使用お題
すべて、以下よりお題をお借りして書きました:
■サイト・ページ名:診断メーカー「ワンドロ/ワンライお題」
■URL:https://shindanmaker.com/719301
各話リスト
2023/1/21【誰も見てない?】(お題:「誰も見てない」)
2023/1/25【縛れるとは思ってないけど】(お題:「紫」)
2023/1/27【空白を埋めるもの】(お題:「ご飯」)
2023/1/30【あなたのとりこ】(お題:「桃」)
2023/1/31【とあるフィガロ国王付き侍従の述懐】(お題:「昼飯」)
2023/1/21【誰も見てない?】
林の中、川のほとりに座り込んで寄り添っている二つの背中が、木々のあいだから注がれる夕日を受けて影を伸ばしていた。
大柄な弟が、隣に座る兄の肩を自分の方に抱き寄せている。一方の兄は、引き寄せられるがままといった風情で体を弟に預けているように見えた。リボンで二か所結われた髪が、時折吹く風に揺れている。
「兄貴」
ふいに、弟が口を開く。
「ん?」
短く応え、正面を向いていた兄が隣に顔を向けた。次の瞬間、そこに、少し傾げられた弟の顔が重なった。
たっぷり三秒ほど経ってから、兄の不機嫌を隠さない声が響いた。
「おい」
「だって」
言い訳がましい中に甘えを織り交ぜたような弟の言葉を途中で遮って、兄はため息をついた。
「二人に見られたらどうする」
「大丈夫だよ。見てないって」
「どこから来るか知らんが、大した自信だ」
にじみ出る呆れとは裏腹に、兄は、若干ふてくされたような顔をしていた弟の唇に自らのそれを軽く重ねた。それは一瞬のことで、二人の影はすぐに離れた。驚いたように目を見張っている弟を見つめながら、兄は、かろうじて聞こえるくらいに呟いた。
「もう少しだけ」
直後、兄の肩を抱く弟の節くれだった手に、さらに力がこもったように見えた。
そんな双子の背中を、セッツァーは大木の陰に隠れながら見ていた。
しかしそろそろいたたまれなくなってきて、後ろに立って自分と同じく兄弟を観察していたセリスに声をかけてみた。
「……なあ」
「嫌」
本題を口にする前に一蹴されてセッツァーは舌打ちしそうになったが、あの二人に聞こえても面白くないのでぐっとこらえた。
「まだ何も言ってねえだろ」
「なんとなくわかるわよ、二人を呼んで来いって言うんでしょ」
そうだ、と前を向いたまま頷く。セリスは間髪を入れずに同じ言葉を繰り返した。
「嫌、セッツァーが行ってきて」
「なんでだよ」
「邪魔をするのは忍びないもの」
「その理屈じゃ俺に行かせるのもおかしいだろ」
言いながら後ろを振り返り、そのまま見上げる。セリスと視線が合った。彼女はきまり悪そうに目を逸らし、微妙に話の焦点をずらした。
「……エドガーはああ言ってたけど、あの二人はきっと、私たちに見られてたっていいと思ってる」
「なんでわかる? 女の勘ってやつかい」
からかい半分で言ってみると、セリスは少し気を害したようだった。目を細め、ささやきでもわかるほどに声のトーンが低くなる。
「私はそんなあいまいなものに頼ってものを言わない」
青い瞳に宿った鋭い光は、彼女が元は大軍勢を率いていた将軍であったことを思い出させるには十分だった。では、そんなセリスがものを言う時に頼るのは何なのか。セッツァーは無言でその答えを促した。
セリスは、至極真面目な表情で言い放った。
「これまでの旅での経験則よ」
その言葉の背景に、果たしてどのような「経験」があったのか。特に知りたくもないセッツァーは視線をセリスから外した。
そして、「少し」などと言っておきながら、二人の世界から出てくる気配をみじんも出さないマッシュとエドガーの背中を再度うつろに見やる。もはや何もかもどうでもよいような気分だった。
2023/1/25【縛れるとは思ってないけど】
静かに閉じられていたエドガーのまぶたがぴくりと動き、まつげがかすかに揺れた。
それから少し経って、金色のあいだから徐々に眠たげな青が姿を現していく。マッシュは、そのようすをエドガーの隣に寝転んで見つめていた。
「おはよう、兄貴」
「ああ」
執務中の、はりがあってよく通る声からは想像もつかないようなくぐもった声、開いたはいいが油断したらまたすぐに落ちそうになっているまぶた。それらを聞いてそして見て、マッシュは相好を崩した。
「今日は朝から予定があるんだろ、ほら起きて」
