9. 君の中ではもう過去のこと?

瓦礫の塔突入前。諦めきれないマッシュの出した結論にエドガーはどう応じるか  
※ガウおめかしイベントと、フェニックスの洞窟攻略後のイベントへの言及あり

 

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 ファルコン号の甲板に出たマッシュは、冷たい外気に身をすくませた。濃紺の空、重たい雲の切れ間からかすかに星が輝いているのが見える。視線を空から移し辺りを見渡せば、探していた人物はすぐに見つかった。

「ガウ、そろそろメシにするぞ」

 歩み寄りながら少年の後ろ姿に呼びかける。背を丸め、膝を抱えているその姿が今はやけに小さく見えた。隣に立っても、ガウは空を見つめたまま何も言わない。

 マッシュはその場にゆっくりと腰を下ろし、あぐらをかいた。それからどれくらい経っただろうか、ふいに少年は呟いた。

「メシ、いらない」

 か細い声が、マッシュの胸を針のように刺す。

 ガウが彼の父親と対面したのは、つい数時間前のことだった。マッシュによる提案が発端で、仲間たちにも準備に協力してもらった。しかし結果として、再会は苦い後味を残して終わった。

 それでも、ガウは気丈に振舞った。実父が生きていた、それがわかっただけでも幸せだと言って、マッシュを責めなかった。

「……ガウ、俺……」

 少年の瞳がゆっくりとマッシュに向けられた。謝罪が口をついて出そうになる。しかしそうしたところでまたガウの優しさに甘えるだけだ。続く言葉をマッシュは懸命に飲み込んだ。

「なんでもない。それより、寒いから中入ろうぜ。メシは後でたくさん食えばいいさ」

 やせ気味の背中を数回、軽く叩いた。そのとたん寒さを突然思い出したかのように、ガウは全身を震わせ大きなくしゃみをした。軽く鼻をすすりながら少しきまり悪そうに見上げてくる。顔を見合わせた一瞬の間を挟んで、どちらともなく小さな笑いが漏れた。

 マッシュは立ち上がり、ガウに手を差し伸べた。少年はその手に頼ることなく身軽に立ち、船内へとつながる階段へと駆け出した。

「がう! マッシュおいてくぞ」

 途中振り返って声を張り上げたガウは、多少いつもの調子を取り戻したように見えた。少年の後を追って、マッシュも歩き出す。

 どんな事情があるにせよ、父親が自分のことを「化け物」とみなしていたと知った時の心境はいかなるものか、マッシュには想像もつかない。にもかかわらず、同じ空の下で生きていればそれ以上は求めないとするガウの思いに触れ、マッシュは感嘆するばかりだった。同時に、それは今のマッシュにとってはあまりに眩しい。己の欲深さが浮き彫りになるような気がするからだった。

 フィガロ城での一件以来、エドガーはこれまでと変わらない態度でマッシュに接し、「忘れろ」という自らの言葉に忠実だった。

 なかったことにしてくれるなと詰め寄りたかった。しかし実際にそんな兄を前にすると、声が喉につかえて、どうしても我を通すことができなかった。

 幾度かの離別を互いに生きて乗り越えた、それ以上に望むことなどあるだろうか。ガウの姿を見ているとそのような考えも浮かんでくる。

 それでも諦めきれないのは、あの日、突き放すような態度のわりにエドガーから明確な拒絶が感じられなかったからだった。そのことがマッシュを慰め、同時に苛んでいた。エドガーの本心がわからなかった。

 兄に調子を合わせるため、マッシュも何事もなかったかのように振る舞おうとしている。ただ、そのさまが仲間たちの目にどう映っているのかについてはあまり自信がなかった。

 

 堂々巡りのマッシュの内面とは裏腹に、仲間を求める旅は着々と進んでいた。不死鳥の伝説が残る洞窟でロックを見つけたことにより、ついに全員が揃った。

 その後コーリンゲン村で起こったできごとについては、マッシュは立ち会っていたわけではないので詳しくはわからない。ただ、ロックが探し求めていた魔石の性質と、かの村に眠っている人物とを照らし合わせれば、おおまかな想像はついた。

 ロックはセリスとともに、村の近くに停泊していた飛空艇に戻ってきた。皆に囲まれ明るく応じている姿は、マッシュからすればすっかり見慣れたトレジャーハンターだった。

 しかし出発の準備を整える段になって、特に気負うでもない調子のまま、ロックはセッツァーに切り出した。

「悪いけどさ、ファルコンを出すのもう少しだけ待っててくれないか。必ず戻るから」

 セッツァーは無言でエドガーに目配せをし、エドガーが軽く頷いたのを確認すると「戻ったら声かけろよ」と言い残しその場を後にした。ロックの背中を心配そうに見送るセリスにエドガーが声をかけているのが聞こえてきた。

「心配はいらない。ただ、少しだけ一人にしてやってくれ」

 ロックが戻るまでのあいだは飛空艇で待機することとなった。

 突如生じた空白の時間を手持ち無沙汰に過ごしていたマッシュはあてもなく艇内をうろついていたが、倉庫のドアが開いているのを見て足を止めた。ここには、飛空艇の整備道具や予備の燃料のほか、現在使っていない装備品の置き場所にもなっていた。

