3.「たからもの」

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「ねえ、筋肉男」

 すっかり聞き慣れた妙なあだ名、こんな呼び方をするのは一人だけだ。

 振り返ると、小さな木箱を両手で持ち胸の前に抱えているリルムがこちらを見上げていた。少女は、マッシュの返事を待たずに続ける。

「その筋肉を見こんでお願いがあるんだけど」

 内容だけ聞けば冗談めいたことを至極まじめな調子で言われて、マッシュは一瞬、どう返してよいか迷った。

「……なんだよ」

「これ、開けられる?」

 尋ねながら、件の木箱が差し出される。それをマッシュはかがんで受け取った。手のひらにおさまるほどの大きさの箱を、そのまま手の中でぐるりと観察してみる。

 素朴すぎる、と言ってもいいくらい装飾がなされていない箱だった。つや出しのための塗装すらされていないようで、ざらつく木目が自然のままの模様を描いている。ふたと本体の噛み合わせもわずかにずれていて、どこかで買ったというよりは、誰かがリルムのために手作りしたのだろうかという印象をマッシュに与えた。

 そんな箱に特筆すべきところがあるとすれば、小さな鍵穴くらいだった。細かい意匠が彫られた金属の板でかたどられている。マッシュは留め具を外して箱を開けようとしたが、鍵はきちんと機能しているようだった。

「鍵かかってんじゃねえか」

「うん、だからこじ開けてほしいの」

「こじ開けるって……」

 そこそこ頑丈そうな箱ではある。が、それはあくまで見た目から受ける印象と比べたらの話だ。つくり自体は単純なので、壊してしまってもいいのなら開けられないということはなさそうだった。

 しかし、とマッシュは二の足を踏む。

「できなくはないだろうけど、壊しちまうことになるから元には戻せねえぞ」

 つい先ほどまで大事そうに抱えられていた箱。それを使いものにならなくしてしまうのは、さすがに気が引けた。

「そもそもこれを開ける鍵はどうしたんだよ」

 問われたリルムは口をつぐんだ。マッシュから視線を反らし、ためらいがちに指を組む。そして軽く唇を噛んでから、ぽつん、と呟いた。

「もう、ないの」

「何やってんだよ、大事なものが入ってんだろ?」

 鍵の付いた箱、ときたら、きっと中身は彼女にとっての宝物にちがいない。そう推測したマッシュは思わず苦笑いを漏らした。それは、しっかりものの彼女らしからぬことだと思ったからで、特に他意はなかった。

 しかし笑われたのが気に障ったのか、リルムは顔を上げてマッシュを見、目を吊り上げる。

「――なくしたくてなくしたんじゃないもん」

 声が鋭くなり、瞳が怒りを含んだのは一瞬だけだった。

「家の中……めちゃくちゃになってて、探したけど……」

 すぐに顔が伏せられて、声も沈む。

「どこかにいっちゃってて」

 そこでマッシュは、一週間前サマサに寄ったときのことを思い出した。

 リルムとストラゴスにとってはほぼ一年ぶりの帰宅だった。二人の家は、天変地異に巻き込まれながらも倒壊は免れていた。しかし、中は家具が倒れ物が散乱し、リルムとストラゴスだけでは手に負えないありさまだった。そこで、手の空いている仲間たちで片づけを手伝ったのだ。その中にマッシュも加わっていた。

 片づけのめどがついて、その日はサマサに一泊した。翌朝皆で迎えに行った時、リルムは自室からなかなか出てこず、ストラゴスにせっつかれてやっと姿を現した。何かを両手で大事そうに抱えていた。

 それが、この木箱だったのかもしれないとマッシュは思い至る。そう考えれば、その時どこかしょんぼりとしていた少女のようすにも説明がつく。

 

 わずかな時間、沈黙が落ちた。

 やがて、すん、と小さく鼻を鳴らしつつもしっかりとした声を保とうとしながら、リルムが続ける。

「……鍵がないんじゃ仕方ないでしょ? だから、中身が出せればもうそれでいいの」

 箱は壊さずに中身を無事に取り出す。それらを両立させる方法に、マッシュは心当たりがあった。

「頼む先を間違えてるな」

 リルムの表情はあえてうかがわず、なおも箱を熱心に観察しているふりをしながら、マッシュは切り出した。

「ロックに言ってみろよ、どんな鍵でも開けてくれるぜ」

「……そうなの?」

「あれ、知らなかったのか?」

 視線をやってみると、リルムは目を丸くして瞬かせていた。

「なんでも開けられるし、それにあいつなら合鍵くらい作れるだろ」

 ――たぶん。マッシュは、心の中でそっと付け足した。

 リルムは、まずはへえ、と相づちを打つ。次いで深く感心したような声で呟いた。

「ロックってただのどろぼーじゃないのね」

 本人が聞いていたら地団駄でも踏みそうな言いぐさだ。思いながら、マッシュは木箱をリルムに返す。

 ロックが戻ってきたら聞いてみる、と明るく言うリルムは、片手で軽く前髪を整えるようなしぐさを見せた。その時顔に触れた指先が、さりげなく両目の目尻を拭ったようにマッシュには見えた。

「……ありがと」

 歯を見せて笑った少女は、再度木箱を胸に抱いてぱたぱたと駆けていった。マッシュは短く応えてその後ろ姿を見送る。

 そして見えなくなってから、頭を軽くかいた。

(安請け合いだったかな、勝手に)

 ロックは鍵に詳しいし、手先も器用だ。その知識と腕を疑うわけではない。

 でも一応、事前に話を通しておいたほうがいいかもしれない。

 そう決めたマッシュは、今は探索に出ているロックが飛空艇に戻ってきたら、どのようにしてリルムより先に話を持っていこうかと考えを巡らせ始めた。