日常のひとコマ。兄貴のことならなんでもわかる?マッシュ。
遅い昼下がり、執務室にノックの音が響いた。エドガーは書類に目を落としたまま入室を許可する。
「兄貴」
ドアの開く音と同時に聞こえた声に、先ほどからずっと刻まれていた眉間のしわが、ふ、とほどけた。ささくれだっていた気分も少し落ち着いて、エドガーは顔を上げた。
まっすぐ執務机へと向かってきたマッシュは、手に持っていた封筒を差し出した。
「届いてたぜ」
「ああ、ありがとう」
朱の封蝋を見れば差出人はわかる。そして経験則から言えば、その人物からの手紙はいつもエドガーのもとに厄介事を運んでくる。
エドガーは、とりあえず手紙を机の端の方に置いておいた。
「開けなくていいのか?」
「……後にする。今は別件で立て込んでるからな」
そんな言い訳をしながら、先ほどの書類を再び手に取ったところで、そうだ、と思い出す。
「マッシュ、ちょうどよかった。悪いが頼まれてくれないか」
この書類の内容に関連して、調べ物をする必要があったのだった。城の学者に説明させることも考えたが、自分で原資料にあたったほうが早そうだった。
そこで、図書室へ行って今から言う本を取ってきてほしい――とエドガーが頼むより先に、マッシュが笑顔で頷いた。
「ん、わかってるわかってる。ちょっと待っててな、すぐ取ってくるから」
言い残し、弟はほとんど駆けるようにして部屋を出ていった。
「……いや、絶対わかってないだろ」
あっけにとられたエドガーが思わずそう漏らしたのは、つむじ風が去ってから数分が経ったあとだった。
「おまたせ」
戻ってきたマッシュの手には当然、書物はない。
代わりに、お茶のポットとカップ、それに厚いパウンドケーキひと切れの皿が乗った小さなワゴンが現れた。エドガーは苦笑せずにはいられなかった。
「あのな、マッシュ。俺は本をとってきてほしかったんだよ」
「でもそろそろ腹減ってきたころじゃないか?」
昼食をろくに食べなかったので、かなり空腹なのは事実だった。反論できないエドガーに、マッシュはお茶をカップに注ぎながらすました顔で断言する。
「兄貴のことならなんでもわかるからな」
ソーサーに乗ったカップの置き場所に迷ったらしいマッシュは、それを執務机に置くことは諦めて、部屋の一角にある応接用の低いテーブルに持っていった。執務机は今にも紙の雪崩が起きそうになっていた。
テーブルに、一人分のお茶とケーキが並べられる。もう一人分が出てくる気配はなかった。
「あれ、お前の分は?」
「ああ……兄貴のことしか考えてなかったな。まあ忙しそうだし、俺はすぐ出てくよ」
マッシュは、座り心地の良い革のソファを手で示しながら、軽く首を傾げて微笑んでいる。
「さあ、どうぞ」
エドガーは軽く息をついて、手にしていた書類をぞんざいに投げ置いた。椅子にふんぞり返り、足を組み、尊大な王の口調をとる。
「なんでもわかる……か。ならば弟よ、私が今この瞬間何を考えているかは、わかるかな」
マッシュは腕を組み、少し考え込んでいたが、やがて困ったように眉を下げて兄を見た。
「では教えてやろう――」
もったいぶった咳払いひとつ。そして高官に厳命を下す時さながらの低い声で、告げた。
「そのケーキと、カップ。ここにもう一人分ずつ持ってきなさい、今すぐに」
その「命令」にマッシュはぽかんとしていたが、ほどなくして小さく吹き出した。そのまま笑いつつも姿勢を正し、おおらかな動作でうやうやしく礼をしてみせた。
「おおせのままに、陛下」