ベッドから飛び降りたマッシュは、兄に向かって片手を差し出した。未練がましく上掛けにくるまっていたエドガーだったが、やがて諦めたのかマッシュの手を取り体を起こした。
「朝から元気だなあ」
「修行で早寝早起きのクセが染みついちまってるからな」
「俺は逆だ、遅寝遅起きがクセになってる」
言いながらあくびをひとつ。それからエドガーもベッドから降りて、この寝室と直結している衣装室へと向かった。兄の背中を見送ったマッシュは、聞こえてくる衣擦れの音を聞きながら、その時が来るまでしばし待つ。
ベルトの金具が立てる硬質な音が聞こえた。じきに出番だ。そんなマッシュの予想通り、エドガーが小部屋から呼びかけてきた。
「マッシュ」
呼ばれる前から部屋をうろうろとしていたマッシュは、そそくさと兄の元へ向かった。
衣裳部屋では、すっかり身支度を整え、しかし髪の毛だけは起きた時のままのエドガーが鏡台の前に座っていた。マッシュは、台に並べられている飾り箱のうちの一つから櫛を取り出して、丁寧にエドガーの髪をとかし始めた。
国王には専属の髪結いがいる――それももう、昔の話となった。フィガロ王朝で続いてきた伝統のひとつではあったが、エドガーは自分で髪を結うことを選んだ。
しかしそれが曲げられたのは、ひとえにマッシュがエドガーの髪を結いたいと懇願したからだった。
当初エドガーは不可解そうな顔をしていたが、特に嫌がるようすもなくマッシュの申し出を受け入れた。それからというもの、城で寝起きする時は、ほぼ毎日マッシュがエドガーの髪を整えている。
「今日は忙しいのか?」
全体に櫛を入れ終えて、髪飾りを収めている箱に手を伸ばす。いつもの髪飾りを取り出して、まずは上から束ねていく。その間、エドガーはおとなしく座り本に目を落としていた。本人曰く、こうしたわずかな時間に読んだ方が集中できるらしい。
「ああ、朝から晩まで出ずっぱりだ。食事をとる時間もあるかどうか」
鏡が、エドガーのうんざりしたような表情を映している。近頃以前にも増して多忙を極めているエドガーは、少しやせたかもしれないとマッシュは思う。
「何か軽食用意しておいてもらえば?」
「そうだな。朝食の時についでに頼んでおくか」
髪飾りを着け終えたら、今度は毛先に近いところをリボンでくくる。再度髪飾りの箱に手を伸ばしたマッシュは、指を止めた。見慣れた青いリボンが収まる中、端の方にひっそりと紫色のリボンが覗いている。昨夜、マッシュがそっと忍ばせておいたものだ。
いつも通り青色にするか、それとも――迷ったのは一瞬だった。
マッシュは紫のリボンを素早く取り出すと、髪の束に巻き付け、めったなことではほどけないようにしっかりと結び目を作った。
仕上げに、整髪料を使って前髪を丁寧に撫でつけた。
「できたよ」
「うん、ありがとうな」
本を閉じ、顔を上げたエドガーは鏡を見てどことなく満足気な顔をした。が、鏡越しにマッシュと目が合うと怪訝そうに眉をひそめる。
「……なんだ? やけに楽しそうな顔して」
柄ではないと、マッシュは自分でもそう思っている。
しかし、少しでも長く兄のそばにいたい、そして同時に、自分たちのあいだに結ばれているえにしを示す何かが欲しい。忙しくしているエドガーを見ていたら、ある日突然そんな思いが湧いて止まらなくなってしまったのだ。
その結果マッシュが導き出した答えが、自分の普段着と同じ紫色をしたリボンだった。
果たして、エドガーはいつ気づくだろうか。考えるだけで頬の緩みが抑えられなかった。表情を引き締めるつもりもないまま、マッシュは上機嫌に答えた。
「なんでもないよ」
2023/1/27【空白を埋めるもの】
その日の朝食の風景は、城での日常とはさまざまな面で異なっていた。
場所は広間ではなくエドガーの部屋。食事が並べられているのは広すぎる卓ではなく、ソファにあつらえられた低いテーブル。給仕をする侍従はいない。
そして、調理したのは厨房担当ではなく、向かいのソファに座ってどことなく落ち着きのない弟だった。
「では、いただこう」
エドガーの弾む声に、マッシュは少しだけ緊張した面持ちで頷いた。
「ああ。口に合えばいいんだけど」
テーブルに並べられているのは、エドガーにとっては馴染みのない品々だった。
数種類の穀物から作られた粥、形が半ば崩れるまで煮込んだ豆、緑がみずみずしい山菜の和え物、具が入っていない透き通ったスープ。それらの横に、ティーカップに入ってはいるが紅茶とはまた別種の茶がほこほこと湯気を立てていた。
