こうして重ねたやりとりが、それなりの数に達したころ。
宿の部屋で今やすっかり習慣となった手紙を書き終え、日付を入れるために机上のカレンダーを確認する。
「あ……」
そこでマッシュは、ペンを持つ手を止めて小さく声を漏らした。ちょうど一年前の今日、マッシュはフィガロ城を発ったのだ。
さらなる心身の練磨と、技の研鑽を積むために、修行の旅に出ることを考えている――先の旅を終えてしばらくしてからマッシュがそのように打ち明けた時、エドガーは止めなかった。むしろ喜んで、そうすることを勧めた。
ただ、引き止めこそしなかったものの、エドガーは一つだけ条件を出した。それが「定期的に手紙を出すこと」だった。かくしてマッシュは、兄に手紙を送る。兄は律儀にほぼ毎回返事を寄越す。それが続いて、一年が経った。
あんなに後ろ髪を引かれる思いで出発したのに、過ぎてみればあっという間だ。振り返れば、恋しい気持ちになることは、当初懸念していたよりはなかったかもしれないとマッシュは思う。
(……いや、そんなことはないか)
今しがたの考えはあっけなく打ち消された。「恋しくならなかった」などというのは、明らかな見栄だ。
本当は、今だって、エドガーに会いたくてたまらなかった。顔を見ながら、旅の話題でも何でも、とにかく話をしたかった。身を寄せて、抱きあって、体温を感じたくて仕方がなかった。
エドガーも同じ思いでいるのだろうか、とマッシュは考える。今マッシュが焦がれているのと同じくらい、会いたいと思っているのだろうか。そうして一度考え始めると、いてもたってもいられなくなる。今抱える思いを届けるとともに、向こうの気持ちも確かめたくなって、マッシュはペンを握り直した。
しかし、先ほど書き終えた便せんにはもう、署名をするくらいのわずかな余白しか残されていない。かと言って便せんを一枚追加するのもなんだかおおげさな気がした。
そこでマッシュは、宿の部屋に備え付けてあるメモ帳から一枚用紙を切り離した。白紙のそれを前に、どう書いたものだろうかと頬杖をつく。考えを巡らせた後、とりあえず、きちんとした文章にして書き出してみた。
完成した一文は、しかしどうも変に形式ばってしまって、今のマッシュの心情との温度差が感じられる気がした。
(ちょっと、違うかな)
しっくり来ずに、二重線を引いて消す。
ペン先を再度インクにつけ、少し考えてから、また別の一文をしたためてみるが、
(いやいや……これはないな)
途中で恥ずかしさに耐えられなくなり、書き終える前にインクで塗りつぶすようにして消した。少々ロマンチックすぎる――まるで、兄が女性を口説く時に用いるような表現になってしまったのだった。
新たにメモ紙を一枚破り取り、まっさらな紙面をただ眺める。ペンを持つ手は動かない。伝えたいことはあるのに、それをそのままの温度で表せる言葉を探そうとすると、気持ちだけが空回って、どうしても手が止まってしまう。
やがて、そもそも手紙自体をどう書いていたのか、そんなことすらわからなくなってしまったような感覚に陥った。マッシュは、思わずうなりながら目を閉じた。
――気負わずに、思ったこと、気づいたことを自由に。
そこでふとマッシュは、この旅に出てから一番初めにエドガーから届いた手紙にあった一文を思い出した。そのような手紙が欲しいのだと、兄は書いていたはずだ。
その言葉を道しるべに、マッシュは目を閉じたまま自分の心の中を見つめる。強がりや、照れや、そういったものを一つずつ塗りつぶしていった末に、たどり着いた先。ゆっくりとまぶたを開けて、ペン先で言葉をそのまま紙に乗せていった。
そうして紡いだ文には、特に技巧もほどこされておらず、華やかさとは無縁だ。素朴な、見ようによってはそっけなさすら感じさせるものだった。しかしエドガーと自分の間ではこれで十分伝わると、マッシュは確信していた。
そのおよそ一週間後、マッシュの元に兄から手紙が届く。
