4. 思い出話をすれば昔に戻ったようで

幻獣防衛戦後、ティナを探しにゾゾまで来た一行。思い出と今のあいだですれ違うエドガーとマッシュ

 

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 ジドールから北上するにつれ、穏やかな晴天を灰色の雲が埋め尽くしていく。山の天気は変わりやすいというが、ここも例外ではないようだった。山あいの町にたどり着くころには本降りの雨がエドガーたちを濡らしていた。

 幻獣と見まがう姿で飛び去ってしまったティナの足跡は、現時点ではここゾゾの町に求めるしかない。町に一歩足を踏み入れたとたんに好奇の、あるいは値踏みをするような視線をあちこちから感じたが、一行は努めて無関心を装いながら目抜き通りを進んでいった。

 町の中心部と思われる広場の手前に、ひざまずいている人影があった。両腕に大きな包みを抱えているように見受けられる。その人物は、エドガーたちが真横を通り過ぎようとする瞬間にか細い声を上げた。

「旅のお方、どうかお慈悲を」

 先頭を歩いていたロックが足を止め、困ったようにエドガーたちを振り返った。

「お願いします……この子のために、どうか」

 雨の音に混じり、女性の声が哀れみを誘うように響く。その膝元には雨水のみが溜まっている空き缶が置かれていた。

 深くフードをかぶっているため表情は見えないが、すすり泣きに合わせてその人物の肩が震えた。腕に抱えているのは、こちらもまた顔は見えなかったが、布にくるまれた乳児だと思われた。

「……行こう」

 エドガーがかろうじて聞き取れるくらいの声でセリスが囁いた。エドガーも軽く頷いてロックを促す。複雑な表情をしつつも、ロックは頭をかきながら歩みを再開した。

「おいおい、待てよみんな」

 最後尾にいるマッシュに引き留められ、三人は再び足を止めた。

「少しくらいいいんじゃないか? 助けてあげようよ」

 そう言いながらマッシュは自らのかばんを探り始めた。

 その時、子どもを抱く母親の指先が淡い青の光を発し始めた。それとほぼ同時にセリスが叫ぶ。

「下がれ!」

 反射的にだろう、マッシュはその場から飛びのいた。時間にしてほんの数秒後に、マッシュが立っていた地に鋭い氷柱がそびえ立った。セリスが操る魔法とよく似ていた。

 女は先ほどまで大事そうに抱えていた包みを地面に放り投げると、両手の指先を合わせて詠唱を始めた。それを見てセリスは自らの剣をその場に突き立てる。直後、強烈な冷気が水たまりを凍らせながら地面を這う。それは剣をめがけてまっすぐ走り抜け、みるみるうちに刀身に吸い込まれていった。

 魔導士の女は舌打ちすると、長いローブの裾を翻しその場から走り去った。

 エドガーは彼女が座っていた場所にゆっくりと近づき、雨水に浸っている粗末な敷物の上にかがみこんだ。女が腕に持っていた包みを両手でそっと持ち上げる。何重にもなっている布をめくっていったが、中には何も包まれていなかった。

「……助かったぜ、セリス」

 唖然としながらも呟いたマッシュを、元帝国将軍は冷たく一瞥した。

「軽率な行動は慎むことだ」

「ああ悪かったよ。でもそのまま見捨てるなんてできなかったんだ」

 マッシュが苛立ったように応えることによって、先ほどとは異なる緊張感が漂った。内心苦笑しつつエドガーは二人のあいだに割って入った。

「結果的にみんな無事だったんだ、よかったじゃないか」

 とっさにロックが続けた。

「二人ともあまり気にすんなよ、マッシュがいなかったら絶対エドガーが引っかかってたから。やっぱりレディはほっとけないとか何とか理屈つけてさ」

「要らないことを言うな」

 とげとげしく返したが、軽口は場の空気を和らげようという友人なりの気遣いだとわかっている。エドガーと視線が合うと、ロックは軽く肩をすくめた。エドガーはかすかに口の端を上げ感謝の意を伝えた。