僧として修行をするあいだ、マッシュが摂っていた食事を再現してもらったのだ。
お前が修行中に食べていたものを俺にも食べさせてほしい――数日前、突然そうやって兄に請われたマッシュの当初の反応は、困惑だった。理由を聞かれたが、エドガーはその時点では濁した。
大したものではないし口に合うかもわからないとこぼし乗り気でないマッシュに、エドガーはずるさを自覚しつつ切り札を使った。無理強いはしない、と口では言いつつ、表情はさみしそうに翳らせる。マッシュがこれにめっぽう弱いことをエドガーは知っていた。
エドガーの思惑通り、弟は言葉を詰まらせた。そして最終的には折れたのだった。
エドガーはまず汁物を口に運んだ。何を煮だして作ったものなのかはわからないが、僧籍にある者は肉類を口にしないらしいので、おそらく野菜のたぐいだろう。あっさりとした塩味の中にほのかな甘さが溶け込んでいるスープは、空の胃にするりと流れ込み、徐々に臓腑を温めていく。
続けて手を付けた煮込み豆も粥も、味付けこそ薄めだが、それがかえって体を優しくいたわってくれるようだった。
すべての品を一通り口に運んだ後、エドガーは軽く一息ついた。その拍子に、自然と口が動いた。
「美味い」
半ば独り言のそれに、マッシュは先ほどまでの硬い表情をあっという間に和らげて、心底安堵したようだった。
「よかったあ。普段兄貴が食ってるのとは全然違うし、合わない人には合わないだろうからさ、心配だったんだ」
ようやく、マッシュは自分の分の食事に手を付け始めた。
「で、いいかげん教えてくれてもいいだろ」
「何を?」
ティーカップを持ち、香ばしい湯気を吸いこみながらエドガーは尋ねた。
「なんだって修行中のメシなんて食べてみたいと思ったんだよ」
エドガーはゆっくりと茶を口に運んだ。
原料の茶葉は紅茶と同じだそうだが、香りも風味も全く異なるのが不思議だった。今度からは紅茶だけでなく他の種類の茶も色々と試してみようと思い立つ。
飲み込んだ後の、ほのかに渋い後味に新鮮さを覚えながら、エドガーは答えを待っているマッシュの顔を見据えた。
「少しでも知りたかった」
「知る?」
粥がたっぷり盛られた大ぶりの匙を持ったままマッシュは軽く首を傾げた。
幼少期から未だに抜けきっていない癖につい口元を綻ばせ、エドガーはティーカップをソーサーに置いた。
「お前の十年を」
一瞬、マッシュは目を見張った。粥がこぼれ落ちそうになっていた匙をゆっくりとボウルに戻し、立ち上がる。
マッシュの行き先を目で追っていたエドガーだったが、すぐにその必要はなくなった。彼はエドガーのすぐ隣に腰かけた。
「兄貴」
突然、腕が伸びてきて抱きすくめられた。上半身をひねる無理な体勢になりエドガーは軽く眉をひそめる。どうした、と問うよりも先に、耳元で低く穏やかな声が響いた。
「俺にも教えてよ、兄貴の十年。全然話してくれなかったろ」
抱きしめてくる腕にかすかに力がこもった。それに気づいたエドガーは表情を緩ませずにはいられなかった。
「そうだなあ……何から話そうか」
マッシュの背中に手を回しそっと撫でながら、エドガーは、相手の首筋に鼻先を軽く擦り付けた。
慣れているはずなのに懐かしい、そしてなぜか泣きたくなるようなひだまりの匂いがした。
2023/1/30【あなたのとりこ】
その果物を手にマッシュがエドガーのもとを訪れたのは、八月のある日のことだった。
執務室の扉をノックして、返答を待つのさえもどかしかった。エドガーが入室の許可を言い終わらないうちに、マッシュは扉を勢いよく開け放った。
机上の書類から目を上げ来訪者を目に留めた瞬間、エドガーが険しい表情を見せた。
「どうした、何かあったか?」
そう思われても仕方ないとマッシュは思う。何しろ今の自分はといえば、夏の太陽の下を急いで駆けてきたものだから、息は乱れて汗だくだ。土仕事をしていたので服も汚れっぱなしだった。
そもそも、今の時間帯はサウスフィガロで業務にあたっていることになっているのに、伝令を使うことなく直接城に戻ってきたので、緊急事態があったのではないかというエドガーの推測はもっともだった。
マッシュにとっては急ぎの用事であることに違いない。ただ、エドガーが同様に思うかといえばそれはわからない。下手をすれば怒られるかもしれなかった。それでも、マッシュは真っ先にエドガーに報せに行きたかったのだ。
