時間の流れなど、あってないような旅だと思っていた。
生きるもの、死んだもの、そのすべてを見下す瓦礫の塔。その主を「神」の椅子から引きずり下ろし平穏を取り戻すだけの力をつけるためには、とにかく戦い続けなければならなかった。
そのさなかに、季節の移り変わりや、暦を意識することは、正直なところあまり無かったと言っていい。
だからマッシュは、テーブル席の正面に掛けているティナの言葉に心底驚いた。
「エドガー、マッシュ。今日はお誕生日なんでしょう?」
おめでとう、と目を細めながら少女が告げる。柔らかな声の後に、ティナの隣に掛けていたセリスも微笑んでマッシュたちに祝福の言葉をかけた。
「おや、嬉しいな……ありがとう。二人に祝ってもらえるとは思わぬ幸せだなあ」
隣から聞こえるエドガーの言葉に嘘偽りが無いことは、弾む声色で誰にだって明らかだった。
しかし同時に、その横顔は笑んでいながらも、マッシュにだけわかるくらいには困惑しているのが見て取れた。
「ん、ありがとな。二人とも」
マッシュもひとまず笑顔を浮かべる。祝ってくれた彼女らに対して、今日が自分の誕生日であることを今この瞬間まで忘れかけていたとはとても言えなかった。
代わりに、エドガーが気になっているであろうことを二人に聞いてみることにした。自分の疑問でもあった。
「でもさ、俺らの誕生日なんて二人に教えたことあったっけ?」
「はい、おまちどおさま」
会話は、料理が運ばれてきたことでいったん途切れた。料理を運んできたのは、一行が今夜泊まる宿屋を切り盛りする店主だった。厨房での調理担当も兼ねているようだ。
老舗の宿の食堂はちょうど食事どきで賑わっていた。地元の者、旅の者――話し声や笑い声が行き交う。その合間を埋めるように、部屋の隅の方に寄せられている蓄音機が、心が弾むような音楽を流している。
この空間だけ見れば、世界が崩壊したとはとても思えなかった。実際、この町は崩壊の影響が比較的軽かった数少ない地域の一つにあった。
マッシュたちが案内されていた四人掛けの木製テーブルに、店主は次々と残りの料理を運んできては、てきぱきと並べていく。
食器はどれも大きく、そこに収まる量も多かった。マッシュの目の前の平皿には、大胆な厚さに切り分けられたミートローフと、まだ大量に湯気を立てているオーブン焼きの皮付き芋、そして添え物というには気前のいい量の酢漬けの野菜が乗っていた。
ちょうどひどく空腹だったのだ。マッシュの口内に唾液が溢れた。
対してティナは、「食べきれるかしら」と、目の前のスープボウルに溢れる寸前までよそわれた煮込み料理を凝視しながらスプーン片手に呟いていた。
「お兄さんたち、今日が誕生日なのかい?」
最後にエドガーの前に魚料理を置きながら、店主が尋ねる。エドガーとマッシュは同時に頷いた。
「ちょっと待ってなさい」
言い残して、彼女は厨房へ少しの間姿を消す。戻ってきた時、片手に長方形をした紙包みを携えていた。
手渡されたそれは、マッシュの手に乗せても少しはみ出すくらいの長さで、ずっしりと重みがあった。少しだけ包み紙を開いてみる。たちまち、果実と洋酒の甘い香りがふわりと広がった。均等に厚く切り分けられたパウンドケーキが四切れ収まっており、数種類の果実が練り込まれた断面と、粉砂糖の振りかけられた焼き面がのぞいていた。
「サービスだよ、うちの自慢のフルーツケーキ。後で部屋で食べな。日持ちするから、余れば道中でつまむといい」
兄弟二人で食べるにしても量が多いので、はじめからセリスとティナの分も考慮されているのだろう。包み紙を元に戻しながら、マッシュは店主を見上げて礼を言った。
「ありがとう、でもこれ売りもんだろ? こんなにもらっていいのか」
マッシュの言葉に、店主は、また飽きるほど作るからいいんだよとからから笑った。材料もまだなんとか仕入れることはできるからね、とその後に呟く。
「あとは、そうだねえ……酒屋は確かもうしばらく開いてるから、せっかくなら何かいいの買ってきたらどうだい。あいにくうちにある酒は安物ばかりでね」
