魔大陸に乗り込む直前、エドガーの心境。コインについてちょこっと捏造あり
腹の底まで響くような轟音、そこに規則的な機械部品の活動音が重なる。場は熱気に包まれていて、蒸気機関は順調に稼働しているようだった。
飛空艇の心臓部に立ち入られることを、艇長である賭博師は当然好まなかった。が、エドガーは彼の目を盗んですでに何度か訪れていた。無機質で感情の入り込む余地のないこの環境を気に入っていたのだ。数種類の反復的な音のうちのひとつを選び、それに耳を傾ければ集中を高めてくれる。反対に何も考えたくないときは、あふれる音を漫然と聴いて頭の中を埋め尽くしてしまえばよかった。
ただ今回はどちらを意図してここを訪れたか、自分でもはっきりしなかった。誰もいないのをいいことにエドガーは大きくため息をついた。
かねてから感じていた彼の焦りや苛立ちを帝国城で指摘して以来、マッシュはそれを表に出すことをぱったりとやめた。そして表面上はこれまでと同じようにエドガーに接した。思いを抑えることができるのは強い精神力の表れではあるが――
エドガーは懐にいつもしまっているコインを取り出した。病床にあった先王から受け取ったものだ。エドガーの知る限りでは、父が双子の片方だけに何かを与えたのはこれが最初で最後だった。
このコインは、即位してからの十年のあいだエドガーの支えとなっていた。手に取るたびに、父、そして弟のことを思い出し、王座につくと決めた時の決意が昨日のことのようによみがえる。そうすることでどんな苦難も屈辱も乗り越えてきたのだった。
しかし今はエドガーの心を揺らす。マッシュと再会してしばらく経ったころ、なぜこの硬貨が弟ではなく自分に託されたのかと考えるようになった。いまだに納得のいく理由にはたどり着けていない。
――もしかすると、父にはすべてがわかっていたのだろうか。ふいに浮かんだ考えは背筋に悪寒を走らせた。マッシュの苦しみを間近で見続けてきたエドガーが決断を迫られたときにどうするか、何を捨てて何を取るのか、父は見通していたのではないか。考えすぎだと思いたかったが、確証を得るすべはもう永遠に失われて久しい。
仮にそれが事実だったとしても、エドガーは自らの選択を後悔はしない。
ただ、両表のコインでの賭けという詐欺師めいた手法が正しく弟のためになったかというと、すぐには答えを出せないのも事実だった。焦ってなどいないと明らかな嘘を伝えた声を思い返すたびに、良かれと思ってやったことは、弟の矜持を傷つける余計な行いだったのではないかという考えが膨らんでいった。謝罪しようにも、その過程で真実を打ち明ければさらにマッシュを苦しめる結果になると思えた。
その時、機関室のドアがきしみながらゆっくりと開いた。即座にその方向へ視線をやると、扉のすきまから顔をのぞかせている緑髪の少年と目が合った。
「エドガー! かくれんぼか?」
不思議そうに首を傾げるガウに、エドガーは肩をすくめ曖昧に答えた。
「まあ……そんなところかな」
「ガウとリルムもかくれんぼしてる。今リルムがさがすばん。まざるか?」
「もう仲良くなったのか」
出会ってまだ日の浅い子どもたちはすっかり意気投合したようだ。それ自体はいいことだが、とエドガーは苦笑いする。飛空艇の主がぶつぶつと文句を言っている場面が容易に想像できた。
「君たちがここで遊ぶと私がセッツァーに怒られるんだよ。他にも隠れられるところをたくさん知っているから、別の場所を教えるよ」
「でもここおいらが思いついたばしょ、ここがいい」
駄々をこねるように唸り声を上げたガウの背中を軽く叩く。
「あんまりしゃべってると見つかるぞ。いいのかい?」
ガウは飛び上がり慌てて口元を覆った。素直でわかりやすい反応にエドガーの気が緩む。思わず笑い声を上げると、きっと睨まれた。声を押し殺し、なおも肩を震わせながらエドガーはガウを促して機関室を後にした。
翌日、ブラックジャック号は空に浮かぶ大陸に向けて飛行していた。
魔力によって切り離された大地が、吸い込まれるようにして浮上していくのを見たのはつい数日前のことだ。その地へいち早く赴いたガストラの計略を止めることができるか否か、決着をつける時が刻一刻と迫っていた。
太古に封じられた強大な魔力が満ちている大陸では、何が起こるか全くの未知数だ。そのため、まずは一行の中から三人を送り込み、続けて他の仲間も乗り込む算段をつけた。最初の三人の中にはマッシュも含まれていた。
『兄貴は出ちゃだめだ、出ていくにしても一番最後じゃなきゃだめだ』――先遣隊に名乗りを上げたエドガーを止めたマッシュの声は、低く静かだったが、怒りに近い気迫をはらんでいた。エドガーも仲間たちも彼に反論できず、結局エドガーは飛空艇に残ることとなった。そして今、甲板で準備を進める三人の背中を見送ろうとしている。
セッツァーが舵取りをいったん操舵手に任せ、ロックとの打ち合わせを始めた。すぐにティナとマッシュも合流したので、段取りの確認だろう。
冷たい風が吹き付けエドガーの髪を揺らした。その一瞬のあいだ、エドガーは夜明け前の青白む空に覆われた砂漠にいた。チョコボに乗った弟の背中が小さな点になって、やがて見えなくなってからも見つめていたあの日の光景だった。その後年数を経てマッシュは帰ってきたが、今度はどうだろうか?