息を整えながら、マッシュは兄のもとへ歩み寄り、右手に握った布袋に入れていた果実を慎重に取り出した。
「これ、兄貴の分」
少し怪訝そうな面持ちでエドガーは立ち上がった。机の向こうからマッシュのそばへとやってきて、差し出された果実を両手で受け取った。
「これは……」
「桃だよ。ついさっき、サウスフィガロで収穫してきた」
とたんに、エドガーの表情がぱっと輝いた。ずっしりと実の詰まった果実を目の高さまで掲げ、感慨深そうに言う。
「そうか、ついに収穫できるくらいまでに成長したんだな」
サウスフィガロで桃をはじめとした果実の栽培を始めたのは、だいたい五年ほど前、世界に平和が戻ってきて少し経ったころだった。
これまで町の主産業だった兵器の輸出は、生産元であるフィガロ城における生産縮小に伴い、自然と衰退せざるをえなかった。
むろん、機械類の生産にかけてはフィガロの右に出る国はない。しかし国や都市どうしの争いが無い今の世の中では、国全体として、別の産業にも目を向けることを求められる時期に差し掛かっていた。
そんな折、ドマに戻って国の再興に尽力していたカイエンから、桃の種が送られてきた。
マッシュが聞いたところでは、エドガーがドマを訪れた際に以上のような事情をこぼしたところ、果物の栽培を始めてみてはどうかと助言を受けたらしい。まずはとっかかりとして、ドマでよく育てられていた植物の種を分けてもらうことになったのだという。
城を囲む砂漠地帯はさすがに環境として不向きなため、サウスフィガロ周辺の緑地を整備し、試験的に栽培を行なうこととなった。そしてマッシュはその責任者として任命されたのだった。
当初は、これまでこの地で育てられたことのない植物の世話に、マッシュは町の人びととともに頭を抱えることも多かった。城の図書室で資料をあさったり、カイエンに手紙を出して助言を請うこともしょっちゅうだった。
研究熱心な気質の町人たちも、それぞれ得た知識を持ち寄っては試行錯誤を繰り返していた。それでも、上手く果実を実らせるまでに至るには時間がかかった。
しかしついに、その努力が実を結んだのだ。そして今日が記念すべき最初の収穫日だった。
これまでの数々の苦労を思い出しながら、マッシュは声を弾ませた。
「もう町の皆も大はしゃぎでさ、それ見てたら俺もすげえ嬉しくなって……で、とにかくすぐに兄貴に見てほしいって思ったんだ。それで走ってきた」
「ああ、だからそんなに汗だくなのか」
「なるほどね」と頷きながら、エドガーは桃をそっと自分の鼻先に近づける。そのまま目を閉じ、深く息を吸い込んだ。
「いい香りだ」
素朴な感想だからこそ、心からの言葉であることが伝わってくる。
瞳を伏せて、薄紅色の果実をうやうやしく両手で持ち上げているさまがどことなく神聖さを帯びていた。覚えずマッシュの目は釘付けになって、エドガーが目を開けるまで視線を逸らすことができなかった。
「なんだ? そんなじっと見て」
不思議そうな顔のエドガーに、マッシュは慌ててごまかすための話題を探す。
「あ、いや――そうだ、桃を使った料理をいくつかカイエンに教えてもらってるんだ。これから町に戻って試してみるつもりだよ」
「わかった。俺の代わりに町の皆をねぎらってくれよ。本当は直接行きたいところだが、今日は城を離れられそうにない」
「ん、無理すんなよ」
マッシュの返答にエドガーは満足そうに微笑む。その後、再度視線を手元の桃へと落とした。
「これからが楽しみだな」
繊細で柔らかな果物に注がれるいつくしむようなまなざしは、マッシュに向けられるものとはまた異なる。国と民を想う心をそのまま映しているようだった。
それも含めた兄のすべてに、マッシュは惹かれてやまないのだ。
2023/1/31【とあるフィガロ国王付き侍従の述懐】
ある日の昼下がり、兵士の訓練場の入口で、若い兵と私は睨み合っておりました。
「殿下にお目通り願いたいのですが」
先ほど言ったことと一字一句たがわず、けれど先ほどよりは語気を強めて私は兵に詰め寄ります。
しかし彼は眉間のしわを深くするばかりで、私の希望を聞き入れるつもりは毛頭ないようです。
「今しがた言ったばかりだろう、マッシュ様は現在我々の指導にあたっているのだ。俺から殿下にお伝えする。わかったら用件を言え」
