むせかえるような、緑の青々とした匂い。どうやら雨が近づいているようだ。
ブラスカ、ジェクト、アーロンの三人は、蔦や木の根を踏みしめながら、森の中を進んでいた。一行が迷いこんだ森は、予想以上に入りくんだものだった。目印をつけながら進んではいるものの、先ほどから同じところをぐるぐると回っているように思える。
まだ日が高いのが救いだったが、それはそれで高い気温と湿度によって体力が奪われていく。
「なあブラスカ、少し休まねえか」
汗を拭いながらジェクトが提案するが、アーロンがきっとジェクトを睨む。
「一刻も早くここを出なければならない、と言っただろう？ そもそもきさまが足を滑らせて落ちたからこんなことになっているんだ」
責めるような口調にジェクトは反論しようとするが、ブラスカのやや疲れた声が遮った。
「アーロン、その話はもうやめよう。今言ってもどうにもならない」
ブラスカに言われてはアーロンも押し黙る他ない。一行は、しばらく無言のまま、重い空気をまとって歩を進めた。
そこに光明が差す。すっかり植物に覆われてはいるが、明らかに人工の建造物がぽっかりと口を開けているのが一行の視界に入ってきた。
「ふたりとも、あの建物が見えるかい？ 安全そうなら、あそこで少し休んでいこう」
ブラスカが安堵をにじませて言う。ジェクトはもちろん、アーロンも、その提案を却下するだけの気力は残っていなかった。
石造りの建物の中はひんやりとしていて、一時的な休息にはうってつけの場所だ。ジェクトは仰向けに寝転がり、冷えた石畳で少しでも体の熱を逃がそうとしている。アーロンは、水筒から少しずつ水分補給をする。
その間、ブラスカはこの場所について調べていた。打ち捨てられているにしては、魔物の気配がなさすぎる。中も、埃っぽいがそこまで汚れているというわけではないように見受けられる。
ブラスカが首を傾げていると、突如声が響き渡った。
『……召喚士よ、我の力を所望するのか』
「！ 誰だ？」
ブラスカが口を開こうとしたのと、ジェクトが鋭い声を発したのとはほぼ同時だった。
「ジェクト、アーロン、今の声が聞こえた？」
ジェクトは頷くが、アーロンは訝しげに首を振る。
語りかけてきた内容からして、声の主は祈り子と推測できた。しかし、それではなぜジェクトにも声が聞こえたのか。気にはなったが、今は声の主に意識を集中させる。
「祈り子さま……ですか？」
『さよう。寺院とともに打ち捨てられた、な』
やはりここは元寺院だったのだ。もし新たな召喚獣を入手できるのであれば心強い。すでに交感は始まっているという心づもりで、ブラスカは慎重に言葉を選ぶ。
「こちらに足を踏み入れたのは偶然ですが、ぜひお力をお借りしたいと考えています」
『災厄に挑もうとするならば、欠かせぬのは強固な紐帯。そなたらはそれを持っているというのか』
つまり、信頼関係が必要だという。ブラスカはわずかに眉根を寄せた。単なる訓示なのか、それとも別のことを指しているのだろうか。ひっかかりはあったが、ひとまず肯定する。
「ええ、私は彼ら二人を心から信頼しています」
『ふむ……』
そこで、声は一旦途切れる。
『確かに、召喚士とガードは強く信頼しあっているようだ』
しかし、と声は続ける。
『ガード同士はどうか』
ブラスカは、思わずジェクトとアーロンを振り返る。
『互いに疑心暗鬼に陥り、仲間割れし、身を滅ぼすガード。そして召喚士を幾人も見てきた。同じ道を辿るのであれば力を貸す意味はない。引き返すがよい』
そう言われて、ブラスカは一瞬言葉に詰まってしまう。
