4.「ぼうけんか」

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 旅を続けるうちにわかってきたことだが、仲間たちの中で最も早起きなのはどうやらマッシュのようだった。この旅においても、十年間の修行の間に身についた習慣は、大きく乱れることはなかった。

 日も昇りきらないうちに起床し、飛空艇の共用のスペースを軽く掃除する。

 それから朝の鍛錬に移る。朝露を湛えた草むらを踏みしめながら軽く辺りを走って、柔軟運動も忘れない。体がほぐれたら、無心になって正拳突きと回し蹴りを一定の回数行う。最後に、型を二つ。流れはすっかり体に染みついてはいるが、一つ一つの動作を改めて確認しながら確実に、同時に実戦に活かせるように素早くこなす。

 それらが終わるころになれば、ストラゴスやカイエンがそろそろ起きだしてくるといった時間になっているのが通常だった。しかしマッシュが今朝最初に出会ったのは、全く予想外の人物だった。

「おおい、マッシュ」

 飛空艇の方を振り向くと、甲板からロックがひらひらと手を振っていた。驚いたマッシュはファルコン号へと駆け寄り、手すりに体をもたせかけているロックを見上げた。

「ロック? めずらしいなこんな早くに」

「早いっつうか、遅いっつうか……」

 徹夜をしていたのだ、とロックは大きくあくびをした。

「でもその甲斐あって開いたぜ、例のやつ。鍵を壊さずにな」

「お、本当か!」

 マッシュは衣類や足の裏についた草を軽く払ってから、甲板へとつながるタラップを上り、詳しく話を聞くことにした。

「合鍵も作って、箱と一緒にリルムの枕んとこにこっそり置いてきた」

「さっすが泥棒。抜かりないな」

「あ?」

「ごめんごめん、冗談だって。ありがとな、ロック」

「例のやつ」とロックが称したのは、リルムの宝物が入っている小さな木箱のことだった。世界崩壊の混乱で、箱を開けるための鍵をなくしてしまったのだという。

 そこで当初は、マッシュに対して箱をこじ開けてほしいと依頼された。しかし結局マッシュの提案により、ロックの手を借りることで話がまとまったのだった。

「ったく、あんなに手こずったのは久々だぜ」

 よく見てみるとロックの目の下にはクマができていて、会話の合間にも何度かあくびをしていた。

「鍵の機構があまり見たことないやつでさ……だいぶ時間かかっちまった。あんな箱、どこで手に入れたんだか」

 ロックが不思議そうに呟く。見た目は本当に素朴な木箱だったのだ。しかも誰かの手作りだと思わせるような見た目でもあった。彼の言う通り謎の多い箱だった。

 しかしロックはそのことを追及する気はさらさら無さそうだし、マッシュも同様だった。重要なのはあの箱が何事もなく開いて、リルムがその中身を手に取れること、それだけだった。

「じゃあロックはこれからおやすみか」

「いや、軽く飯食ってからにしようかな。ほんとは今すぐ寝たいけど……すげえ腹減っててこのままじゃ眠れそうにない」

 マッシュもこれから朝食にしようと思っていたところだった。ちょうどいいと、二人で早朝の食堂へと向かった。

 

 仲間全員そろって朝食を摂る時と摂らない時があるが、後者の場合は、備蓄された食料の中から各々が好きなものを選んで食べる。

 マッシュは、缶詰の肉を開けたものと炒った卵を皿に乗せ、そこに厚く切ったパン二切れを添えた。これから就寝するロックは当初はパン一切れのみを齧っていたが、物足りなかったのか、結局マッシュの皿から卵と肉を少しずつつまんでいた。

「にしても、ロックはどんな鍵でも開けられるんだなあ」

 しみじみと感心するマッシュに、ロックは満足げににやりと笑った。

「まあね。ま、これも一種の『修行』のたまものってやつかな」

「修行?」

「宝ってもんはたいてい、鍵付きの箱に大事に大事にしまわれてるだろ? いろんな場所でそういうのに出くわすと、だんだんわかってくるんだよ。この鍵はだいたいこの年代のものだからこうすれば開くだろうとか、こういう形状のものを作れば合鍵として代用できるだろうとか……まあそういう経験の積み重ねさ」

 ロックが自称する「トレジャーハンター」は、世間的には「盗掘者」として非難の対象となることもままある。マッシュはロックの「ハンター」としての実績についてはよく知らず、「リターナー」としての側面しか知らないので、彼がそうやって生計を立てているらしいことの是非について判断することはできない。

 ただ、彼ほどの器用さと鋭い観察力がトレジャーハントだけに発揮され、しかもその結果が非難の対象となってしまうというのは、なんだかもったいないことのような気がするのだ。

「なあ、今の旅が終わったらロックはどうするつもりなんだ?」

「ん? うーん、特に何か考えてるわけじゃないけど。なんだよ急に」

 ロックが眉をひそめ、怪訝そうな表情をする。もしかして自分はとんでもないお節介を焼こうとしているのではないか。そう思いつつ、マッシュは紅茶を一口すすった。

「……ちょっと俺、今から変なこと言うかもだけど、聞いてくれるか」

「まあ、聞いてみないことには判断できないから、聞いてやるよ」

「これが全部終わって落ち着いたらの話なんだけどさ……ロック、フィガロ城で働くってのはどう? 兄貴なら言えば反対はしないと思うんだ。むしろ機械整備部門とかにすごく向いてると思うんだけど」

