試練の内容、それは四十八の体位で交わること。
「…………」
しばし、沈黙が落ちる。
突きつけられた事実から逃避するかのように、アーロンは無言で部屋の中の、まだ調べていないところを調べ始めた。今は、壁際に寄せるように置かれていた箱を開けているところだ。
「ううっ……おい! 召喚獣が必要なけりゃ、こんな試練も受ける必要ねえよな?」
これが現実と認めたくなくて呻いたジェクトは、姿の見えない傍観者に向かって声を張り上げる。抑揚も温度も無い声が、すぐに返ってきた。
『臆したか? 必要かどうかは召喚士が決めること。それに、試練の内容程度で揺らぐような絆なら、そなたらに災厄を退けることはできまい。破壊されるのを待つのも、ここで死を待つのも同じだろう』
「厳しくね? 祈り子ってそんなもんなんか?」
「……ブラスカ様は大丈夫だろうか」
つぶやいたアーロンに応えるように、声が響く。
『案ずるな。今召喚士のいる場所と、この場所とは時間の流れが異なっている。そなたらは今「夢」の中にいるようなものだ。ここでいくら時間を使おうと向こうでは半日にも満たぬだろう』
「ほんとかねえ」
「ジェクト、なんだって?」
ここはそう大きな部屋ではない。調査をあらかた終えてしまったアーロンが、部屋の中心に戻ってくる。
「ん? ああ、なんかこことブラスカがいるところとじゃ時間の流れがちげえから心配すんなってさ」
「そうか……」
アーロンは、わずかに安心したように小さく息をつくが、すぐにまた険しい顔をする。
「しかし、だからといってそう時間をかけるわけにもいかん。それに、ブラスカ様には召喚獣も手に入れていただきたい……」
固く目を瞑って、眉間に深くシワを刻む。が、アーロンは、やがてゆっくりとまぶたを上げた。
「かなり不本意だが……ジェクト、もう、やるしかない」
宣言するような口調はいっそ清々しい。アーロンのこういうところに、ジェクトは素直に感心する。
「さっさと終わらせよう」
ただし、表情は悲壮感に満ちている。わざわざ指摘はしないが、今にも泣きだしそうな子どもを見ているようだ。せめてもの慰めに、ジェクトは無理矢理笑顔を作る。
「いいねえ。さっすが、ブラスカ様命のアーロンだぜ」
どうやら本当にやるしかないようだ、とジェクトも腹を決める。
しかし、それにあたって目下気になることを解決しておかねばならない。
「でもよ、その前に問題が二つある」
「なんだそれは」
ジェクトは布団の上にあぐらをかき、アーロンを見上げる。
「一つ目は、単純に俺たちの体力と身体が持つかどうか、だ」
「……それなら、恐らく心配ない」
アーロンが、先ほど調べていた箱を引きずってくる。中には、強壮効果のある体力の薬、回復効果のあるポーション類、そしてエリクサーがこれでもかと詰まっていた。
ご丁寧に、最中に使えるようにということだろうか。壁と同じ絵文が書かれた巻物と、潤滑油まで入っている。準備万端すぎてジェクトは少し引いた。
「……ああ、心配いらねえなこれなら。いざとなれば調合もできるし」
何かする前からどっと疲れたような気分で、力なく頷く。
「とりあえず、体力面とか身体の負担はクリア、と。二つ目は、役割分担だ」
「役割分担……」
アーロンが、ごくり、と緊張したようにつばを飲み込む。
「まっ、平たく言うとどっちが突っ込んでどっちが突っ込まれるかってこったな」
ここで、ジェクトはひとつ咳払いをする。アーロンを不快にさせるかもしれないが、試練突破のためにこれは聞いておかねばならない。
「単刀直入に聞く。アーロン、おめえセックス経験あんの?」
「……同性相手には、ない」
「異性相手には?」
「そ、そこまで言う必要はあるのか?相手することになるのは男なんだから」
この期に及んでぼかそうとするアーロンに、ジェクトは呆れて天井を見上げた。
「あーあー今のでわかったわ。わりいけどおめえ、突っ込まれる側ね」
「はあ!? なんで今の流れでそうなるんだ!」
「あのなあ、お互い男を相手にしたことがねえんだ。せめて少しでもそういう経験ある方が突っ込んだ方がいいだろが」
