「あんたってさ、」
ティーダは、アーロンが準備した夕食をきれいに完食して、腹を休ませているところだった。そして、こうアーロンに問う。
「料理どこで教わったの」
質問の真意を探ろうとして、アーロンは数秒ほど考えを巡らせてみる。しかし、そうすることにはあまり意味がないような気がしてきて、直接の答えを返さずに応えた。
「口に合わないなら平らげる前に言え」
「そんなことだれも言ってないだろ?! 見た目は……なんか地味だけど、その、まずくはないよ。うん」
「ほう?」
つっけんどんな態度をとることが多いが、この少年は本当のところ相手の感情に配慮できる子どもだ。そのことを裏付けるような言動に、思わず頬が緩んでしまう。
「なに笑ってんだよ」
やわらかなカーブを描く少年の頬に、怒りか羞恥かその両方か、じわじわと赤みが差していく。と、すぐにそれをごまかすかのように、拳を口元に当ててえへん、と咳払い。彼の年齢にしては大人びたしぐさは、周りの大人の真似をしているのだろうか。
「それより、あんた、最初は電子レンジすら知らなかったじゃん。どこでどうやって教わったのかと思って」
確かに、今でこそだいたいの使い方を習得してきたが、当初はザナルカンドの文明の利器には全くついていけなかった。
思い出すのは、ティーダと初めて出会った日。まだ彼の母も存命だったころだ。
◆
およそ一般のザナルカンド市民とは思えない出で立ちの、ジェクトの友人を名乗る来訪者に、ジェクトの妻と子はひどく怯えていた。
アーロンは、当時は首の覆いもサングラスも着けておらず、生々しい傷痕を隠すものが何もなかった。このザナルカンドにおいて、ここまでの傷を負うことはむしろ難しい。親子の態度も無理はないだろう、と思った。
それでも、玄関のドアにチェーンをかけたまま、か細く震える女性の声が、何の御用かと丁寧な口調で問いかけてきた。
「ジェクトが、息子を頼む、と。だから俺はここに来ました」
追い返されても仕方がない。そう思いつつ率直に本題を切り出した。
少し間があって、息を飲む音と、次いで何かが崩れ落ちたような、どさ、という音。そのまま訪れた静寂の中、一言も発することなく待っていると、ふいにチェーンが外されドアが大きく開いた。
「……話をきかせてほしいって、母さんが」
ドアを押さえる、うつむき加減の子どもの表情を伺うことはできない。わかったのは、その髪色が、崩れ落ちたように座りこむ彼の母親と、そして父親によく似ていた、ということだけだった。
アーロンは、通されたリビングのソファに浅く腰かける。テーブルを挟んだ反対側には、親子が並んで座った。
アーロンは言葉を選びながら、旅路でのジェクトの様子を話していく。いきいきとした語り口とは到底言い難く、言葉に詰まることも何度かあった。
しかし、ジェクトの妻はそれを気にした風ではない。アーロンの口から語られる内容を受け、彼女は先ほどまでの憔悴ぶりが嘘のように目を輝かせて、夫を懐かしんだ。時折、「あの人はそういうところがありました」と、少女のようにくすくすと笑ってさえみせた。
しかし、それも長くは続かなかった。
ジェクトが去り際、アーロンにティーダを託した旨を今一度告げると、一転して彼女は、ひどく疲弊したような表情を浮かべた。先ほどの明るさはもう見る影もない。
「もう、あの人はいないんですね。どこにも……」
「……ええ、大変残念ですが」
正確には「いる」のだが、それを正直に話したら彼女の心がもたなくなってしまうだろう。
しばらく彼女はうつむいて何も言わなかった。
が、やがて、アーロンがジェクトとの約束を守ろうとしていることに対して丁重に礼を述べた。そして、具合が良くないからと、非礼を詫びつつ、危うげな足取りで自室へと下がっていった。
残されたのは二人。
アーロンは、子どもと接するのはそう得意ではないことを自覚している。どうしたものかと内心困っていると、少年がおもむろに立ち上がった。
台所に置いてある大きな倉庫のようなものを開け、中から平べったい箱を二つ取り出した後、倉庫の戸を閉める。戻ってきたティーダは、そのうちの一つをぶっきらぼうにアーロンに差し出した。
「……そろそろ夕飯どきだし、あんたも食べてけば。冷凍もので悪いけど適当にあっためて」
冷たい、とアーロンは思った。少年の態度が気にくわなかったということではない。ただただ少年の声に、表情に温度が感じられなかったのだ。
受け取った箱は、氷の魔法をかけられたかのようにひんやりとして冷気をまとっていた。ティーダの言うとおり、どうやらこの中には食べ物が入っているらしい。表面に描かれた、温かそうな料理の絵から推測する。箱を開けてみると、白く凍った食材らしきものが入っている。
「……なに?」
少年は明らかに、アーロンを訝しんでいた。冷たい箱の中身を、まるで初めて見るかのようにまじまじと眺める大人を。
それをひしひしと感じたアーロンは、少し情けないような気分になりながらも、少年に聞いてみる。
「あ、ありがとう。その、すまないが、火をもらえないだろうか。見たところ凍っているようだから……」
それを聞いたティーダの、なんとも形容しがたい表情を、アーロンはこの先ずっと忘れないだろう。
そして、人生で初めて「電子レンジ」とやらを触った時の衝撃も。
◆
「そういうこともあったな」
たった二、三年前のはずなのに、それよりもっと昔のことのように懐かしい。
「びっくりしたよ。あんなこと大まじめに子どもに聞く大人なんて見たことなかったし。んで、どうなの?」
その時のことを思い出して、改めて呆れているティーダにアーロンは苦笑いする。ティーダが促すとおりに本題に軌道修正すべく、答えられる範囲で質問に答えてやることにした。
「そうだな……昔の職場で食事の準備をすることはあったから、教わったと言えばそこだろうか。あとは野営が多かったから、細かいところは自分で身につけていったように記憶している」
「やえい?」
「外で一晩明かすことだ」
それを聞いたティーダの表情が、ぱっと楽しげなものに変わった。
「え、つまりキャンプってこと?」
声も、心なしか先ほどより一つトーンが上がっている。キャンプ。アーロンの聞きなれない言葉だが、初耳ではない。
(確か、ジェクトもそんなことを言っていたな)
あれは、ブラスカ、アーロン、ジェクトがベベルを出発してから初めての野営をした時だった。火を焚いて、寝床の準備をしている途中で、アーロンを手伝っていたジェクトが声を弾ませて言ったのだ。
『なんか、キャンプみてえで楽しいな!』
「キャンプ」が何かはよくわからなかったが、やたら楽しげにのんきに笑う大男に、旅の重要さを理解していないたわけ者と怒りをぶつけたのだった。
当然、ジェクトは気分を害して、ブラスカが止めるまで二人の言い合いは続いた。それも、旅の終盤にはいつの間にか笑い話になっていた。
聞くと、ティーダは、一度だけジェクトに連れられてキャンプに行ったことがあるという。そしてそれは相当楽しい思い出として彼の中に残っているらしい。めったにわがままを言わないティーダが、アーロンの側に寄ってきて、衣服の裾を引っ張る。
「ねえアーロン、キャンプ行きたい!」
どうやら血は争えないようだ。
思わぬところで親子の繋がりをみたアーロンは、つられて楽しいような気分になって、小さく笑った。