二人のガードは、戦いで背中を任せ合うほどに互いを信頼していることには疑いはない。ただ、それ以外の場面だと口論が絶えないため、一見すると仲違いしているように見えるのは否定できない。そのうえ、他人からそのような指摘をされたこともある。そんなブラスカの心情を見透かされているような気がしたのだ。
しかし、
「おう、テメエの憶測でモノ語ってもらっちゃ困るぜ？」
ジェクトが心外そうに声を張り上げた。
「俺とこいつに信頼関係があるか、だと？ まあ確かにわざわざ言葉にすることなんてねえ……つーかしたくねえけどよ、言葉にしなくたってわかるんだ。外からどう見えようと、そんなのは、俺らがわかってりゃあそれで十分だ」
だろ？ と不適な笑みを向けられ、アーロンは状況が掴めないながらも、「……ああ、そうだ」と力強く頷いた。
「ジェクト……意外と大人だね」
ブラスカが感心していると、ジェクトは少しばかり呆れたような表情を作る。
「おめえは俺様のことなんだと思ってんの？」
「あの、ブラスカ様、ジェクト、俺にはさっぱり状況が……」
戸惑うアーロンの声に被さるように、祈り子の声が響いた。
『よろしい。ではその覚悟の証、見せてもらおう』
言い終わると同時に、ジェクトとアーロンを立っていられないほどのめまいが襲う。ブラスカが驚いて二人の名を呼ぶのを聞いた後、意識が急激に遠のいた。
◆
気がつくと、ジェクトは先ほどの石畳の広間ではなく、見知らぬ部屋に仰向けになって倒れていた。
隣を見ると、アーロンがうつ伏せに倒れている。慌てて起き上がり呼吸を確かめるが、しっかりと規則的に息をしており、ひとまず心配は要らないようだ。そこまで確認してから、ふとジェクトは気づく。
何故、自分たちはだだっ広い布団の上で寝かされているのだろうか。
二人は、床に敷かれた、大人二人寝てもまだ余白のある分厚い布団の上にいた。ジェクトは、恐る恐る辺りを見回す。
静まり返ったその部屋は、やや天井の低いドーム状になっている。ジェクトが直立して思い切り飛び上がったら、頭をぶつけてしまうだろう。ぐるりと囲う壁にはなにやらスピラ文字と絵のようなものが刻まれているようだが、薄暗くて判読できない。
光源は、枕元に置かれたランプのみだ。薄暗い中を柔らかい橙色の光で照らす。また、香でも焚かれているのか、ほんのわずかな煙たさとともに、官能的な甘い薫りが部屋に満ちている。
「ええっと……？」
どうしようかと佇んでいると、アーロンがわずかに身動ぎする気配がした。
「ジェクト……」
「おう、大丈夫か」
「ああ。しかしここは一体？ ブラスカ様は……」
「それが俺にはなんとも。ブラスカはここにはいねえようだが……」
そこに、ジェクトにのみ聞こえる声が響く。
『気がついたか』
「あ！ これテメエの仕業か！？」
『強固というなら、証明してみせよ。此処に刻まれし四十八の試練を乗り越えることによって。さすればそなたたちに力を貸そう』
「ああ？」
声が聞こえず、状況が掴めないアーロンの視線に気づき、ジェクトは今しがた言われたことをアーロンに説明する。
「ふむ……手がかりになりそうなものといったら壁の文字と絵くらいか」
ジェクトとアーロンは立ち上がり、ともに壁に歩み寄ってよく観察する。読みづらく、手元に明かりが欲しくなるが、だんだんと目が慣れてくる。
「な、なんだこれは……？！」
アーロンが絶句するのと同じタイミングで、ジェクトも気がつく。ここに描かれている絵が、男女のまぐわいを表しているものだということに。
慌てて絵の数を数えてみると、四十八あるようだ。しかも、全て種類が違う。
「おい、まさかとは思うが……」
アーロンが、この先は言いたくないとばかりに口をつぐんでしまう。かわりに、ジェクトがやけくそ気味に続きを引き取った。
「ああ、どうやら俺たちでやるしかないらしいな？ この四十八の……体位、を」