あの店には無かった。この店にも無い。ならば次はどうか。エドガーの期待は、最後の心当たりである機械パーツ店の陳列棚をざっと見渡すと、一瞬で諦めに変わった。
エドガー愛用の機械の主要パーツが破損してしまった。スペアのパーツは必ず準備しておくようにしていたつもりだったが、今回に限って忘れてしまっていたようだ。戦う手段は豊富にあるため緊急というわけではないが、できれば早めに調達しておきたかった。
そういった事情で、エドガーはニケア中を歩き回り、心当たりのある店を覗いては肩を落として店を出ることを繰り返していたのだった。
航路が一部まだ麻痺しているとはいえ、物流の要衝であるこの港町ならあるいはと思った。しかし、この分だといったんフィガロに寄って調達した方が早そうだ。
フィガロにはこの間戻ったばかりだった。予定をどこに入れ込ませてもらおうか――今後の行程を考えながら町の出口へ向かっていると、同じ方向に向かっていた人物とぶつかりそうになった。
「おっと、失礼……おや」
「エドガー」
同じくぶつかりそうになったことを詫びようとしたのだろう、会釈しかけた状態でセリスが目を瞬かせた。
「もう用事は済んだのかい」
「私はもともとそんなにたくさん用はなかったから。そっちは?」
「必要なものがこの町には置いていなくてね。心当たりの店を回ったが全部空振りだったから、諦めた」
二人とももう町に用はない。とすれば、ファルコン号に戻るだけだ。
栄える港町の周辺の街道は、今はひび割れや損傷が激しいものの、レンガやブロックで舗装されている。それはある地点から途切れ、人びとの行き交いで自然に拓かれた街道へと続いていく。その先にファルコン号は停泊していた。
「持とうか、荷物」
セリスが右手に抱えている道具や食材入りの紙袋を手で示した。しかし「これ結構軽いから、大丈夫」の一言で辞退された。そのやりとり以降、二人は無言で飛空艇を目指し歩いた。特に沈黙が気まずいわけではない。ただ適当な話題が思いつかなかった。
そんなことを考えていたタイミングで、セリスが予想外の質問をぶつけてきた。
「ねえ、私とエドガーって似てると思う?」
「それは……どういう趣旨の質問だ?」
「そのままの意味。最近そういう感じのことを言われたから、ちょっと気になって」
「その人は私たちのどこをどう見てその結論に至ったのだろうね」
似ているところ。かろうじて、髪の長さと色はだいたい似ていると言えなくもないかもしれない。そんな微妙な答えしか思い浮かばない。エドガーが怪訝な顔をして考えている間に、セリスは続けた。
「ああ、その人があなたを直接見たわけじゃないの。皆を探していた時……私一人でアルブルグに寄った時に聞き込みをしてたら、ある人に言われてね。私が『モンク僧が探していた人に似てる』って」
黙っているエドガーを横目に、セリスは断言した。
「モンク僧――マッシュが真っ先に探すとしたらあなたのことでしょう」
エドガーは思わず頭を抱えそうになった。セリスの言うとおり、弟はエドガーを探してあちこち人に尋ね歩いていたのだとこの間本人から聞いた。
しかしエドガーとセリスを勘違いさせるとは、いったい尋ね人の特徴としてどのような説明をしていたのだろう。
「わからないよ? あいつ、本当に君を探していたのかもしれないだろう」
「どうかしらね」
苦しまぎれに言ってみるが、セリスには軽く流された。唇にはほのかに微笑みが浮かんでいた。
「似てるところ、ねえ……どうだかね」
思わず苦笑が漏れる。しかし何気なくセリスの方を見て、その左手にあるものに目を留めると、それは微笑に変わった。
「ああ、でも……かわいいレディたちに優しいところは、似てるかもね」
「どういうこと?」
軽く眉を寄せたセリスの左手に始終大事そうに収まっていたものを、エドガーは指で示した。細いリボンで素朴な包装がされている二つの小さな紙包みだった。その中にはそれぞれ髪飾りが入っているのをエドガーは知っている。
「ティナとリルムへのお土産かな? ずいぶん時間をかけて選んでたねえ」
相好を崩したエドガーに、セリスは半目できまりが悪そうな視線を送ってきた。
「見てたなら声かけてよ」
「あまりに真剣そうだったから。邪魔しちゃ悪いだろう?」
「もう……」
先ほど街をうろついていた時に通りがかったアクセサリー屋。その窓から見えた光景をエドガーは思い起こした。
整然と陳列された髪飾りの棚を前に、顎に手を当て、眉間にしわを寄せながら考え込んでいるようすのセリスの姿があった。売り場の店員は会計のカウンターの奥で少し困ったような顔をしていた。きっと最初の方はセリスに色々と薦めていたのだろうが、そうすると余計にセリスの悩む時間が長くなって、あれこれと売り込みをかけるよりは放っておいた方がいいと判断したのだろう、というのがエドガーの勝手な憶測だった。
しかしその憶測は当たっていたようだ。
ふいと逸らされた目線が、数秒経ってから、少し照れを含みながらエドガーの方に戻ってきた。
「通りすがりにあの髪飾りの棚が見えて……そうしたらあの子たちの顔が浮かんだ。二人ともせっかくきれいな髪だから、何か着けてみたらどうかと思って。でも、いざ選ぶ段階になったら目移りしてしまって……お店の人には迷惑かけたわ」
「自分の分は買わなかったのかい」
「ええ。今は特に必要ないから」
そう言うセリスの髪は、今は、美しいつくりをした銀色の髪飾りで一つにまとめられていた。
エドガーは、仲間たちの変化には比較的聡い方だと自負している。セリスがそれを着け始めたのは比較的最近ではなかったか。その髪飾りについてエドガーが質問するよりも、何か思いついたらしいセリスが「そうだ」と声をあげる方が早かった。
「なんだったらあなたにもひとつ見繕ってあげましょうか、エドガー。絶対に似合うものを探してあげられると思うけど?」
なんたって似てるんだものね、私たち。言って細められた瞳に、いたずらっぽい光がひらめいた。
その光は、エドガーにとっては非常に馴染み深いものだった。宝物に目がない友人が何か面白いことを――たいていエドガーにとってはよからぬことを――思いついた時のものによく似ていた。
「いやいや、君の手を煩わせるわけにはいかない。遠慮しとくよ」
首を横に振って軽く流しながら、エドガーは内心感嘆した。
――いつの間に、そんな表情ができるようになっていたのか。
出会ったばかりの頃に見た、ナルシェの底冷えに勝るとも劣らないほど冷え切った元将軍の横顔は、まだ記憶に新しい。それが今はどうだろう。
さながら春の雪解けといったところか。エドガーはセリスに悟られないよう、声を立てずに笑う。
天気はここのところずっと暗い曇天続きだった。世界が一変した後はそう珍しくもない気候だ。
それでも、時折、冬の冷たい空気を生ぬるい強風が吹き飛ばそうとする。分厚い雲越しに日が強く照って、少しだけでも太陽を取り戻したような気分になる日さえあった。自然が、破壊に抗ってどうにかして生きようとしているかのような、春の気配だった。
ふと、まるでうららかな日差しが降り注いだかのごとく、先を歩くセリスの髪飾りが輝きを放ったように見えた。眩しさに、エドガーは思わず目を細めた。