ただケーキは酒のあてにするには甘すぎるかもしれないけど。そう言ってまた笑った彼女に、エドガーもにこやかに応じた。
「実に美味しそうなケーキを本当にありがとう、マダム。謹んでいただくよ。酒の用意は実はもうあるんだ……ただマダムは間違いなく目利きだろうから、この店にある酒もぜひ味わってみたかったけれどね」
流れるような言葉の締めに、ウインクひとつ。相変わらずのお手前で、と言いたくなるのをマッシュはかろうじてこらえた。
「ずいぶんと調子のいいお兄さんだねえ」
あいさつ代わりの口説き文句を本当にただのあいさつのごとくあしらわれて、エドガーはマッシュの方を見て軽く肩をすくめてみせた。心なしか残念そうなその表情に、マッシュは今度は笑いだしそうになるのを必死にこらえた。
その時、厨房から誰かに対して指示する声が聞こえた。おそらくこの店主を呼んでいるのだろう。裏付けるように、彼女は踵を返しながら四人に笑いかけた。
「さあ召し上がれ。そして楽しい夜をね」
各々の料理を口に運びながら、ティナが先ほどの話題を再開した。
「――ロックに教えてもらったの。八月十六日は王様の誕生日だからフィガロでは祝日なんだって。そしたら、双子だからマッシュも同じ誕生日でしょ?」
非の打ち所のない推理にマッシュは笑って頷いた。
「なるほどね、だから知ってたんだな」
「国王の誕生日なら、何か国で催し物でもありそうなものだけど。主賓が今ここにいていいの?」
いぶかしげなセリスの表情がエドガーに向けられる。兄は「鋭いね」と苦笑で応じた。
「そのとおりで、本来なら毎年催事がある。城での式典と、国民主導で開催する祭りだ」
「祭りはさ、毎年すげえにぎやかなんだぜ。俺は修行の合間にちょこっと行けたくらいだけど」
マッシュの補足に、エドガーは眉間にしわを寄せた。
「お前、まさか城下まで来てたのか」
「こっそりね」
「危ない真似を……」
エドガーはしばらく複雑そうな表情をしていたが、まあいい、と軽くため息をついて切り替えた。
「ともあれ……今はあまり大それたことはできないだろう? 王の生誕日、ということだけでさすがにそこまでの危険は冒せない」
エドガーがみなまで言わずとも、ティナもセリスも何のことを指しているのか理解したようだ。二人の目に険しさが宿った。
裁きの光。初めて聞いた時、ひどく傲慢な名称だと思った。
現状への反抗と取れるような行動でことさら目立つものには、多くの場合「裁き」が下される。時には、何の根拠も前触れもなく稲光が町を襲うこともある。それが当初マッシュが聞いていた、そして実際にツェンの町で目の当たりにした事実だった。
しかし近頃は、「裁き」が下される頻度が減っていることがわかってきた。
単なる気まぐれか。あるいは、強大な力の代償として魔力が少しずつ衰えており、今はそれを温存している状態なのではないか。後者が仲間内での見立てだった。それが、多分に希望的観測を含んだものであるのは否定はできなかったが。
「裁き」と呼ぶのもおこがましい――考えるだけで息が詰まり、はらわたが煮えくりかえりそうになる。フォークを持つ手に、ぎりりと力が入る。舌鼓をうっていたはずの料理の味が急にわからなくなった。
「ただ、私たちも黙って手をこまねいていたわけじゃない。力に屈したなどという姿勢を国民に見せるわけにもいかないからね。だから今年は代わりのものを準備したんだ――なあ、マッシュ?」
穏やかな声で水を向けられて、マッシュははっと我に返り顔を上げた。煮えたぎるような怒りはその時点で跡形もなく消えていた。
エドガーの方を見ると、軽く首を傾げながらこちらを見ていた。「ほら、早く二人に説明してくれよ」と微笑んで促される。
「何? 代わりのものって」
目を輝かせて続きを待つティナに答えるべく、マッシュは水を一口飲んで気を取り直してから、食堂の隅の方にある蓄音機のほうを指さした。
「あれを使ったんだ」
「あれ、って……蓄音機?」
「それと、レコード」
少女たちはあまりぴんと来ていないようで、軽く眉根を寄せて考えているような表情だった。そんな二人がどんな反応を示してくれるのか。少しずつ期待感が湧いてきて、マッシュはほんの少しだけ胸を張りながら解説を始めた。