先日自分が送った内容を思い起こして若干赤面しつつ、マッシュは、封を切って折りたたまれた便せんを取り出した。
どんな返事が来たのか見たいような見たくないような、そんな葛藤と戦った後に、思いきって便せんを広げ書かれた内容にざっと目を走らせた。
そして、日付と署名で締められた後の追伸文で、目が止まった。
『……
xxx年x月x日
エドガー
追伸 同封されていたメモは、いったい誰に宛てたものだ? まあいい。とにかくこのごろは、お前がどんな顔をしてあれを書いたのかを想像しては楽しんでいるよ。早く答え合わせをしたいものだ。E 』
じりじり照りつける日差しと、肌を焼くような熱気が、故郷に戻ってきたのだと実感させる。
乗ってきたチョコボから飛び降りて、マッシュは日よけのフードを外した。労うように巨鳥の黄色い羽毛をくすぐってやると、愛らしい鳴き声が上がって、つい口元が緩んだ。
駆け寄ってきたチョコボ舎の係と二、三言葉を交わしながら、彼に手綱を預ける。そうしてから、マッシュは、姿勢を正す兵士に迎えられて城の正面口に立った。
外の熱気とは対照的に、石造りの屋内はひんやりとして心地がよい。歩きながら、マッシュは懐かしさよりも緊張の方を強く感じていた。
心臓の高鳴りは、国王の執務室の扉の前で最高潮に達した。深呼吸をしてから、ドアノッカーを三度打ち付ける。
「開いてるぞ」
重厚な扉越しにくぐもった声が聞こえてくる。それを確認して、もう一度深く息を吸いこんでから、取っ手を引いて扉を開けた。
執務机に向かっていたエドガーが顔を上げる。マッシュの姿を認めて、笑顔を見せた。マッシュは扉をしっかりと閉めてから、立ち上がってこちらに向かってくるエドガーに向き直った。
「ただいま」
「ああ。おかえり、マッシュ」
マッシュの正面、数歩ほどの距離を空けて足を止めたエドガーは、おもむろに腕を組み顎を引いてマッシュの頭からつま先までをさっと眺めた。
「見違え……てはないな、そんなに」
「ええ? そうかな」
「十年越しの衝撃と比べたら」
「それと比べたら、そりゃそうだろ」
ずっと聞きたかった声、久々の会話だ。その感慨に浸りたい気がしつつも、マッシュには、早く確かめたいことがあった。
「……なあ兄貴」
はやる気持ちを抑えつつ、マッシュは一歩エドガーの方に踏み込む。すぐに触れ合えるような距離に近づいた。
「答え合わせしよう」
「答え合わせ?」
唐突な言葉の意味を理解しかねたのか、エドガーがわずかに眉を寄せた。
そんなエドガーの頬を両手を伸ばして包み込む。そして同じ色あいの瞳をまっすぐ覗き込みながら、マッシュはゆっくりと口を開いた。
「俺はあれを、たぶん、こんな顔で書いてた」
言いながら、急速に頬に熱が集まっていくのを自覚する。マッシュはそれに構うことなく、内緒話でもするかのように声を落として続けた。
「兄貴は? ――どんな顔で読んだのか、教えて」
数回瞬きをするエドガーは、わずかに困っているようにも見えた。
しかし、少しの間の後に、合点がいったのか戸惑いの表情はふっと消える。代わりにじわじわと広がっていったのは、抑えきれないといったような笑みだった。
マッシュの両手に顔を固定されながら、エドガーは視線を外し、そのまま記憶を探る時のように宙をさまよわせる。そのようすは、やはりどこか楽しげだ。
「さあ……もう忘れてしまったな」
焦れて、マッシュは思わず大人げなく唇をとがらせた。視線を正面に戻したエドガーは、マッシュの顔をおかしそうに眺めていたが、ついに声を上げて笑い出した。
「……あんまりからかうなよ」
「ああ、悪い悪い」
細められたままの瞳が、穏やかにマッシュを見つめてくる。その余韻を残しながら、まつ毛が静かに伏せられて、そのまま流れるように目が閉じられた。
待ちわびたその合図と同時に、唇を重ね合わせる。美しく弧を描いた唇は、マッシュの記憶どおりに柔らかく、甘い。