兄貴の真似を(しぶしぶ)してみるマッシュ。
「兄貴の髪は、長くてきらきらしてて、ええと……そう、太陽。太陽みたいだ。すごくきれいだしリボンも映える」
「うん」
相づちを打つ兄貴は、口元に力を入れて、笑いを必死に噛み殺しているようだった。
「それと、目は海みたいな色で、えー、すごく……深い」
自分で言っていてなんだけど、こんなのは「口説き」と呼ぶのもおこがましい。
つたない俺の「口説き文句」にこらえきれなかったのか、兄貴はとうとう声をあげて笑い出した。
「おいおい……嘘だろマッシュ」
息を切らせながら、全身の力が抜けてしまったかのようにアームチェアの背にもたれた兄貴は、ああ、おかしいと言いながら指先で目尻の涙をぬぐっている。笑いすぎだ。
「こんなもんじゃないだろ? お前の実力は」
「言ったろ。俺、こういうの全然だめなんだってば……」
小さなテーブルを挟んで正面に座る俺に、兄貴は視線をよこしてきた。しょぼくれた弟の顔を見たせいか、それともさっきの文句を思い出しているのか、また笑いの発作が起きそうになっている。
テーブルの上には水差しとグラス、そして酒瓶がある。兄貴のグラスにはまだ三分の一ほど酒が残っている。
湯を浴びた後、少しだけのつもりで始まった晩酌も、気づけば二時間ほどに及んでいた。これが何杯目かなど、もはやどっちも覚えていない。
大量に酒を飲んでも見た目に変化が表れない人ほど、注意して見ておいたほうが良いと聞いたことがある。まさか兄貴がそれに当てはまるとは、今の今まで思わなかった。
もちろん、俺が悪かった面もある。
自分が今夜は飲まないというのもあって、いつもより早いペースで兄貴に酒を注いでしまった自覚があった。てっきりこのひとは酔っ払わないものだと思い込んでいた。
あの懐かしい旅の最中やそれ以外の機会でも、兄貴が酔ったところは一度も見たことがなかったのだ。実際今でも、顔色はいつもと全く変わっていない。
完全な油断。そして気づいた頃にはすっかりできあがっていた。
唐突に「マッシュ、ちょっと俺を口説いてみろ」なんて詰め寄られてようやく察した。飲みすぎだからいったん落ち着こう、となだめても「俺は酔ってない」の一点張りでどうしようもない。
口説き文句なんて全くと言っていいほど知らないから、すっかり参ってしまった。だから、とりあえず兄貴がいつも女性に対して言う感じを思い起こして、俺なりに精いっぱい真似をしてみたつもりだ。
でも結局、兄貴のお気には召さなかったみたいだ。
「やれやれ、修行が必要だな。稽古つけてやろうか」
まだ少し顔をにやつかせながら、兄貴はグラスを傾けている。
仮に「修行」したところで、どうせ披露する先は目の前のこのひとだけだ。それを本人はわかっているのだろうか。もっとも、そう説いたところで翌朝には忘れられているかもしれない。
「いらないよ。俺は俺のやりかたで勝負するから」
申し出を辞退されても、兄貴は気を悪くしたようすはない。むしろ笑みを深めた。グラスをテーブルの上に戻してからゆったりと足を組み、挑発するように俺を見た。
「なら、お前のやりかたとやらでやってみろ」
望むところだ、と俺は自分のアームチェアから立ち上がった。まずは自分と兄貴の間にあるテーブルを慎重にわきに避ける。
次いで兄貴の正面に立ち、見下ろしながら、両肩に手を置いて椅子の中に兄貴を閉じ込めた。そのまま腰をかがめ、耳元に口を寄せる。風呂上がりにつけたと思われるコロンがかすかに香った。
「――」
そして、その言葉を耳にささやいた。他の誰かになんて絶対に言わない、このひとにだけ向けた言葉を。
ついでに、ほのかに赤みを帯びている耳たぶにキスをした。これは俺の「やりかた」に織り込み済みじゃなかったけど、いざ目の前にしたらがまんできなかった。
兄貴はわずかに息を飲んだようだった。その音を聞きながら、俺は再度兄貴を見下ろした。
「なかなか……やるな」
どこか放心したような呟きだった。俺の視線から逃れようとしているのか、兄貴は顔をそむけて一向にこっちを見ない。そのおかげで、シャツの襟元からのぞく首筋が、耳と同じ色に染まりはじめているのがよく見えた。
「真っ赤だよ、兄貴」
指摘すると、悔しそうなため息が返ってきた。
「それは酒のせいだ、俺は酔ってる」
「ようやく認めたな。じゃあもうおひらきにして、ベッド行こうか」
ちょっとだけ――本当にちょっとだけの下心を織りまぜながら、促してみた。
兄貴はゆっくりと顔を正面に戻した。上目で俺を見る。瞳の潤みは、さっきさんざん笑ったなごりかもしれないけれど、本当にそれだけだろうか。
「……ああ」
危うく聞き逃してしまいそうな小さな小さな声で、兄貴はひとことだけ呟いた。