7.「きょうだい」

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「それ」は、灼熱の砂漠ではなく、城下町から少しばかり離れた森林にひっそりと存在している。

 

 砂漠ほどでなくとも、八月半ばにもなれば、サウスフィガロ近辺もかなり気温が上昇する。

 エドガーとマッシュ、そして護衛の近衛兵二人は、城を出てチョコボで砂漠を越え、今はサウスフィガロ区域のはずれにある森の中を歩いていた。

 木々の影に足を踏み入れれば、刺すような太陽光からは逃れられる。しかしそれも、すでに上がった体温を下げるには至らない。エドガーの額に滲んだ汗が、玉となって頬を滑り落ちた。

「兄貴、大丈夫?」

 マッシュの呼びかけとほぼ同時に、同行していた衛兵の一人が水筒を差し出してきた。

「ああ……」

 水筒の中身を呷り、礼を言って衛兵に返しながらエドガーは呟く。

「お前こそいつもより厚着だが、大丈夫か」

「うわあ、暑さで今にもぶっ倒れそう」

 棒読みの下手な演技にもかかわらず、もう一人の近衛兵が慌ててマッシュに水筒を差し出した。その光景に、兄弟は思わず揃って吹き出した。

「ごめんな、冗談だよ。確かにいつもが気楽な格好すぎるからな。でもこれくらいなら平気さ」

 マッシュはいつもの拳法着姿ではなく、王族の礼装に身を包んでいた。主に王家の式典や儀式の時に身に着けるものだ。例えば、生誕日の式典といった記念行事や、葬儀。今、マッシュの胸元には喪章が付けられていた。

「それに、中に入れば涼しいからきっとちょうどよくなるよ」

 話しているうちに目的地までたどり着き、四人は足を止めた。エドガーはたどり着いた先を眺める。

 飾り気のない石造りの祠が、木々に隠れるようにして静かに佇んでいた。高さはだいたいエドガーの胸あたりなので、祠としては大きい方だろう。

 石でできた三角屋根の正面には、ごく単純な意匠が施されている。真ん中に太陽と、その両隣に、水を象徴すると言われている絡み合う曲線。それだけだ。かろうじて装飾と呼べるものがあるとするならば、何本か絡まっている緑色も鮮やかな植物のつるだ。

 何も知らなければ、「なんだか不気味な建造物」として素通りされてしまうだろうし、現にそうしているフィガロ国民は少なくないと思われた。

 しかし、この祠こそがフィガロ家の霊廟だった。

 エドガーたちの祖先は、自らが命を燃やした灼熱の砂漠に陵墓を建てるのではなく、愛する国民が過ごす町に近い、涼しくて静かなこの場所で眠ることを選んだようだ。

 厳密には、彼ら彼女らが眠っているのはこのさらに地下にある空間だ。祠の手前の地面に設置された鋼鉄の扉が入口を守っていた。

 正方形で上開きのその扉は、目立ちにくい色に塗装されてはいるが、やはり何度見ても森林の風景にまるで溶け込んでいない。防犯上仕方のないことだとわかっているが、もう少しどうにかしたいものだとエドガーは密かに思っている。

 二か所の鍵を解錠し、衛兵二人が扉を持ち上げて開くと、地下へと下る階段が現れた。

 近衛兵二人は、見張りとして地上に残しておくことにした。何かあったらすぐに呼ぶように、ついでに祠に絡まっていたつるは取り除いておくようにと言い含めてから、エドガーとマッシュはランプを掲げ、そして花束をいくつか持って暗く狭い階段を下りていった。

 

 長い階段を下りきった先は、開けてしかも涼しい空間になっている。この部屋も石造りなのでひんやりとしているのだ。

 しかし今は暗闇に包まれ何も見えない。エドガーとマッシュは手持ちの携帯用の灯りを頼りに、随所にあるランプに灯りをともして回った。真っ暗だった空間が、徐々に橙色に照らされ、その全貌が見渡せるようになる。壁に、ドーム状の天井まで届きそうな兄弟二人の影が伸びた。

「懐かしいな……」

 マッシュの呟きが墓石の並ぶ空間に反響した。マッシュが最後にここに来たのは十数年前、まだ元気だった父王に連れられて、ここに眠る母に会いに行った時だ。

 その後、墓石が一つ増えた。

「一番手前の、二つ横並びになってるところの右だ」

 マッシュは振り向かないまま頷き、今エドガーが示した場所へとゆっくり歩を進めた。エドガーはその後をついていく。

 父と母――前王とその妃。二人が眠っているその場所にたどり着くと、マッシュは片膝をつき、持っていた花束をゆっくりとそれぞれの墓石の前に置いた。

 しばらくそのままの体勢でマッシュは祈りを捧げているようだった。しかし、ややあって、くずおれるように両膝をついて肩を震わせ始めた。

「親父、ごめんな。本当にごめん、ごめんな……」

 両親と先祖たちが眠る静かな空間に、すすり泣きが響き渡った。

「すっかり遅くなっちまったけど、来れて本当に……よかった……」

 エドガーは震えている大きな背中を苦い思いで見ていた。

 