言外に、おまえは経験がないんだろうとほのめかす。その意図が正確に伝わったようで、アーロンは悔しそうに歯噛みする。
「俺は何も言ってない……」
「いーや、言ってるも同然。おめえ、うちのガキくれえわかりやすいもん」
決めつけるジェクトをアーロンは凄まじい形相で睨み付ける。が、急に何やら腑に落ちたかのように無表情になった。
「……そうか。あんたの息子があんたを嫌う理由がわかった気がする」
そう捨て台詞を吐いて、ジェクトに背を向ける。
「ああ?! ……って、ちょ、ちょっと待て」
それは聞き捨てならないとジェクトは勢いよく立ち上がり、後ろ髪掴んで振り回してやろうか、などと物騒なことを考える。が、ふと視界に入ったアーロンの手が、壁に立てかけてあった愛刀を取ろうとしているのを見て一転、血の気が引いた。
「やーめーろって! ここで仲間割れしたらアイツの思うツボだぜ!?」
しかしアーロンの怒りを鎮めるのには骨が折れる。それはひとえに、自分が、なだめすかすのが下手でむしろ火に油を注ぎがちだからだ。残念ながら、ジェクトはよくよく承知していた。
今の状況では意地の張り合いをするのは得策ではない。仕方ない、と深くため息をついた。
「わーったよ、じゃこうしよう」
おもむろにポケットに手を突っ込んで、つかんだのは十ギル硬貨だ。
「こいつを投げて、表ならおまえが突っ込む側、俺が突っ込まれる側。裏ならその逆。これなら公平だろ?」
「……ああ」
『納得はしていないが、一方的に決められるよりはずっとマシ』、そんな表情でアーロンは頷いた。
いつになく真剣な顔をしている――そうジェクトは自覚していた。
緊迫した空気をまとうアーロンも、爪が食い込んで血が滲むのではと思うほど拳を握りしめているようすだ。
きん、と音を立てて宙高く弾かれた硬貨は、ジェクトの左の手の甲と、右の手のひらとで挟んで受けとめられる。おそるおそる右手が退けられて、姿を現した硬貨は、裏面だった。
「…………」
その沈みように、かける言葉もない。ジェクトは、布団の上にがくりと膝をついて項垂れてしまったアーロンの正面にしゃがみこんだ。
「……ま、なんつーか、できるだけ痛くないようにすっからよ、うん」
そして、肩を労るように軽く叩く。
「…………頼むぞ……本当に……」
いつもよりさらに低い、地を這うような声に、ジェクトは思わず苦笑した。人間、自分より取り乱している者を見るとかえって冷静になるというが、まさにその通りだと実感したのだ。
「何がおかしい!」
笑い声の気配を感じたアーロンが、思い切りよく顔を上げてジェクトをきっと睨んだ。目が合う。
怒りか、やるせなさか、どちらもか。ゆらゆらと揺れている琥珀色の瞳。
普段、こんな至近距離で見つめ合うことなどまずない。透明度の高いその瞳からなぜだか目が離せず一瞬戸惑うが、身体の動くままにまかせてみることにした。まるで吸い寄せられるように、ジェクトはアーロンに顔を近づけていく。
しかし、鼻先が触れるくらいの距離となっても、アーロンはただきょとんとこちらを見てくるだけだ。ひどくやりづらい。
「おい、目ぇ閉じろ。ほんっとガキな、おめえ」
言われてやっと、何をされるかの察しがついたようだ。橙色の室内灯に照らされて判別しづらいが、きっとアーロンの頬にはじわじわと赤みが差していることだろう。
「え、あ、その、いくらなんでも、ここまでする必要はないのでは」
「んだよ、もしかしてファーストキス?」
「ちが……い、いや、それは今は関係ない!」
「ちっとでも気分盛り上げた方がお互いやりやすいだろ? それにおめえ、緊張しすぎ。それじゃ入るもんも入らねえよ」
腕を掴んでぐっと引き寄せると、アーロンはバランスを崩してジェクトの腕の中に倒れ込んでくる。
「さっさと終わらせようってのは同感。ただ……」
身動きできないでいる青年の耳元に唇を寄せて、
「……どうせやるなら、楽しもうぜ。な?」
囁いて、わざと息を吹きかける。面白いほどに腕の中の身体が跳ねた。