私はためらって目を伏せました。この兵士を信用していないというのではありません。むしろ、仕える主君を守る役目を担っている彼らには基本的に尊敬の念を抱いています。
でも、現在抱えているこの問題ばかりは、私から殿下に直接伝えないと意味がないのです。
「エドガー様のことでご相談があって参ったのです。しかし、この件は殿下に直接――」
「陛下のそば近くに仕え、お困りごとを解決するのがお前たちの役目だろう。いちいち殿下に頼るものではない」
やれやれ、と言わんばかりの声色に、かっと頭に血が上ります。かと言って反論するいい言葉も見つかりません。結果として、また無言の睨み合いに立ち戻ってしまいました。
その時、いつの間に近くにいらしていたのか、兵の背後からマッシュ様が顔をお出しになりました。
「二人とも、さっきから何してんだ?」
「殿下」
私たち二人は驚きに飛び上がり、あわててそれぞれ敬礼と深い礼をいたしました。
深々と下げていた頭を上げると、殿下と視線が合いました。その瞬間、殿下の表情がさっと曇ります。
「もしかして、またか?」
「申し訳ございません、私が力及ばず」
マッシュ様は「わかった」と頷き、私と対峙していた兵士の肩を軽く叩かれました。
「悪いけどちょっと外す。俺が戻ってくるまで休憩にするから、みんなに伝えてくれ」
状況をつかみかねている兵士は、目を白黒させながらも再度従順に敬礼をしました。
「は……はっ、かしこまりました」
「しょうがねえなあ、兄貴も」
呆れたようなため息をおつきになるその顔は、心なしか、少しばかり楽しまれているようにも見えました。
私の先導で陛下の執務室にたどり着くなり、マッシュ様はいきなり扉を勢いよく開け放ちました。
「なんだ、ノックぐらいしないか」
エドガー様はお顔を上げず、机に向かって一心不乱にペンを走らせておりました。私が一時間ほど前にお声がけした時から、まったく姿勢が変わっておられません。
「おい、兄貴」
マッシュ様の一声で、やっと陛下の手が止まります。そのままお顔を上げられたエドガー様は、不思議そうな面持ちでいらっしゃいました。
「なんでお前がここにいる? 今は演習中だろ」
「兄貴がぜんぜん昼飯食いに来ないから、呼びに来たんだ。これで何度目だよ」
日によりますが、陛下はたいてい午前中から昼頃にかけて書類仕事を集中的にこなしておられます。その集中ぶりには、おそばでお仕えする私どもも思わず舌を巻いてしまうほどです。
そのすさまじい集中力の反面、お食事の準備ができたことをお知らせしても、陛下がその時間通りにダイニングホールにお越しになることはめったにないのです。ある日などは、食事の準備が整ってから三時間後にいらしたということもありました。
「……悪い」
眉を下げ、ばつが悪そうにエドガー様は呟かれました。なんとかお力になりたい一心で、私はふと思いついたことを提案してみました。
「陛下。今後の昼食は、執務中でも召し上がれるような軽食をご用意いたしましょうか」
陛下の表情が一瞬にして晴れやかになりました。
「それは大いに助かる――」
しかしマッシュ様がエドガー様をぴしゃりとさえぎり、私に向かって仰せになります。
「ああ、だめだめ甘やかしちゃ。ちゃんとした食事をとらせてやってくれ。ほっといたら何日もろくに食べやしないんだから」
エドガー様はマッシュ様を睨みつけるように見やりましたが、殿下はどこ吹く風です。
やがて陛下は、諦めたように立ち上がり扉の方へとお越しになりました。そして私に向かって苦笑いを浮かべられました。
「今度からはすぐ行くようにするよ。申し訳なかったな」
「とんでもないことでございます」
恐縮し、口ではそう申し上げましたが、内心ほっとしたのは事実です。陛下のお食事がすっかり冷めてしまって厨房担当からくどくどと苦言を呈されるのはもうこりごりだと、密かに思っていたところなのでした。
「それに、忙しい殿下のお手を煩わせるわけにもいかない」
マッシュ様の顔を見上げながら陛下が笑いまじりにおっしゃいます。そんなエドガー様の肩を、殿下もまた笑いながら軽く小突かれました。
「ほんとだよ。頼むぜ、兄貴」
殿下が国に戻られたことについて、何やら思うところがある臣下もいると聞き及んでいます。
しかし私は、まるで少年のように笑い合うエドガー様とマッシュ様を見ていると、殿下がこの城に帰ってきてくださったことに感謝せずにはいられないのです。