その夢はだれかの思い出

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 ザナルカンドでは極端な気候変動がないため、一年中快適に過ごすことができる。それでも、季節の変わり目に体調を崩しやすくなるのは避けられない。

 とがらせた唇に体温計をくわえて、ティーダはダイニングテーブルに頬杖をついていた。

 毎週この曜日には、ブリッツのジュニアチームの練習がある。今日も今日とて練習用のバッグをつかんで家を飛び出そうとしたところ、急にアーロンに呼び止められこうして熱を測らされているのだ。

 電子音が鳴り、体温測定が終わったことを知らせる。体温計を口から出して表示を見たティーダはそれを隠そうとするが、その前にさっとアーロンに奪われてしまう。小さな液晶には「37.7」の数字。

「風邪だな」

 断定したアーロンに、ティーダは慌てて立ち上がる。確かに、少しのどが痛いような、ほんの少しだけせきが出るような気がするけれど、大したことはない。

「全然元気だっつの! ほら、いつもどおり動けるし」

 そう言って飛んだり跳ねたりシュートの素振りをしてみせる少年に、アーロンはため息をついた。

「風邪の引きはじめにプールに入ったら悪化するだろう。それにお前自身が元気でも、周りにうつすかもしれん」

「う……でも、今日はっ、」

「着替えて寝ていろ。休みの連絡は俺から入れておく」

 静かだが有無を言わさぬ声でさえぎられて、ティーダは黙ってしまう。反論したいのに、何も言葉が出てこない。

 しばらく電話の受話器をとって番号を押しているアーロンをにらみつけていたが、当のアーロンはどこ吹く風だ。ほどなくして、ジュニアチームのスタッフらしき相手と通話し始めた。

 精一杯の反抗のつもりで、電話の相手にも聞こえるくらいわざと大きく音を立てて自分の部屋へと走り、乱暴にドアを閉めた。その勢いのまま、ベッドに飛び込んで枕に顔をうずめる。

(今日は、絶対、絶対行きたかったのに)

 今日の練習は、チーム内での紅白試合の予定だった。ここのところあまり調子が出ずレギュラー落ちしてしまっていたティーダにとっては、監督にアピールする絶好のチャンスだったのだ。

 ばたつかせた足は、スプリングのよくきいたマットレスによって勢いよく跳ね返される。

(アーロンは何もわかってないんだ)

 アーロンの言うことが正論であると頭では理解しているのに、渦巻いた悔しさが行き場を失って、目の奥をじんと熱くする。それに促されたかのように、今一番聞きたくない声が頭の中に響いた。

『泣くぞ すぐ泣くぞ 絶対泣くぞ ほら泣くぞ』

 こんな時に限って。

 悔しさの中に一筋の怒りが混じり、ついに涙になってこぼれた。

 泣きたくないのに、そう強く思うほどにかえって涙が止まらなくなってしまい、ティーダは途方に暮れる。柔らかい枕が、押し殺した嗚咽と熱い涙を優しく受け止めていった。

 

 どれくらいの時間そうしていただろうか。泣き疲れてしまって、目の奥が重だるい。

 同時に、頭がふわふわするような感覚に襲われた。体温も、先ほどまでは自覚がなかったのに今は明らかに「暑い」と感じる。

 飛んだり跳ねたり走ったりしたのが良くなかったのかもしれない。枕から顔を離してあお向けに寝転がると、白い天井がぐらり、ゆっくりと回って見える。認めたくなかったが、いよいよ熱が上がったことを確信した。

 ぼんやりとした頭で、半ば意識を失うように、ティーダは眠りに落ちていった。

 
 
   ◆

 
 

 風邪の時に見る夢は、たいてい変な夢だ。

 そんな話を聞いたことがあるが、自分が今見ているのもこれから「変な夢」になるのだろうか、とティーダは考える。

 ぼんやりと霞がかった視界に映っているのは、紫色のフードを深くかぶった、ティーダより少し年下くらいの少年。たまに町なかで見かける子だ。声をかけようとする前に、少年が何かを言って微笑んだが、その声は聞こえない。

 その直後、場面が転換した。

 見える映像は相変わらず鮮明ではなく、細かいところまでは判別できない。大人が三人、たき火を囲んで座っているようだ。

 今見えているのは、そのうちの一人の後頭部だけ。何やら長い飾りのついた帽子を被っていることはわかった。他の二人は足元しか見えない。

(もう少し……上の方を見たいな)

 そんなティーダの要望に応えるように、視界が少しばかり上向く。と、そこに映し出されたのは、

(オヤジ、と……アーロン……?)

