ナルシェの町は、低層部にはストーブや蒸気パイプが張り巡らされていて存外暖かい。しかし上層部に向かうほど、この土地本来の厳しい寒さが身を包む。
マッシュは、拠点とさせてもらっているジュンの家を出て、いくつか階段を上った先の雪原をぶらついていた。
エドガーと自分はナルシェを守るため残り、他の仲間はどこかへと飛び去ってしまったティナを追っている。ただ、現在、兄はナルシェの長老とバナンと頭をつき合わせて話し合いの真っ最中だった。待機も重要なこととはいえ、マッシュは正直時間を持て余していた。
ひとけの少ない雪原をうろついていると、ふと、物置小屋が目に入った。正確には、そのすぐそばにたたずんでいる大きな雪のかたまりに目を奪われた。
それはマッシュの膝くらいまでの高さがあって、雪を固めて作った玉を二つ縦に重ねたものだった。上の方に乗っている球には、石や木炭を駆使して顔らしきものが描かれていた。「雪だるま」というものだろう。子どもの頃読んだ絵本で存在は知っていたが、実際に見るのは初めてだった。
マッシュはしゃがみこんで、地面にたっぷりと積もっている雪をすくい両手で固めてみた。目の前にある手本のようにきれいな球を作るのは案外難しく、どうしても楕円形になってしまう。雪を追加したり、固めた雪を削ったりと苦戦しながらも、なんとか二つの雪玉を作って重ねると、不格好でちっぽけな雪人形ができた。
その時、背後から、さくりさくりと雪を踏みしめる音が聞こえてきた。
「どこに行ったかと思えば、こんなところにいたか」
振り返ると、厚手の外套を羽織ったエドガーが、呆れたように腕を組みマッシュを見下ろしていた。
「話し合い終わった? お疲れさま」
「ああ。お前が雪遊びしてるあいだにな」
なんとなくきまり悪く、マッシュは頭をかきながら立ち上がった。
「俺、雪を実際に見るのも触るのも初めてだったからさ、なんか物珍しくて」
小さい頃は寒い場所に連れて行ってもらえなかったから。そう続けると、エドガーは「そうだったな」と遠い目をして頷いた。
父王は、時折外遊先に息子たちを連れていくことがあった。しかしナルシェに関しては、連れていかれるのはいつもエドガーひとりだった。体の弱かったマッシュは、厳しい寒さにさらされて体調を崩すことを懸念され、帯同を許されなかった。そして、父と兄とともにこの中立都市を訪れることはついぞ叶わなかった。
サウスフィガロ周辺も含め、フィガロ国には雪は降らない。結局フィガロ領から出ないままこれまでの人生を送ってきたマッシュにとって、雪は実感のあるものではなく、兄から話を聞いたり、書物で読んだりして想像するものだった。
しかしもう、そんなやわな自分ではない。
マッシュは、ひとことひとことを自分にも言い聞かせるようにしてゆっくりと言葉を連ねた。
「でも、今はこうしてここで兄貴と一緒にいる。めったなことじゃ折れないよ」
無言のまま、エドガーが真っすぐにマッシュを見つめてくる。その視線をマッシュは正面から受け止めた。
「もう、大丈夫」
「……そうだな」
エドガーは柔らかく微笑んだ。
と思ったら、次の瞬間にはマッシュの背中側に素早く回った。
そして何事かとマッシュが振り返るよりも早く、外套の隙間から突然冷たいものがすべり落ちてきた。全身に予期せぬ寒気が走って、マッシュは思わず情けない大声をあげた。
「なっ、なにすんだよ兄貴」
振り向いた先のエドガーは、すくった雪を片手に、たわいないいたずらが成功した子どものように楽し気に笑っていた。雪のかたまりを背中にねじ込むという、兄の予想外の行動にマッシュは目を白黒させるしかなかった。
「丈夫になったんだ、これくらいどってことないだろ」
「いや、そういう問題か? これ」
小さく声を上げながらエドガーは笑う。しかしややあって軽くまぶたを伏せた。いたずらめいた目の光はまつげの陰に隠れた。
「頼りにしてるよ」
ぽつりとつぶやいて、マッシュと視線を合わせないまま、エドガーは外套を翻し元来た道を戻っていった。
その後ろ姿が、コルツ山で再会した時の兄と重なった。「来てくれるか」と遠慮がちに問うたあの背中がマッシュの脳裏をよぎった。
そんな姿を見せられて、どうして否と言えるだろう。
「……ずるいよなあ」
独り言を囁いて、マッシュは先を行くエドガーを追いかけた。
駆け寄って、その真っすぐに伸びた背中を自らの腕で包み込みたい衝動を抑えながら。