「はあ? やだよ。あいつどうせ格安給料でこき使うだろ」

 即答だった。ロックは軽くため息をつきながらも、さり気なくマッシュの皿から肉の薄い一切れをひょいとつまんで口の中に放り込んだ。

「まあ機械に興味がないってわけじゃないけど、城勤めはない。絶ッ対にない。本当に変なこと言うな……一体どうしたんだよ?」

 件の質問をするに至った心境を説明したマッシュに、ロックはまた呆れたようにため息を漏らした。

「心配無用だ、言いたい奴にゃ言わせとけばいい。それに、トレジャーハントで培ったものはトレジャーハントで活かせれば、俺はそれで満足だ。世界中の、誰も見たことないお宝を見つけ出して世の中に知らしめてやるさ」

 そこで言葉を切ったロックは、不敵に笑ってみせた。

「だから、今お前が言ったようなお節介もいらねえよ」

 その時、マッシュの中の血が、ほんのわずかながらも騒ぐような感覚がした。少し戸惑って、なぜだろうと考えてみる。今のロックの表情からは、なにか一つの道に通ずる者、あるいはそれを目指そうとする者が持つ、矜持のようなものが色濃くうかがえた。

 そこである人物に行き着いたマッシュは、ひそかに息を飲んだ。――マッシュの師匠がまとっていた空気と、どこか似通っていたのだ。程度や対象こそ全く異なるが、求道者の醸し出す、肌をぴりぴりと刺すような緊張感。それがきっと、あの感覚の正体だった。

 

 そんなマッシュのようすに気も留めず、ロックはマッシュが淹れた紅茶で喉を潤して、満足そうに一息ついた。先ほどの雰囲気はすっかり消えて、また元の眠そうなロックに戻っていた。

「っていうかさ、そもそも、一つの場所にとどまり続けるのはどうも俺には向いてないと思う」

 頬杖をつきながらのロックの言葉に、マッシュには思うところがあった。

 誰にも言ったことはない。兄にさえ、むしろ兄にだけはそれを告げられる自信がなかった。きっと思うことすら許されないのではないかと、どこかで考えていたふしがあった。

 しかしこの目の前の男になら話しても――気がつけば、マッシュは口を開いていた。

「……それ、実は、もしかしたら俺も同じなんじゃないかって思ってる」

 ロックは眉を上げてマッシュを見た。

「へえ、なんか意外」

「今まではフィガロ領を出たことなかったから考えたこともなかったんだけど……こういうふうに旅してたら、もっともっといろんな所に行って、たくさんのことを知りたくなった」

「じゃあ、また世界を旅するつもりなのか? 俺は応援するぜ」

「あ、ありがとう。でも……今はわからない。もしかしたら、そうするかもしれないってくらいの話だ」

 他人に聞いておきながら、自分のこの先のことはまだ決めきれていないままだ。今は眼前の目的に集中しなければならないから、仕方のないことではあると自分には言い聞かせている。それでもいつかは結論を出さねばならないのは確かだ。

 そのような中でも、一つだけ確実なことはあった。

「でもな、この旅が終わってからも、しばらくは同じ場所にいることにした。これだけは絶対そうするって決めてるんだ」

「ふーん」

 全く興味のなさそうな返答に、マッシュは肩透かしを食った気分になる。

「あのさあ、そこは聞いてくれてもいいじゃんか。どこだよ、って」

「いや、聞かなくても答えがわかってるから」

 渋い顔をしているロックはうんざりしたような声で言う。しかし、じとりとしたマッシュの視線と不満を込めた沈黙に耐えかねたのか、しばらくしてから盛大なため息とともに投げやりに問うた。

「どこだよ、その場所ってのはよ」

「もちろん、兄貴のところさ」

「そりゃお前ならそれしかないだろ。ああ、くっだらねえ……」

 絶対そう来るってわかってた、と肩を落としたロックに、マッシュはそうだろうなと苦笑する。でもやはり、誰かに自分の決意を改めて聞いてもらいたかったのだった。

 そのお礼もしくはお詫びにというわけでもないが、マッシュは、ロックの使った食器を自分の分と一緒に洗うことを申し出た。

「お、じゃあ頼むぜ。それと紅茶ごっそさん」

 あっさりと申し出を受け入れ、そして律儀に礼も忘れずに、ロックは椅子を引いて立ち上がった。

「じゃ、そろそろ俺は寝るわ……あーあ、それにしても世界一無駄な会話だったなあ、さっきの」

 ぼやきつつ、ロックはがりがりと頭をかきながら食堂の出口へと歩いていった。

 ただ、いくら声色が呆れていても、その口元が堪えきれないといったようすで笑みをかたどっていたのを、マッシュはちゃんと視界にとらえていた。