 左手に座っているのは、まぎれもなくティーダの父親だった。記憶の中の姿と寸分も変わらない外見で、自分をからかうときのあの表情で、他の二人に何やら話しかけている。

 右手に座っているのは、長い髪を後ろでまとめている青年。傷跡もサングラスもない。しかしよく見れば、ここザナルカンドで出会ったばかりの頃のアーロンの面影がある。赤い服は、いつもアーロンが身に着けているものとよく似ていた。

(若い時は、こんなだった……のかな)

 長髪の青年は、少しばかり眉をひそめてジェクトの言葉を聞いていた。しかし、続けて二、三言葉を交わしているうちに、ふと、思わずといったように笑いだした。ぼやけた視界の中でもわかる、心の底から楽しそうな表情だった。

(アーロン、今もこういうふうに笑ったりするのかな)

 ヘンな夢だ。でも不思議と、まるで誰かの思い出を見せてもらっているような、とても懐かしい気持ちになる。胸のあたりがじわりと暖かくなった。

(ええと、夢……なんだよな?)

「夢なのか、夢じゃないのか。キミはどっちだと思う?」

 ふと湧いた疑問に応えるように、少年がくすくすと笑う声がどこからか響いた。

 
 

   ◆

 
 

「質問してるのはこっち――あ、あれ」

 張り上げた自分の声でティーダは目を覚ました。フードの少年はおらず、あの三人もいない。ここは自分の部屋の中、ベッドの上だ。

 不思議な「夢」だったが、泣き疲れたのと熱でぼうっとしていた頭は、寝る前よりだいぶすっきりしていた。ふと気づくと、頭の下には氷枕、額には冷却シートが貼り付けられていて、そのおかげもあるのだと知る。

 ひどくのどが渇いている。あたりを見回して、ベッド横のちいさなテーブルにペットボトルの水が置いてあるのを見つけた。寝ている間にアーロンが置いていってくれたのだろうか。

 ゆっくりと体を起こして水を流し込む。ほどよく冷えていて、熱を持った体には心地がよかった。

 と、控えめなノック音が部屋に響いた。短く返事をすると、ゆっくりとドアが開き、アーロンが入ってくる。

「起きたか」

 右手に何やら皿を持っているが、何が乗っているかはよく見えない。皿をテーブルに置いて、ベッド横に椅子を引きずってきながら、アーロンはぽつりと言う。

「練習試合は来週に延期、だそうだ」

 目を見開いたティーダの顔に一瞬視線を移したアーロンは、椅子に腰を落ち着けてから続けた。

「今日はお前以外にも休みの選手が多いらしい」

「そ、そうなんだ」

「来週までには治せ。監督もお前のことを待っていると言っていた」

「……うん」

(なんだ……)

 特に誰に見られていたわけでもないが、悔しさで大泣きしたのが少しだけ恥ずかしくなってくる。それに、監督に期待されているらしいのが嬉しくて、でもはっきりと言われると何だか照れくさくて、どんな顔でどこを見ていいかわからずに視線をさまよわせた。

 そこで目に入ったのは、先ほどアーロンが持っていた皿。皮を器用に剥いてウサギをかたどったりんごが、三切れ並んでいる。

「これ、あんたが切ったの?」

「ああ。食べられるか?」

 強面なアーロンがかわいらしいウサギりんごを剥く。そんな光景を想像して、ティーダはこらえきれずに笑いだした。

「っふふ、あははははっ、似合わねー!」

「食わないなら下げるぞ」

「あっ、ジョーダンだって。食べる食べる」

 アーロンが本当に皿を下げる前に、皿からりんごをひょいとつまみ上げてかじる。しゃく、というみずみずしい音に、広がる程よい甘み。今まで食べたどのりんごよりも美味しい気がした。あっという間に平らげて、二切れ目に手を出す。

 なんだか、先ほどまで泣いていたのが嘘のように気分が晴れやかだった。
上機嫌のまま、つい口を滑らせてしまう。

「前から思ってたけどさ、あんた意外とマメだよな。まともに看病とかできるんだーって、」

 言ってしまってから、さすがに失礼だっただろうかと慌てて口をつぐんだ。そして、おそるおそるアーロンの顔色をうかがってみる。

 アーロンは特に怒ったようすもなく、それどころか意外にも、頬を緩ませていた。

「……こう見えても、風邪っぴきの看病は慣れてる」

 細めた目が、横顔が、「夢」の中で見たあの青年の表情とふと重なる。思わず、あ、と小さく声をあげた。

「なんだ?」

「あ、いや、なんでも」

 相変わらずアーロンのことはよくわからない。あの「夢」が本当にアーロンたちの過去の様子なのかもはっきりしない。それでも、アーロンの新たな一面を知ることができたような気がして、嬉しいと思っている自分がいることだけは確かだった。

 

 アーロンがふいに立ち上がり、窓際へと向かう。窓を細く開けられて、ティーダは寒いと文句を言ったが、換気のためだから我慢しろと突っぱねられた。

 その仕返しというわけでもないが、アーロンを困らせたくて、その背中に向かって言ってみる。

「な、あんたさ、これからはもっと楽しそうに笑ってみてよ。あはははーって」

 一拍置いて、ふ、という笑いともため息ともつかない吐息で空気が揺れる。

「なら、そうやって笑えるように、お前が楽しませてくれ」

 

 振り返ったその表情は、窓の外にかすかに見える海のように穏やかで、まるで何かを懐かしんでいるようにも見えた。