帝国に対する勝利を疑っているわけではなかった。ましてや自分たちがガストラやケフカの前に散るなどとは考えてもいない。それでも失う可能性は常に残るのだ。そう考えるといてもたってもいられなくなった。
マッシュ、ロック、ティナとセッツァーの短い話し合いが終わったところを見計らって、エドガーは悠然とした足取りになるよう注意しながら彼らのほうへと歩み寄った。
「失礼。ちょっとマッシュを借りてもいいかな」
マッシュは何度か目を瞬かせてからロックを見た。友人はどうぞ、とばかりに軽く手を振ったが、釘を刺すように付け加えた。
「もうすぐ着くから、長話すんなよ」
「わかってるよ」
マッシュを手すりのそばへと引っ張っていき、向き直る。マッシュは何かを言いたげに口元を動かしたが、すぐには言うことが見つからなかったようだ。少し待って弟が言葉を発しないことを確認してから、エドガーは切り出した。
「手を出して」
再び瞬きをして、マッシュは右手を開き上に向けた。エドガーは密かに手の中に隠していたコインを、厚い手のひらのくぼみにそっと乗せ、すぐさま握らせた。マッシュは握られたばかりの拳を開こうとしたが、エドガーがとっさに手を添えてそれを阻んだ。
マッシュが訝しげな視線を送ってくる。
「何だよ、これ?」
「これは……」
正直に言うことはできなかった。
目を閉じても、マッシュの射るような視線が肌に感じられる。深く息をついてからエドガーはまぶたを上げた。
「これは、俺にとって無くてはならないものだ。本来なら俺の部屋の宝箱にでも大事にしまっておくべきなんだが――」
冗談めかして、弟を見上げる。マッシュはエドガーの瞳の中に答えを探そうとしているようだった。
「お前に預ける。絶対に返せよ」
目を逸らしたくなるのをこらえて、エドガーは一息に言った。
マッシュはなおも探るようにエドガーを見ていたが、何かに気づいたように軽く目を見張った。その顔は少しずつ緩んでいき、ついには弾けるような笑顔を形づくった。
「わかった。すぐに返すよ……だからさ、王様がそんな顔すんなって」
エドガーの手の上に、厚みのあるあたたかい手が重ねられる。その温度に促され、エドガーはマッシュの拳を離した。マッシュは解放された右手をそのままポケットにつっこんで、今しがた預けられたものをその中に収めた。
「じゃあ……行ってくるよ、兄貴」
満面の笑みはすでに消えていたが、目元はまだ笑っていた。時間にして数秒ほどエドガーの顔に視線を置いてから、マッシュは踵を返した。
エドガーが打ったのは結局、逃げの一手だった。マッシュが気づかなければそれでよいし、気づいた結果厳しい追及を受けることになっても仕方ない。どちらに転ぶか、全て相手に委ねた。
ただ、真相を黙っていた不実を責めるために自分の隣へ戻ってきてくれるのならば、どんな言葉や感情だろうと、受け止める覚悟だけはできていた。