初めて触れた唇は、しっとりと柔らかかった。
「ん……」
いつもの固い声からは想像もつかないような甘い響きを聞いて、ジェクトは内心ほくそ笑んだ。
まずは互いの感触を確かめ合うように、角度を変えてはついばむ。しばらくは唇を引き結んでなすがままにされていたアーロンだが、時間をかけるうちに少しずつ緊張が解れてきたのか、徐々にジェクトの唇を迎えて、小さく吸う動作を見せるようになってきた。
どうも、ジェクトの動きを真似ているらしい。時折、二人とも同じ方向に頭を傾けてしまいうまく唇が合わない。それが何回か続くと、アーロンは決まり悪そうに苦笑した。
ジェクトはその隙を逃さない。少し開いた唇から口内に、素早く舌を侵入させる。逃れようとして引かれる頭を、手でしっかりと押さえつける。じっくりと歯列をなぞり、上顎をくすぐって、動けない舌を絡めとった。
たどたどしいキスも、やりようによっては興奮を煽ってくれる。しかし手っ取り早く熱を高めようとすると、やはりこうして即物的なものになってしまうのだ。
「んん……ふ、うっ」
予想通り息が上がってきたアーロンの装備に手をかける。
「脱がせるぞ」
と言ったものの、どう脱がせるのが正解なのかが不明だ。
赤い僧衣のベルト、右の腕輪と手袋を外して、右の袖を抜くところまではできたが、胴を守るアーマーのようなもの――実際のところ何なのかはジェクトはよく知らない――はどうすればよいかわからない。
「この……これ、どうなってんだ?」
「自分でやる」
アーロンが、わずかに震える手で留め具を外していく。全ての留め具が外されて胴を離れたそれを、アーロンは邪魔にならないように横に押しやる。その下に着けていたぴったりとしたアンダーウェアもついでに脱いでしまうと、日に焼けていない身体が露になった。
「下も脱いじまえ」
促すと、さすがに少し躊躇いがあるようだったが、意を決してスラックスと下着も一気に取り去った。腰回りにまとわりついていた赤い僧衣も畳んで傍らに置き、これでアーロンは何も身に着けていない状態となった。
「ん、よくできましたっと」
茶化すように言いながら、ジェクトはアーロンを布団にゆっくり押し倒す。そして見下ろしながら、なめるように全身を眺め始める。
(ふうん……?)
鍛え上げられた身体はよく引き締まっており、余剰を感じさせる部分がない。健康的にハリのある肌に触れたときの弾力を想像する。
胸板も厚く、立派なものだ。その上に乗っているのは、いかにも色事に慣れていなさそうな印象を与える、淡い桃色の部位二ヶ所。そのアンバランスさに思わず喉が鳴った。
わずかに浮き出た腰骨も、柔らかそうな下生えも、全てがジェクトの予想を上回る色気を醸し出している。このような状況で、しかもアーロン相手に興奮できるだろうかと気がかりだったが、なかなかどうして。
(意外と、いけんじゃねえ?)
無意識に舌なめずりをしていたと気づいたのは、いたたまれないようなアーロンの表情を見てからだ。
「あまり、見るな……」
その目は今や溢れそうなほど涙を湛えているのに、気丈にも、一滴もこぼすまいと耐えている。
「泣くなよ……なんか俺サマ、すっげえ悪ィことしてる気分」
「泣いてないっ」
その態度と表情に煽られるヤツもいる、と教えてやった方がいいのだろうか。それはそれで、アーロンがこのような表情を他の誰かに見せることを想像すると、あまり愉快な気分にはならない。
いっぱしに独占欲を抱いているらしい自分に対して、信じられない思い半分、納得半分の複雑な感情がジェクトの胸に去来した。
ともあれ、これですべての懸念事項に片がついた。
「さて、そろそろ始めっか」
ジェクトは体力の薬を一気に飲み干した。アーロンにも、栓を開けた薬の小ビンを渡す。アーロンが飲み終わったのを見届けると、ジェクトは装備と衣服をさっさと脱ぎ捨てて自分も全裸になった。
薬が効いてきたのか、興奮のためか、じわじわと体温が上がっていくのを自覚する。
ジェクトは目を細め、犬歯をむき出して笑った。