「本当なら、国王誕生日の当日には、国民に向けた王さまの演説があるんだ。でも、今年は兄貴がみんなの前でしゃべる代わりに、その内容をレコードに吹き込んだんだよ」
「レコードを聴いたことはあっても吹き込むのは初めてだったからな……ちょっと、緊張したよ」
その時のことを思い出しているのか、エドガーは軽く腕を組んで苦笑した。
レコードは、世界が破壊される前は、人びとの娯楽として世界中のほとんどの国に流通していた。もっぱら歌や音楽を楽しむための媒体として扱われているので、それ以外の音源を収めたものについてマッシュは聞いたことがなかった。エドガーも、演奏や歌声以外の音をレコードに固定させるのは、少なくとも城内では初めての試みだと言っていた。
マッシュと神官長の二人は、録音の当日、その場に立ち会っていた。
声を吹き込むための機器の前に立つエドガーは、未知の体験に子どものごとく目を輝かせていた。
ただ、いざ始めると、聴衆を前にしていないことの違和感からか、始めの方は声に若干硬さがあった。しかし演説が進むにつれだんだんと熱が入っていき、気がつけばもういつもの力強いフィガロ国王の声だった。
今年は、国王の姿や肉声を届けることも、楽しい祭りも叶わない。
しかし、気丈にしながらも不安の中にいる国民、そして潜航時の事故による心傷がまだ癒えていない城の人間にとっては、十分勇気づけられる内容になったのではないかとマッシュは思っている。
音声の吹き込みを終え、目に見えて肩の力がすとんと抜けたエドガーの後ろ姿を見て、マッシュと神官長は思わず顔を見合わせ吹き出したのだった。
そんな光景を思い出しながらマッシュは続ける。
「あとな、やっぱレコードだしせっかくだから音楽も入れたいと思って。城の音楽隊に何曲か演奏してもらったんだ。だから、レコードのおもて面は兄貴のスピーチ、裏面は音楽隊の演奏が聴けるようにしたってわけさ」
へえ、と混じりけのない感嘆の声が二人から上がったのを聞くや、誇らしい感情で頬が自然と緩んでいった。
「素敵ね。聴いてみたいな」
うっとりしたように発せられたティナの一字一句を、エドガーが聞き逃すことはなかった。
「私の演説をかな?」
「いや、どう考えても演奏の方だろ」
「わかってるよ、言ってみただけだ」
めずらしくすねたような表情を見せたエドガーがおかしかったのか、セリスが小さく吹き出す。
「……それで? 今年はそのレコードが国民に配られたってことかしら」
エドガーは残念そうに首を横に振った。さすがにそこまでの枚数を複製する時間はなかったし、蓄音機を持っていない家庭もあるのだ。
「だから、城内と、サウスフィガロの宿屋や店や礼拝所……ある程度人が集まっても不自然じゃない施設に性能のいい蓄音機を置いてね。皆そこに集って聴いてもらうことにした。ちょうど今ごろ、流してもらっているはずだよ」
壁にかかっている時計を見ると、確かに、予定の時間を少しばかり過ぎたころだった。
兄の言葉、そして勇ましい演奏に、フィガロの人々は何を思うのだろうか。マッシュは、夕闇に染まり表面上は静まり返っているであろう街にしばし思いを馳せた。
話しているうちに食は進み、この頃には全員が料理を平らげていた。食べきれるかと心配していたティナも、無事スープボウルを空にしていた。
空いた皿が下げられて、食後のお茶が運ばれてきた。湯気とともに、柑橘と薬草類の爽やかな香りが漂ってくる。冷ましながら少しずつ口に含むと、口直しにふさわしくすっきりとした風味が舌の上に広がった。
セリスは、熱いものを出されてすぐに飲んだり食べたりするのが苦手らしい。湯気の立つティーカップを片手にとりつつも、口には運ばずに、湯気を払うようにしながら軽くカップを揺らしていた。
「フィガロもいろいろと工夫しているのね。聞いていて興味深かった」
そう言う割には、セリスの表情も、声もどことなく冴えない。隣でティナがやや心配そうに、しかし理由を知りたがっているような顔つきで覗き込んでいる。そのまなざしを受けたセリスは、何かためらったように見えた。
