遇したら……私も、その運命からは逃れられないかもしれないね」

「不気味なこと言うなあ」

 心霊が絡む話は得意ではない。そもそもそのようなことを聞きたくてこの話題を振ったのではなかった。意を決して、ロックは口を開いた。

「俺が聞きたかったのはさ――」

「待て」

 エドガーが右手を挙げて制する。手は、そのまま巨大な柱時計を指さす。あと五分ほどで三時になるところだった。

「時間切れだ。三時から会議と言ってあっただろ?」

「ん、そうだっけ?」

「バナン様への返書は用意しておく。今日はこれから会議が続くから、悪いけど明日の朝引き取りに来てくれ」

 エドガーは、リターナー指導者の署名がされた書状を元のように封筒に納めた。机の引き出しの奥深くに入れ、そこに鍵をかけると、散らばっている書類を手早く取りまとめ慌ただしそうに去っていった。

 残されたロックは、ソファに沈み込んだまま、真にエドガーに尋ねたかったことを反芻する。

 ――あの人物は、もしかしたら、お前の弟だったんじゃないのか。

 バナンから聞いていたところによると、エドガーには一人、弟がいるという噂だった。

「噂」とは、曖昧さを嫌うバナンにはめずらしく歯切れの悪い物言いだった。そう不思議に思っていたが、この国に出入りするようになってから、その理由がわかった。

 密かに城内のあらゆる資料をあさってみても、弟の存在を示唆するものは見つからなかった。城の人間から何気なく聞きだそうとしてみても、空振りに終わった。みな一様に、訝しげな顔でこう答えるのだ。「王には兄弟などいない」と。

 仮に「噂」が真実だとしたら。その仮定は、ロックの胸に苦さをもたらす。ひとりの人間がその存在をなかったことにされる、そのことを主導したのはエドガーということになる。

 実際にあったはずの存在の、その痕跡さえ消し去ってしまう――それは、今はコーリンゲンに眠る「彼女」をずっととどめておきたいロックとは、まったく逆の思考にもとづいているように思えた。

 一度意識すると、その隔たりはあまりに大きい。そしてそのことは、いくら友人のように軽口を叩けるようになっても、もう一歩踏み込むことをロックに躊躇させていた。

 そして、ロックの気のせいでなければ、エドガーもまた、核心に迫られることを避けているように感じられるのだ。

 

   ◆

 

 月日は流れ、ついにフィガロが帝国に反旗を翻す時が来た。

 コルツ山を抜けた先の平原をロックたちは歩いていた。サーベル山脈の谷底にあたるこの地には、かつては大きな川が流れていたというが、今はほとんど枯れてしまっている。

 それでも、よく探せば、規模は小さくても清流が見つかる。先ほどその貴重な水源を探し当てたのはマッシュだった。

 ここからリターナー本部まではほぼ一本道だが、わずかながら傾斜があるうえに、距離もそれなりにある。コルツを越えた疲れもまだ残っている。一行は飲み水にありつけるこの場所でいったん小休止を取ることにした。

 全員分の水筒を預かったマッシュは、さっそく中身を満たしに小川へと向かった。手伝いを申し出たティナも同行する。ロックはそんな二人の背中を見送っていた。

 ロックとともに残ったエドガーは、地図を眺めながら何か考えているようだ。そんなエドガーを横目で見ながら、ロックは呟いた。

「やっぱり、俺がコルツで見たのはお前の弟だったんだな」

「ん?」

「生霊に遭遇したら死ぬ、でしたっけ? 王様」

 エドガーは空中に目をやり、記憶を探る素振りを見せる。やがて心当たりに行きついたのか、口の端をゆがめて苦く笑った。

「お前も古い話を持ち出すね」

 地図を丸めて荷物の中へと放り、エドガーは腕を組んだ。開き直るように言い放つ。

「まあ、驚いて心臓が止まりそうになったから、その点では死にそうになったといえるかもしれない」

「つまんねえ理屈こねるなよ」

 呆れたロックもまた腕を組む。そして、万が一にもマッシュに聞こえないよう声を落として続けた。

「……あの頃はさ、城の誰に聞いても、王に弟なんかいないって言われた」

 結局、エドガーの弟が実在するとロックが知ったのは比較的最近のことだった。そのきっかけも、隣の男が自発的に話したわけではなく、あくまで偶然だった。

「なんで城ぐるみでなかったことにしてたんだよ。あいつのこと」

「ロック」

 名を呼ばれ、思わずロックは身構える。一瞬、つかみかかられるのではないかという直感と警戒がはたらいたのだ。エドガーの硬い声には、それほどに強い感情が――怒りがにじんでいた。

「城の人間と、何よりあいつの名誉のために言っておくが、けっして『なかったことにした』わけじゃない。むろん忘れてもいない……一日たりとも、忘れるものか」

 淡々とした調子を保とうとしていたようだが、語尾はわずかに震えた。それを自覚したのだろうか。エドガーはそこで言葉を切り、目を閉じて深く息をついた。

 再度口を開いた時には、ぴんと張っていた糸が緩むように、声の調子はいくらか和らいでいた。

「……『王の弟』という立場は、帝国にとってみれば、なんとも使い勝手のいいものだと思わないか」

 フィガロ国内の内紛の火種として、無謀な要求を通すための材料として。いずれにせよ、何も手を打たなければ、弟の身に危険が及ぶのは間違いがないと考えたのだという。

「だから、隠してしまったんだ。あいつに関する記録も、記憶も、城の奥深くに閉じ込めて眠らせておくことにした。外部の者は誰も触れられないように」

 ロックは何を言ってよいかわからず、黙っているほかなかった。

 沈黙の中、エドガーはゆっくりとまぶたを上げる。すっと流れた視線の先をロックは追いかけた。

 マッシュは、今は川面を指さしながらティナになにか説明しているようだった。少女はうなずきながら聞いている。

 そのようすを眺めながら、エドガーは、ロックにというより自身に言い聞かせるように呟いた。

「でも……もうその必要もないみたいだ」

 その時、向こうの二人がこちらに気づいた。

 マッシュが満面の笑みで大きく手を振っている。その姿に触発されたのか、ティナも、ほんの少しだけ口角を上げながら、ぎこちなく片手を挙げた。

 エドガーは二人に手を振り返す。彼方を見つめる瞳は、眩しそうに細められていた。