「ところでさ、どうするよ?」

 ため息をつきながらロックが話題を変えた。

「一軒一軒探すとなると相当時間かかるぞ」

 旅慣れた冒険家の目が荒れた街並みを見渡し、そして背の高い建造物の群れを見上げる。

 皮肉にも、ジドールの最下層を追われた人々はより標高の高い山地に移り住み、そこでさらに高層の建物を築き上げていた。強度や外観、利便性などは二の次で、ただひたすらに高さのみを追い求めて建てられたもののようにエドガーの目には映った。

「危険は増すかもしれないが、二手に分かれるか?」

 エドガーの提案に、ロックは少し考えた後頷いた。

「エドガーとマッシュは北側を頼む。俺とセリスは南を探してみるよ。ティナが見つかっても見つからなくても、またいったんここで落ち合おう」

「おやおや、私たちはお邪魔だったか」

「ったく、要らんこと言ってるのはどっちだっての……行こう、セリス」

 うんざりしたような顔を作ったロックと、あからさまに戸惑っているセリスをエドガーはにこやかに見送った。二人の背中が遠のいてからマッシュへと向き直る。

「さあ、俺たちも急ごう」

 マッシュはもの言いたげな目をしてエドガーを見つめ返してきた。口を開き何かを言いかけたが、結局発せられたのは「うん」という短い応答だけだった。

 

 ゾゾの住人の言うことは信用するな――事前にそのように聞いてはいたが、実態は想像以上だった。彼らにティナのことを尋ねても、返ってくるのは要領を得ない答えばかりで、有益な情報はほとんど得られない。結局は自らの足で地道に探索を進めていかねばならなかった。

 町はそれなりに高度のある山地に位置していて、空気も風も冷たい。そこに追い打ちをかけるように雨脚が急速に強まってきた。砂よけのための外套は水をはじくようにはできておらず、滝のような雨の前では一時しのぎにしかならない。たっぷりと水分を含んだ厚手の布地から、肌に触れている衣類へと雨水がしみていくのがわかった。

「なあ兄貴」

 轟音に負けじとマッシュが声を張り上げる。彼が指さす先には明かりの灯った邸宅が見えた。

「そこで雨宿りさせてもらおう」

 その言葉に従い、エドガーは建物の正面、立派なドアの前に立った。何度かドアノッカーを鳴らしても応答の気配はない。兄弟は顔を見合わせ、ゆっくりとドアノブをひねった。

 個人の屋敷なのだろうか、足を踏み入れた先は殺風景な広間になっていた。これといった家具や調度品は見当たらず、中央に巨大な柱時計が据え付けられているだけだ。しかも壊れているのか針は一向に動かず、時計としては役に立ちそうもない。

 明かりはついているものの人の気配はなく、誰かいないかと呼びかけても返事はなかった。雨が激しく窓を叩く音が広い空間に反響し、ひとけの無さを強調していた。

 不気味な場所ではあるが、少なくとも冷たい雨風が入ってくることはない。そのことにわずかながら安心する。ひと息つくと、濡れてまとわりつく衣服と装備の重みが突然全身にのしかかってきた。体を支えようとエドガーは壁に背を預けたが、結局地面に引っ張られるようにしてその場に座り込んだ。

「兄貴?」

 駆け寄ってきたマッシュが、焦りをにじませた表情で覗き込んできた。

「大丈夫か、兄貴」

 動くことで産生されていた熱が引いたためか、体が一気に冷えていくのを感じ、全身が細かく震えはじめた。これ以上の体温の低下を防ごうと、エドガーは水を吸って使い物にならない外套を脱ぎ捨てた。金属製の防具も外してしまって、両腕で自分の体を包むようにして背を丸めた。

「寒いだけだ。大したことない」

「あのな、それが命取りになることもあるんだって」

 不満もあらわに言いながらマッシュは辺りを見回していたが、出し抜けに雨に濡れた外套を脱いだ。身軽になってからエドガーの肩と背中に手を回して引き寄せてくる。マッシュの胸に上半身を預ける形となったエドガーは虚を突かれた。