それでも結局話すことにしたようだ。時折ティーカップに触れて温度を確認しながら、セリスはゆっくりと口を開いた。
「比べるのも意味がないし、変だとも思うんだけど……でもやっぱり、フィガロと帝国をどうしても対比させてしまって」
マッシュは黙って耳を傾け、続きを待った。エドガーも言外に続きを促すように、ソーサーの上にティーカップを静かに置いた。
「ベクタの一般市民がどうだったのかはよくわからない。でも少なくとも、早い段階から国に仕えていた私たちにとっては、生まれた日に特別な意味なんてなくて、単に管理されるための情報に過ぎなかった」
「管理……?」
思わず眉間に深くしわを寄せながら、マッシュは呟いた。
「そうね、『駒』のひとつとして管理するための情報。例えば、兵士が前線に出る時期の判断基準。人体実験に耐えうる年齢かどうか。文官の昇進のための要件。そんなことを判断される材料でしかなかったように思う」
どこか無機質な声で続けた彼女は、そこでいったん紅茶を口に運んだ。この頃にはちょうどよい温度になっていたのか、少し緊張の糸が緩んだように一息ついた。
しかし、再開した声色は徐々に沈んでいく。
「それでも私のことは、おじいちゃん――シド博士が何かと気にかけてくれていた……けれど――」
そこでセリスは言葉に詰まった。軽く目を伏せ、緊張したように喉を上下させた後、ゆっくりと隣の少女を窺った。後ろめたさを感じているようなその視線を、ティナは当惑した表情ながらもまっすぐに受け止めた。
しばし沈黙が落ちて、他の客の話し声がことさら大きく耳に響く。
ややあって、ティナはセリスから目線を外して、口元に少し寂しそうな微笑を浮かべた。
「セリスが気にすることなんてなにもないのに……」
そして、今度は兄弟二人に向かって、落ちついた声でゆっくりと話し始めた。
「わたし、誕生日は祝うものなんだってこと、この旅に出るまで知らなかった。自分の誕生日すら、帝国にいた頃に見た資料で初めて知った。ただ、それもほんとうのわたしの誕生日なのか、それとも他の日付をそう呼んでいただけなのかは、今となってはわからないのだけど」
エドガーの口元がきつく引き結ばれて、横顔が険しくなったのを盗み見る。おそらく自分も同じような表情をしているとマッシュは感じていた。
「――っていうことを、何かの機会にロックに話したの。そしたらね」
ティナの寂しげな微笑が、なぜか少し申し訳なさそうな苦笑いに変わる。
「『俺、これから毎年ティナのこと祝うから』って、急に……泣き始めちゃった」
「な、泣いたのか、ロックが」
驚いて、思わず言葉を繰り返した。ロックが情に厚い人物だということについて、旅を通じて十分わかっていたつもりではいたが、その程度はマッシュの想像を少しばかり超えていたようだ。
その一部始終を思い出しているらしいセリスは、額に手を当てながら首を軽く横に振った。
「そう、あの時は本当に驚いて……二人に見せてあげたかったくらいよ。ティナのハンカチまで貸してもらったうえにくしゃくしゃに汚して……『お嬢さんがた何やらかしたんだ』なんてセッツァーには笑われるし、『なかせるの、よくない』ってガウにまで諭されるし」
セリスの語り口は、途中から淡々と独り言を言っているような口ぶりになっていく。セリス本人は意図していないのだろうが、それがかえってどこか可笑しさを強調させた。しかし笑うのもなんだかロックに悪いような気がする――と思っているうちに、先にエドガーが声を上げて笑い始めた。
「それはぜひとも見たかったな! ああ、その場にいなかったのが悔やまれる」
本当に口惜しそうに言うエドガーにセリスはちらりと視線をやる。そして深くため息をついた。とはいえエドガーに対して気を悪くしたというわけではなさそうで、むしろロックに対して少し呆れているようだった。
エドガーの笑いはなかなかおさまらない。マッシュは店員を呼んで水差しをもらい、ひとまずエドガーのコップに注いだ。
「悪い、マッシュ。ありがとう」
