ありし日の - 2/2

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 飛空艇の甲板へとつながるキャビンで、リンはガラス張りの壁に手をついて外を眺めていた。

 空は晴れ渡り、眼下の風景がよく見えた。うっそうと茂る森林と、水上に築かれた建物の特徴的な屋根が見えて、今はキーリカ上空を飛んでいるらしいことがわかった。

 ふと、背後に誰かが歩み寄ってくる気配を感じた。肩越しに振り返ってまず視界に入ったのは、目の覚めるような赤だった。

「あいつらに何か話をしたか」

 前置きもせずに唐突に問いかけてきたアーロンに、リンは体ごと向き直った。

「と、言いますと?」

「ティーダとリュックが『十年前の旅のことをもっと教えろ』と……うるさくてかなわん」

 十年の時を経て、アーロンはあまり感情を表に出さないようになっていた。それでも声色から心底うんざりしていることがうかがえて、リンは思わず小さく吹き出した。

「ああ、ちょっとした思い出話をしていたんですよ。十年前の」

 ブラスカたちの旅は、それはにぎやかなものだった――何かの拍子にブラスカ一行の話題になった時、ふとこぼしたリンの言葉を、リュックとティーダが耳聡く拾った。

 リンは一行の旅路に同行したわけではない。すべて見てはいないし、すべてわかるわけでもない。それでも二人にせがまれるまま、リンの記憶にある範囲のことをかいつまんで聞かせると、ティーダとリュック、そして一緒に聞いていたユウナも目を輝かせた。その年相応の表情を思い出して、リンの口元がわずかにほころぶ。

 しかし、「余計なことを」と言わんばかりの視線がじとりと送られているのに気づいて、リンの微笑は苦笑へと変わる。

「族長の娘さんに頼まれてしまっては、なかなか断りきれず」

「まったく、のんきなものだな」

 アーロンは軽くため息をついたが、少しの沈黙の後、記憶を呼び起こしているかのようにつぶやく。

「うまく乗せられて物を売りつけられていたな。ジェクトが」

「ええ、たくさんお買い上げいただいて。いいお客様でした」

 すまして答えると、アーロンがわずかに笑う気配がした。

 おもちゃのような剣と、旅のようすが記録された、少し欠けたスフィア。どれも実際にジェクトが買って持っていたものだろう。『リンさんが言ってるのってこれだろ?』と先ほどティーダが見せてくれたその二つを、リンは思い起こす。

「あの品々も、ジェクトさんは『渡せそうにない』とおっしゃっていましたが……どうやら、ちゃんとティーダさんの手に渡ったのですね」

 リンとしては単純に思ったことを言ったまでだった。しかしアーロンは、そのリンの言葉に、わずかに片目を見張った。

「……ジェクトが、そう言っていたのか?」

 首肯すると、アーロンは深く息をついて押し黙る。しばらくしてから、静かに、「そうか」とひとことだけ言った。

 そしてアーロンは、遠くを見るように目を細めた後、ゆっくりとまぶたを閉じた。その横顔は、今この場所以外のどこか、あるいは誰かに思いをはせているようだった。

「アーロンさん」

 衝動的に、リンは呼びかけた。しかし続けるべき言葉が思いつかない。そもそも、どうして呼んだのか自分でもわからなかった。すぐに目を開けたアーロンが怪訝そうな表情でこちらを見ている。

 どうしようかと思ったところで、よい口実を思いついた。荷物袋を探って目的のものを取り出す。

「――ちょうど、ここに一つだけ在庫があるんですよ」

 割れないようにと施された丁寧な梱包を解き、傷一つない新品のスフィアをアーロンに差し出す。

「昔の思い出も大事ですが、いかがでしょう。今からでも、少しだけでも今回の旅の記録をつけてみては?」

 アーロンはサングラス越しに軽く目をすがめる。

「その手には乗らんぞ」

 半額にしますよ、と提案したが、軽く手を振って一蹴された。

「それにもう、俺には必要のないものだ」

 そう言い残し、アーロンはリンに背を向けてその場を去っていく。ためらいなく歩む背中に、いつかの三人の姿が――寒々しい曇り空の下でリンが見た、三人の背中が一瞬重なって見えた。

 

 それが自身の思い過ごしにすぎないことを、リンは願った。