「暖をとれるものがあればよかったんだけど、何もなさそうだから。これでガマンしてくれ」

 濡れた衣服越しでも相手の体温が伝わってくる。自分と同じく雨に打たれていたはずなのに、マッシュは温かかった。その体熱を感じることではじめてエドガーは自分の身がどれだけ冷えていたかを理解した。

 弟の体温を分けてもらってありがたく思う一方で、申し訳なさとくすぐったさも入り混じる。気恥ずかしさをごまかすように、エドガーは少し体を離してマッシュの顔を見上げた。

「これじゃあお前が冷えちまうぞ、風邪っぴきレネ」

 わざと幼い頃のからかいの愛称で呼んで、軽く頬をつまんでみた。血潮の通うマッシュの頬が冷えた指先を心地よく温める。

「ひかないよ、風邪なんて……」

 弟が唇をとがらせてむくれるさまに、思わず吹き出す。直後、仕返しとばかりに先ほどよりも強い力で抱き寄せられた。

 

 雨は依然として降り続いていたが、ここにたどり着いた直後と比べると勢いが弱まってきたようだ。マッシュに身を預けているうちにエドガーも少しずつ体温を取り戻し、体の震えが次第に収まってきた。

「あの二人は大丈夫かな」

 ふいにマッシュが呟いた。安心させるつもりで、エドガーは深く頷き答える。

「問題ないさ。ロックはあれで腕が立つし、セリスの実力はここに来るまでにじゅうぶんわかってる」

 しかしエドガーの意図に対し、マッシュは苦々しげな顔を作った。

「……ずいぶん買ってるんだな、二人のこと」

 どこか冷ややかな言いぶりにエドガーは戸惑いを隠せなかった。浮かんだ疑問をつい口走る。

「お前は……そうは思わないのか?」

 マッシュは何も答えない。

「おい、どうしたっていうんだ急に」

「なんでもないよ」

 きっぱりとした口調にこれ以上の追及を拒む意思が表れていた。マッシュの態度の変化をいぶかりながらも、エドガーはいったん引き下がった。

 しばらく、双方言葉を発することはなかった。今この瞬間だけ雨が再度強まらないかとすら考えていたエドガーは、居心地の悪さを払拭しようと話題を探し始める。

「そういえば――昔もこんなふうに雨宿りしたよな。親父にサウスフィガロに連れてってもらった時に」

 それはエドガーたちが九つかそこらだった頃のことだ。父王のサウスフィガロ視察に兄弟そろって同行したことがあった。しかしあいにく大雨に見舞われ、町の礼拝所で雨宿りをさせてもらったのだ。

「覚えてるか? 俺がだいぶ親父を困らせてさ……」

 雨のせいで思うように町を歩けないことにエドガーは不満を募らせ、さんざん父王に対し駄々をこねたものだった。なぜそこまで怒っているのかと当時父に聞かれた時は上手く答えられなかったが、今なら説明できそうだった。きっと、めったに遠出ができないマッシュとの外出を雨に邪魔されたようで、その苛立ちをぶつける先が欲しかったのだ。

 マッシュの口からも懐かしい思い出が聞けることを期待しつつ、促すようにして一度言葉を切った。

 しかし実際にマッシュが発したのは乾いた笑いだった。

「兄貴は昔話が好きだね」

 エドガーは思わずマッシュをまじまじと見上げた。視線の先にある弟の顔は懸命に笑みを作っているが、明らかに無理をしていた。それはコルツ山で再会した時もフィガロ城で杯を交わした夜も見ることのなかった表情で、エドガーの知らない顔だった。

 いったい何が彼にそんな顔をさせているのか、表情の意味するところが何なのかがわからなかった。対応するすべを頭の中ではじき出せなかったエドガーは、ただマッシュを見つめるほかなかった。

 マッシュはそんな兄の肩を軽く叩いてから立ち上がった。

「雨、結構弱まってきたみたいだな。ようすを見てくる」

 その言葉通りに玄関扉へと向かう弟の背中を、エドガーは黙ったまま目で追った。

 あの豪雨は一時的なものだったらしい。開いた扉の向こうでは雨はほとんど止んでいた。雲の隙間から太陽さえのぞいているようで外はやけに明るかった。その光の中へ、マッシュはゆっくりと踏み出していった。