 十数年前、父王が亡くなったその夜のうちにマッシュは城を出た。

 当然葬儀には参列できず、墓参りも今回が初めてということになる。旅の途中に立ち寄って参拝することも提案したが、「全部に片を付けてから行きたい」というのがマッシュの希望だった。

 崩御から数時間も経たないうちに開催された父王の葬儀についての会議の場で、マッシュの不在をいぶかしんだ高官に対し、彼の出奔を告げた時のことをエドガーは思い出す。

「王子が王の葬儀に参列せず、あまつさえ出奔した」という事実をことさら重く受け止める城の上層部の人間は、当時十七歳のエドガーが想像していたよりもはるかに多かった。不敬罪の適用によって捕らえ牢獄入りさせるべきだと、その場で声高に主張する者までいた。

 しかし、そこはエドガーの頑なな意思と、大臣や穏健派の重鎮、そして神官長の必死のとりなしで実現はしなかった。

 そのような経緯が過去にあったため、今回マッシュが参拝することについても、城内でひと悶着あった。

 保守派はやはり強固な反発を示した。マッシュは一度王族籍を抜けており、「一度籍を抜けた者の復帰」という前例がないために、マッシュの復籍はいったん保留となっていた。

 そのため形式上は、王族でない者が王家の墓に足を踏み入れることになる。その点が彼らにとって一番の問題であるらしく、彼らの態度を軟化させるのは困難であるようにも思えた。

 しかしエドガーはもう、じいやとばあやの助けが必要な十七歳の少年王ではなかった。

 まずは相手方に対し、今回の世界平和実現におけるマッシュの功績をとうとうと語り、そのため平和の到来を父母に報告する役目はマッシュこそがふさわしいと説いた。

 また、エドガーがその時相手にしていた人物は、十数年前、城内で発生していた権力争いに関して裏で糸を引いていたと噂されていた者だった。

 なので、それに関する若干の皮肉と、城内の秩序をいたずらに乱した者に対しては内規で罰則が適用される可能性があることをほのめかすなどのあらゆる手法を駆使して、どうにかこうにか相手を丸め込んだ。

 そんな経緯で今回マッシュをこの場に連れてくることに成功したのだった。

 
 
「兄貴」

 まだ半分ほど潤みの残る声で呼びかけられ、エドガーの意識は霊廟へと戻ってきた。

「兄貴も一緒に」

「そうだな、揃った顔を見せないと、親父たちも安心して眠れないだろうね」

 エドガーもマッシュ同様両膝をつき、しばらく墓標の二人の名を見つめた後、目を閉じて祈る。父と母に報告することは山ほどあるが、まずは隣の弟の成長ぶりを見てほしかった。ここまで強くなって、しかも世界を救ったのだ。

 ――ああ、ただ。エドガーは付け足す。涙もろいところは、親父の知っているころからずっと変わっていないかもしれない。

 祈りの中で、父母に伝えたいこと、そしてこれからも兄弟を見守っていてほしいということをひと通りさらった後、エドガーは目を開けた。

「じゃあ、おふくろ、親父。また来るよ」

 そう言ってエドガーはゆっくりと立ち上がった。自覚はないがずいぶん長く祈っていたらしい。立ち上がる時にひざの関節がぎしぎしと音でも立てるようだった。

「マッシュはどうだ、そろそろ大丈夫か?」

「うん」

 肯定の返事とはうらはらに、マッシュの体はそこから動く気配がない。少し頭を傾けてその横顔をうかがってみると、開かれた眼、その視線は真っすぐに父の墓標へと注がれていた。

 やはり何かを迷っている。論理よりも先に、エドガーの直感がそう告げる。

 

 瓦礫の塔が崩れ、旅は終わった。エドガーに日常が戻った。それは同時に、城に帰ることを選んだマッシュにとっては、これまでとはまた別種の「非日常」の始まりでもあった。

 王の弟が無事に、しかも強く丈夫になって城に戻ってきて、今後は母国に尽くす。そのことは城中を歓喜させた。しかし一部の者にとっては、それはあくまで表面上のことにすぎなかったと気づくには、そう時間はかからなかった。

 よく注意して見ていると、特に兵士に関しては、一度王族籍を抜けたマッシュに対しどう接すればよいか、戸惑っているようすが一部に見られる。そして文官の中にも、明言はしないまでも、マッシュの帰還を快く思っていない者がいるらしいことはすでに把握していた。