水を飲んで、少し呼吸を整えて、そうしてやっと落ち着いたようだ。エドガーは困惑顔のティナに向き合った。ティナも、さすがにこうした反応は予想していなかったのだろう。
「いや、突然すまなかった。なんだか……なんともあいつらしいと思ってね。知ったからには何かせずにはいられなくなってしまって、君にそのように言ったんだろうね」
そこでいったん間を置いたエドガーは、少しのあいだ何か考えているようだった。
やがて、ティナとセリスをゆっくり交互に見つめる。マッシュにはその横顔しか見えなかったが、真剣な表情であることは窺えた。
「それで、あいつの言ったこと……毎年ティナをお祝いするって話だけど、できれば受け入れてやってほしい。もちろん君たちが嫌じゃなければだが」
「もちろんよ、断るわけない」
ティナは即座に頷いたが、セリスは片方の眉を上げた。
「君『たち』?」
「ん? もちろん君へのお願いでもあるつもりだったんだけどな、セリス。なぜそんなに意外そうな顔してるんだ」
マッシュは人間関係に聡いわけではなく、むしろ鈍いほうだと自覚している。なのでエドガーの言葉に含みがあることはわかっても、その意味自体はよくわからなかった。
しかし、言われた方には心当たりがあったようで、セリスの頬がみるみるうちに赤くなっていく。それに反比例するように、ティナの顔は曇っていった。
「あの、セリス。もしかして何か嫌だった? ロックがわたしを祝ってくれる、っていうのが……」
「えっ? い、いや、そういうことじゃなくてね。お祝いすることは素敵なことだと思うし、ロックだけじゃない、私だってあなたのことを毎年祝いたいよ。エドガーが言ってるのは、その……」
ティナをなだめつつ、しかし詳しいことをこの場で話すのもはばかられて、弁解として何を言えばよいかわからない。マッシュによる観察とほとんどあてずっぽうの推測でわかるのは、そんなところだった。
セリスは、うろたえる自分のようすを頬杖をつきながらのんびり眺めているエドガーを、悔しそうに軽くにらみつけた。
「あなた、それわざとやってるなら悪趣味だからね」
非難に満面の笑みで応えたエドガーは、確かに少しだけ、セリスの言うとおりであるのかもしれない。兄の手前同意するのも何なので、マッシュは苦笑するにとどめた。
「まあ、ロックのやつに先を越された感じはあるが、とにかく……」
セリスの冷え冷えとした視線を涼しい顔で受けつつ、エドガーは軽く咳払いをした。
テーブルの上で両手を組み、静かに軽く目を伏せる。
それは、フィガロの国教における礼拝時の所作と少し似ていて、まるで祈りを捧げているようにマッシュの目には映った。
「……心から願ってやまない。君たちに、これからたくさんの幸福が降り注ぐようにと」
マッシュも全く同意見だった。少しだけ身を乗り出して、思ったことを包み隠さず二人に伝えた。
「ああ、そうだよ――っていうか、絶対いいことあるに決まってるって! 今までのぶんの楽しいこととか、嬉しいこととか、あとなかなかできなかったこととか……とにかく、いろんなことがこれから一気に来るさ。忙しくなるくらいにな」
ティナとセリスは少しの間、目を丸くして兄弟を見つめていた。その後、かすかに戸惑ったようにお互いに顔を見合わせる。
やがてセリスが、小さく声を上げて笑いだした。
「ねえ二人とも、そう言ってもらえるのは嬉しいけど、これじゃ私たちの誕生日を祝われているみたいよ」
「まあいいじゃん。二人が楽しくて喜んでるのが兄貴にとっては嬉しいみたいだし」
「そのとおりだ」
「楽しくて喜んでたのはエドガーの方でしょ」
憮然とした態度が戻ってきたセリスに対し、さすがにエドガーは殊勝に謝った。
「悪かったよ、セリス」
彼女自身も、もうそこまで気分を害しているわけではないようだ。素直に謝罪を受け入れ、ふ、と頬を緩ませて不機嫌を解いた。そして、兄弟を交互に見つめながらゆっくりと口を開いた。
「マッシュ、エドガー。もう一度言わせて。今日は本当におめでとう」
「それに……ありがとう」
懸命に笑顔を保ち、少し声を詰まらせながらティナが言う。マッシュもエドガーもそのことには気づかないふりをして、ただ微笑みながら大きく頷いた。