7. 寂しがりやの卵

エドガーのために朝ごはんを作るマッシュ、マッシュに甘えるエドガー。なかなかにいちゃついている 
※突然の【現パロ】です。とはいえ「マエドが二人暮らししてる」「エドガーが時計技師」以外の設定はふんわりしてます。話の内容もふんわりしてます

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「おっ」

 殻を割って現れた中身に、マッシュは思わず声を上げた。あざやかな色の卵黄がふたつ、寄り添うようにしてボウルの中に揺れている。

 めったにお目にかかれない双子の卵だ。なんとなく縁起がよい気がする。気分が上向いたマッシュは、鼻歌を歌いながらもう一つ卵を割り入れ、泡立て器でかき混ぜ始めた。

 今日は兄が、仕事で重要な打ち合わせがあるのだという。そんな日の朝食なので縁起のいい要素はいくらでもあるに越したことはない。

 

 兄であるエドガーの職業は時計技師だ。駅にほど近い好立地に、従業員数名の小さな店舗兼工房を構えている。自宅――マッシュとエドガーが一緒に住んでいるこのマンション――からは歩いて十五分ほどの距離だ。普段は「町の時計屋さん」として、忙しい会社員の腕時計から家庭の壁掛け時計まで、周辺住民の時計修理を請け負っている。

 しかし、たまにそれらとは性質の異なる仕事が舞い込むことがある。

 例えば海外からの依頼で、アンティーク時計の修理。博物館に収蔵されている貴重な時計の修復作業やレプリカの製作。時には、時計塔の機械の調整をしに現地に赴くこともある。

 父の古い知り合いなども含め、エドガーはさまざまな人脈を持っており、マッシュもその全容を把握できないほどだ。修理対象の間口もかなり広くとっている。そのため町の時計屋にしてはバラエティ豊かな依頼が寄せられてくるのだった。

 今日の打ち合わせも、そんな「変わり種」のひとつであるらしい。依頼人が指定した打ち合わせ場所は店舗ではなく、町の一等地に建つ高級ホテルのラウンジだという。

 それ以上の情報をエドガーは明かさなかったためマッシュも特に聞き出すことはしなかったが、請けることになればそれなりに大きな仕事になるだろう、とは言っていた。

 

 ボウルの卵液に牛乳を加えてタネを作る。その隣でフライパンにバターを溶かし、小さく切っておいたトマトを炒める。トマトの形が崩れてきた頃合いにもうひとかけバターを追加し、タネを一気に流し込んだ。その上にチーズを散らす。木べらで大きく混ぜるたびにチーズがとろりと伸びた。

 卵が半熟になってきたころに、フライパンのへりに寄せて形を整える。ふんわり焼きあがったそれを、マッシュは形を崩さないよう慎重に皿に移した。大仕事の日の朝食にふさわしい、美しいオムレツができあがった。

 しかしあいにく兄はまだ起きてくる気配がない。マッシュはひとり苦笑いしながらエプロンを外した。朝食の他のメニュー――パンにサラダ、果物、それに紅茶は、エドガーが起きてから出すことにした。

 キッチンから廊下へ出ると、冬の朝の冷え込みに包まれる。冷気が足元からじわりじわりと這い上がってくる。それを振り切り、マッシュはエドガーの部屋のドアをノックしてそっと開けてみた。

「兄貴、起きろよ」

 呼びかけに、エドガーは顔まで毛布にくるまったまま不明瞭な言葉で返答した。ため息をついたマッシュは、ベッドへ歩み寄り力技で勢いよく毛布をはがした。

「もうご飯できたよ」

 エドガーはううん、と唸る。しかし諦めたのか、目を開けて案外素直に体を起こした。

 と思ったら、マッシュの手にあった毛布をものすごい力でひったくり、また元のようにくるまってしまった。

「おいおい」

 予想外の動きに思わず吹き出してしまったマッシュをエドガーが見上げてくる。

「マッシュお前、寒くないのか?」

「まあ寒いっちゃ寒いけど」

 それを聞いたエドガーはにやりと笑った。ベッドの端にずれてもうひとり分のスペースを作り、マッシュに向かって毛布を広げる。

「おいで」

「……あのな、兄貴」

「寒いんだろ?」

 マッシュは呆れた。正確に言えば、懸命に呆れ顔を作ろうとした。エドガーの思惑に乗せられるわけにはいかない。もう朝で、マッシュはすでに朝食を作っていて、それを兄に早く食べてもらいたいのだ。

 そうやって必死に自分に言い聞かせたが、結論としては徒労に終わった。

 マッシュは、自分のために空けられた空間に体を潜り込ませる。すぐに、待ち受けていた毛布が包みこんできた。満足気に身を寄せてきたエドガーは、マッシュの髪に鼻をうずめ大きく息を吸った。

「オムレツ?」

「よくわかったな。トマトとチーズ入り」

「うまそう」

「うまいよ」

 ふうん、とエドガーは鼻を鳴らす。少しの間無言でマッシュの顔を見つめていたが、急にマッシュの唇に自分のそれを重ねた。突然のことに驚いて少し開いたマッシュの口を軽く吸って、舐める。そして唇を完全に離さないまま呟いた。

「なんだ、味見してないだろ」

 マッシュは目を白黒させながらもなんとか言葉を発した。

「……しなくてもうまいってわかる」

「おや、すばらしい。さすがわが家のシェフだ」

 不意打ちのキスと褒め言葉にほだされて、マッシュは相好を崩した。が、この部屋に来た本来の目的を思い出すことでなんとか表情を引き締める。もっとも、一緒にベッドに潜り込んでしまった時点であまり意味がない気もしていた。

「そう、せっかくうまくできたのにさ、冷めちゃうだろ」

「うーん……」

「それに、今日は大事な仕事だって言ってたのに」

「午後からだ。午前中は、休みにさせてもらってるから……もう少しくらい大丈夫」

 再度の眠りに落ちかけている甘い声。それを突っぱねるほど非情にはなれない。

 ついに観念したマッシュは、ベッドサイドに置いてある目覚まし時計のアラームを一時間後に設定する。念には念を入れ自分の携帯電話でもアラームの予約をかけておいた。

 それが済んでから、エドガーの体に両腕を巻きつけて自分の胸に押し付けるようにして抱き込んだ。

 エドガーが甘ったるい声のまま笑う。

「いい年して、さみしがりやか?」

「どっちがだよ」

 毛布に包まれた二人はこれ以上密着できないほど寄り添う。穏やかな鼓動、共有する体温。眠くならないほうがおかしかった。

 

 目を閉じながら、マッシュは、眠りに落ちる直前の、理性も論理もまとわずとりとめのない思考に身を委ねる。

 さみしがりや、とエドガーは言った。それはある種当たっていた。

 なにしろ、一緒に暮らしているというのにもっと長い時間一緒にいたくてしかたが無かった。許されるならエドガーを仕事に行かせたくないし、そもそもこの部屋の外にすら出したくなかった。

 そこへ突然、先ほどオムレツを作るのに用いたあの双子の卵が脳裏に浮かぶ。

 ――そうだ、ちょうどあんな感じが理想だ。マッシュは思う。二人だけの、殻に守られた空間。そしてもし万一殻が破られたとしても、混ざってしまえば最終的には一つになれる。

 

 詮無い願望は尾を引いて、やがて途切れる。マッシュの意識は眠りの中へとすべり落ちていった。