 そんな城内にこもらせて仕事をさせるよりは、という判断で、マッシュには現在サウスフィガロの復興作業に尽力してもらっている。フィガロ領は比較的被害が少なかったとはいえ、まだ町は復興途上にある。

 サウスフィガロという現場で市民と一緒に汗を流すマッシュは、城にいる時よりも生き生きとしているように見える。なにより市民はマッシュを愛していた。特に子どもたちからは絶大な人気ぶりであると先日町を守る兵士から報告を受けていた。

 そんな状況下で、いつしか、マッシュが時折何かを考え込むようなようすを見せるようになっていたのがエドガーは気になっていた。

 それと今の状況が関係があるかは不明だが、エドガーは弟を見下ろしながら静かに口を開いた。

「マッシュ、何か迷っているんだろ」

 驚いたような瞳がすぐにエドガーを見上げてきた。正直な弟に、エドガーは思わず頬を緩ませた。

「せっかく親父とおふくろの前なんだ、話していったらどうだ。俺は先にお祖父様とお祖母様に花を供えに行ってくるからしばらく向こうに行ってるよ。なんなら先に地上に戻っててもいい」

「待ってくれ」

 祖父母の墓を目指そうと歩き始めたところでマッシュが鋭く声を上げた。

 もう一度マッシュを見ると、どこか切実さのあった声の割には、エドガーを見つめ返す目は風一つない日の海のように落ち着いていた。

「……そのとおりだよ。迷ってるし、親父とおふくろに全部話していきたい……でも、できれば兄貴にも一緒に聞いててほしい」

「いいのか?」

 マッシュは覚悟を決めたようすで黙ったまま頷いた。

 

「城が今、俺の扱いに困ってるって、理解してるつもりだ」

 いきなり核心を突いた発言に、マッシュの背中から少し離れたところで立って聞いていたエドガーの方がうろたえてしまった。

「マッシュ……」

「今は兄貴が取り計らってくれて、サウスフィガロの復興作業のリーダーみたいな立場で仕事をさせてもらってる。二人とも、もしかしたらそっちから見てるかもしれないけど、皆すごく頑張っているんだよ。かなりの早さで建物も設備も修復されてる。きっとあっという間に町は元通りになると思う」

 今も懸命に作業に励む市民のことを思っているのか、マッシュの声は和らいでいた。

「もちろん、なるべく早くフィガロが復興するのが俺の望みだよ。でも、復興が済んだと言えるようになったら俺の役目は終わりだ。そうしたら、次は?」

 マッシュは軽く振り向いて一瞬エドガーに視線を向けた。少しためらうようすを見せたが、「全部話す」という決意は固いようだ。両親の墓標に視線を戻し、続けて語った。

「……兄貴は絶対に俺のことを考えてくれる。城の中か、外かわからないけど、次の仕事を、何らかの役目を……『城にいる理由』を俺に与えてくれる。王族への復籍も、前例はないけど、たぶん最終的には認められることになると思う」

 マッシュは次の言葉に移ろうとした。

「俺は……」

 しかし、喉がつかえでもしてしまったかのようになかなか言葉が出てこないようすだった。何回か深い呼吸を試みている音が聞こえる。それから少し経ったころに、堰を切ったように言葉があふれ出した。

「俺は――兄貴のことを支えたい。だからこうして城に帰ってきたんだよ。でも……でも、このままで、こんな状態が続いて、本当に『支える』ことになるのかな?」

 それは、両親に問いかけているようにも、自問にも聞こえた。

 沈黙が、その疑問への返答だった。しんとした空間の涼しい空気に身を委ねながら、エドガーは待った。時間はたっぷりある。聞かせてもらえるというのなら、今マッシュが思っていることすべてを聞いておきたかった。

「あともうひとつ、これについては半分俺のわがままも入ってるんだけど」

 マッシュが話題を転換させる。

「さっきも報告したけどさ、すげえ偶然で、フィガロを出て世界中を回ることになったんだ。飛空艇にまで乗ったんだぜ。まあ……途中で川に流されたり滝に飛び込んだりなぜか潜水したりもしたんだけど」

 当人たちはとてつもなく大変な思いをしただろうが、こうして改めてマッシュたちの道程を語られると、少し可笑しい。エドガーの口元が思わずほころんだ。

「そうする中で、色んな町に行った。たくさんの人と出会ってしゃべった。見たこともないような景色を見た。そしたらさ……もっともっと世界の色んなこと、フィガロにいたら絶対にわからなかったことをたくさん見たり知ったり、経験したくなった。でも今は世界は全然違う形になっちまってて、みんな苦しんでる。その中で、俺にできることがあるなら何かしたい。そう……感じるようになったんだ」

