ファルコン号の舵を取っているマッシュは、甲板の少し離れたところでタバコをふかせているセッツァーに向かって声を張り上げた。
「セッツァーってさあ、なんだかんだ優しいよなあ」
「何が望みだ?」
突然のおだてには必ず裏があるとでも思っているのだろうか。マッシュとしては思ったことを言ったまでだったのだが、食い気味にはねつけられて苦笑した。
風圧で聞こえづらいのか、セッツァーが不審がる表情のままでマッシュの隣まで近づいてきた。マッシュは肩をすくめる。
「別に、ふと思っただけだよ。だって会って間もない俺たちにブラックジャックを操縦させてくれたじゃないか。シロートだったんだぜ、俺ら」
「まあ、天候も穏やかだったし、すぐにサポートに入れる体制ではあったからな。俺も、あいつらも」
言って、セッツァーは機器の調整をしているクルーの一人を顎で指す。そうやって受け答えはしながらも、まだ疑り深い目つきに、マッシュは深々とため息をついた。
「なんにも裏は無いし、皮肉でもないって。本当にそう思ったから言ってるだけだよ」
それに、自分にはそんな芸当ができないことをマッシュはよく心得ていた。
「俺、そういうの苦手なんだ。この前なんか、ロックとカードやってたら『カードの裏を見せてても表を見てるようだ』なんて言われちまった」
ふうん、とセッツァーはゆっくりとタバコの煙を吐き出す。それはすぐさま風にかき消されていく。
「で、コインの裏表の判別はつくのかい、お前さんには?」
何のことを言われているか、説明されるまでもなく理解した。マッシュはセッツァーを、当惑とほんのわずかな苛立ち、そして気まずさが少しずつ入り混じった目でじろりとにらんだ。そこでようやくセッツァーは満足げな表情を見せた。
「悪い悪い。つい、な」
全く悪いと思っていなさそうな声色で、むしろ笑いながらセッツァーはマッシュの肩を叩いた。
「この話題を振った時のお前ら兄弟の反応がおもしろくてなあ」
「いいよもう、諦めてるから……」
目的地の方向を考えながら軽く右に旋回する。地図は何度も眺めたので、位置関係はなんとなく頭に入っている。このまま真っすぐ行けば、ちょうど目的地の近くに着陸できる場所があるはずだ。
「飛空艇の操縦、最初は難しいと思ったけど、だんだんできるようになってきたらすげえ楽しくってさ」
マッシュの言葉に、セッツァーは悪い気はしていないようだ。頷いているのが横目で見えた。
「確かにお前は慣れるの早かったな」
「一応フィガロ出身だからね。機械の扱いは、たぶん他の国の人よりは慣れてる」
「機械大国フィガロねえ……」
曇り空を遠くに眺めながらセッツァーが呟く。含みのある余韻は、その意図を読めないマッシュをじれったくさせる。操縦桿を握るマッシュの手に思わず力がこもった。セッツァーはそんなマッシュの反応もきっと織り込み済みなのだろう。
「どっかの国のお偉いさんの中には、『死の商人』とか呼ぶ奴もいたっけな」
言葉とともに、セッツァーの試すような視線を横顔に感じた。
機械技術で抜きんでているフィガロが兵器開発を主要産業とすることは、帝国支配下の混乱した情勢では自然な流れといえた。そして自国で使う以外にも、ナルシェに、そして同盟関係を名目に帝国にも一部輸出されていたことは国民なら誰もが知っていた。
フィガロの機械で侵略された国、殺された人たちがいるのだろうか。言葉に出したことは一度もなかったが、それがずっとマッシュの心に引っかかっていた。そのことを、遠まわしにではあっても、第三者から指摘されたのは始めてだった。
「……なあ、セッツァー」
セッツァーと兄は機械に造詣が深く、また自ら技術者としても開発や整備をするという点で共通点がある。マッシュは、もしかしたらセッツァーは理解してくれるだろうかと勝手な期待を抱いて口を開いた。共感まで求めることはできないとしても、聞いて欲しかった。
「俺さ、兄貴にはもう、だれかを傷つける機械を作ってほしくないんだ」
相手の返答を待たず、マッシュはそのまま続けた。
「人を傷つける兵器がある以上争いがある……ん、その逆か? まあとにかく、今とか、今までとかはそりゃ仕方なかったと思うよ。でもそうわかっててもやっぱり……嫌なんだ」
「じゃあどんな機械ならいいんだ? お前の中では」
「例えば、そうだな……それこそこういう飛空艇とか、海の中を自由に探検できる乗り物とか――とにかく人の役に立って便利なものを、兄貴にはこれからはたくさん……楽しみながら作ってほしい」
マッシュがそこで一区切りしても、セッツァーはしばらく何も言わなかった。風を切る音と、後方、甲板下からのエンジン音だけが響いていた。
「まァ、夢や希望があるのは結構なことだ。否定はしねえよ」
セッツァーはタバコをゆっくり時間をかけて吸い、紫煙を長く吐き出した。それはやはりすぐに風にかき消され、ほとんど見えなかった。
「だが、物は、結局使うヤツ次第で役に立つ道具にも殺戮兵器にも変わる。開発者の意図通りに使われるとは限らねえ。それは、お前の兄貴は十分わかってることだと思うがな」
そこで少しの間を置いた後、セッツァーはこともなげに続けた。
「それに、飛空艇でもなんでもどんな機械だろうと事故は起こる時にゃ起こる。だから楽しいばかりじゃ済まないかもしれねえな、お前にとっちゃ残念だが」
そこまで言われてようやく、マッシュは以前セッツァーから聞いた話を思い出した。もとのファルコン号の持ち主であり、セッツァーの友でもあった「彼女」、そしてまさに今乗っているこの飛空艇に起こったことを。
自分の思いを優先するあまりに、軽率な物言いになってしまっていたかもしれない。マッシュは低い声で謝罪と反省の意を示した。
「ごめんセッツァー、さっきのはちょっと……考えなしだったかもしれない」
目的地が目視できるまでに近づいてきた。マッシュは速度と高度を徐々に落としていった。すっかり慣れた滞りのない操作とは裏腹に、気まずさで、続きの言葉はなかなか出てこなかった。
「……で、結論は?」
居心地の悪い沈黙がしばし続いた後に、セッツァーが面倒くさそうに切り出した。
「結局お前が言いたいのは、ファルコンをお前の兄貴に譲れって話か?」
「違うよ。結論も何も、ただ思ってたことを聞いてもらっただけだ」
着陸位置を微妙に調節しながら、それに、とマッシュは微笑んだ。
「どうしても譲ってほしい時は正攻法で行くよ。機体と図面を譲ってくれって、兄貴と一緒に頼みに行くからさ」
「正攻法で来られて、俺がはいどうぞなんて言うと思うか?」
「わからないぜ、だってセッツァーは優しいから」
セッツァーの目が、空を呆れたように仰いだ。と同時に、飛空艇は大きな揺れもなく緩やかに地上に降り立った。
そのあまりのタイミングの良さからか、はたまた二人のやり取りからか、機械の調整をしていたクルーの笑い声が背後から小さく聞こえた。