 一度に言い切って、マッシュはいったん少し肩の荷が下りたように息をついた。そしてついに、自分の「迷い」を簡潔に打ち明けた。

「それが今の俺の迷いだ。国に残るべきか、サウスフィガロの復興にめどがついたら旅に出るか」

 最後の言葉の余韻が霊廟に漂い、ゆっくりと静けさの中に溶けていった。

 そのしばらく続いた沈黙を遮って、エドガーはマッシュに歩み寄りその顔を覗き込んだ。

「ちなみに、俺もその会話に混ざってもいいのかな?」

「え、あ、うん。もちろん、どうぞ」

 普段ならエドガーを前にして言えないであろうことも言いきった後だ、さすがにマッシュは照れくさそうに頭をかいた。

「マッシュ。お前の中にある迷い……それを一つに絞りこむいい方法を俺は知ってるぞ」

「いい方法?」

 微かに眉を寄せるマッシュに微笑み、エドガーはマッシュの隣にしゃがみこむ。そして懐から両表のコインを取り出した。

「親父がくれた、このコインで決めよう」

 マッシュがかすかに息をのむ音が聞こえた。はは、と乾いた笑いが、笑おうとして失敗したような形の口から漏れた。

「……それじゃ実質、選択肢なんてなくなるじゃないか」

「そう、『表が出たらどうするか』を決めた時点で、必然的に一つの道に決まるな。でもそれはどんなものだろうと間違いじゃないよ。なぜならお前が考え抜いて選択した結果だからだ」

 エドガーは、さすがに少し年季の入ってきたコインを目の高さまで掲げて眺める。どちらの面にも、父の威厳ある――本当はとても穏やかで優しい――横顔が刻印されていた。

「そして俺はお前を信頼してる。お前がどんな選択をしたとしても、それを受け入れる。もし城に残るんだったら、城内にはとやかく言う者はいるだろうが……まあ、ああいうのはどこにでもいる。諦めろ」

 ちなみに俺はもう諦めた、そうエドガーが肩をすくめると、マッシュは「それは聞きたくなかったかも」と小さく笑った。その横顔をエドガーはしばらく見つめていた。

「マッシュ」

 静かに呼びかけると、何か感じ取ったのだろうか、弟が笑みを消してこちらを真っすぐに向いた。

 エドガーはマッシュの目を見据えて、一言一言が確実に届いてほしいと祈りにも似た感情を抱きながら、言葉を発した。

「焦る必要なんてどこにもない。俺に気を遣う必要も全くない。その代わり、自分が納得できるまで自分の頭で考えて、考え抜け。それに選択肢はなにもその二つだけじゃないだろ? 考えてるうちに、別のもっといい道が見えてくるかもしれない」

 兄貴、とマッシュはエドガーを呼ぼうとしたようだが、その短い語句の途中からすでに声が詰まって、軽い嗚咽が始まった。マッシュはあわてて面を伏せ、礼服が汚れるのもいとわずに、腕で顔を隠すように覆った。その間、エドガーは何も言わずに待っていた。

 マッシュが少し落ち着いて来たらしいころを見計らって、エドガーは穏やかに問いかけてみた。

「それとも……どっちにするか、今、決めるか?」

 弟はゆっくりと顔を上げる。すっかり充血した目には、今度は静けさではなく強い光が宿っていた。エドガーの問いに対する答えとして、マッシュは首を横に振った。

「いや。もう少し考えてみるよ。これだ、って俺が本当に自分の中で納得できるまで」

 芯の通った、彼らしい声で宣言した。かと思えば、今度は深くため息をついてうなだれる。軽く頭をかくのは照れ隠しだともうわかっていた。

 昔からそうだった、とエドガーは回顧しながら思わず破顔した。一見おおらかでのんびりしているようでも、弟の感情表現は意外と忙しいのだ。

「なんか情けねえな……兄貴を支える、なんて言っておいてこのざまで」

「何弱気になってるんだか、俺よりもでっかいなりをして」

 エドガーは、昔より位置の高くなった頭に、ぽんと手のひらを乗せた。

 
 

 ――あの夜、マッシュの背中を冷たい砂漠に見送った十七のエドガーは、弟と生きて再会することは二度とないだろうとほぼ確信していた。

 それが今は、再会が叶っただけでなく、こうして立派になって平和な世の中で元気に生きている。あの凍えるような夜のことを思えば、その事実があるというだけで、エドガーには十分すぎるほどの支えになっているのだ。

 ただ、それを本人に伝えるのは照れくさい。マッシュほど正直に打ち明けられるだけの勇気もなく、今は言葉にできそうになかった。なのでこのことはひとまず、父と母とエドガー、三人の秘密にさせてもらうことにした。

 

 エドガーは、マッシュから見えないようにして、目の前のよく磨かれた石に刻まれている父と母二人の名前に向かって片目をつぶった。