 開け放たれている扉の内側を覗き込むと、ちょうどリルムが鞘に収まっている細身の剣に手を伸ばそうとしているところだった。

「危ないぞ。なに遊んでんだ」

 白いケープに覆われた肩をびくりと跳ねさせ、リルムは振り返った。

「遊んでないよ、お手伝いしてたの」

 倉庫の奥からくぐもったセッツァーの声が聞こえてくる。

「その辺のものを手当たり次第にかぶったり巻き付けてたのは手伝いのつもりだったのか」

「どんな効果があるか調べてただけだもん」

 早口のリルムの足元には、帽子類や女性用のローブが散らかっていた。

「いったい何やってるんだ?」

「いらない装備をまとめてるの」

 マッシュの問いにリルムが答える。そこに、木箱や雑多に散らばる装備品をよけながら出てきたセッツァーが補足を入れた。よく見ると両手に盾を抱えている。

「ファルコンは機体が軽いぶん積載量も少なくてな。速さにも影響するから荷物はできるだけ減らしておきたい」

「もっとも……」マッシュの足元近くに盾を下ろしながらセッツァーは続けた。

「そもそもここまでの大所帯になった以上、大した違いは出ないかもしれないが……それでもやらないよりはいい」

「なるほど、まとめたやつは売りに行くんだよな」

「まあな。ニケアなら店屋も多い、全部はけるだろ」

 面倒そうに息を吐いたセッツァーに、マッシュは提案してみた。

「よかったら俺、これから行ってくるよ。コーリンゲンで全部引き取ってもらえるかはわからないけど、手放すなら早いほうがいいだろ」

「ちょうど、こいつらを運び出すのはお前の仕事にしようと思ってたところだ」

 休憩とばかりに腕を組み壁にもたれたセッツァーは、座り込んでアクセサリを物色しているリルムを見た。

「暇ならマッシュを手伝ってやれ、お嬢さん」

「見てわかんない? 忙しいの」

 リルムは顔も上げずに手の中の髪飾りを真剣に吟味していて、セッツァーの失笑を買った。

「ああ、いいよ。一人で充分」

 苦笑しながら、マッシュは売りに出すぶんの装備をまとめはじめた。

 

 コーリンゲン村には、小さいながらもそれなりの品揃えの武器店と防具店がある。持ち込んだ装備品はおおかた売れて、マッシュは受け取った売却金を自分の所持金とは分けてかばんに収めた。

 夕刻となり、薄闇に包まれる村ではあちらこちらの店や民家で明かりが点きはじめた。飛空艇へと帰る途中、明かりのつく気配のない家屋の横を通り過ぎようとしたマッシュは、その家の、枯れて植物の芽吹きも見られないような小さな庭にかがみこんでいる人影に目を留めた。何の気なしに、思い当たる人物の名を呼んだ。

「……ロック?」

 呼ばれて、人影はマッシュのほうを振り返った。

「なんだよ」

 暗がりで表情が見えづらいが、目だけは光っているように見えた。

「何でここにいる?」

 飛空艇で見せた明るさが噓のように抑揚のない声だった。マッシュは答えに窮した。一向に答える気配のないマッシュをどう思ったのか、ロックはふっと息をついた。

「まあいいや。ちょっと付き合え」

 そう言って半ば引きずられるように連れてこられたのは、村唯一の酒場だった。カウンター席に並んで座り、ロックは慣れたようすで注文を済ませ、マッシュも何か頼むよう促した。

「この一杯を飲んだら飛空艇に戻るから」

 隣の青年がそう言ったところで、店主がカウンターに二人分のグラスを置いた。置かれたそばからマッシュは自分のグラスを手に取り、沈黙を埋めようとした。

 別段渇いてもいない喉をマッシュが何度か潤したころ、ロックが口を開いた。

「いいかげん、決着つけなきゃな」

「決着?」

「塔の中でカミサマ面してる野郎と」

「ああ……そうだな。これ以上やつの好きにはさせられない」

「生きて帰れるかどうか、まさに『神』頼みってとこだな」

 自分たちが敗北する図を想像などしないので、あまり立ち止まって考えたこともなかった。しかし面と向かって言われると、明日も皆無事で生きているという保証はどこにもないのだと改めて思い知らされる。思えば、これまでの旅路でも薄氷を踏むような場面をいくつもくぐり抜けてきたのだ。

「お前さ、兄ちゃんに言いたいことあるんなら今のうちに言っといたほうがいいんじゃないの」

「えっ?」

 急に自分と兄が話題に上がり、マッシュは当惑した。

「さっきお前とエドガーが並んでるの見た時、変な感じがしたから何かあったのかと思ったんだ……違うならそれでいいんだけど」

 中身がほとんど氷だけになったグラスを回しながらロックは言った。

「後悔ばかりの人生なんて嫌だろ」

 

 ロックの言葉通り、一杯を飲み干してからすぐに飛空艇へと戻った二人を最初に迎えたのはエドガーだった。廊下で鉢合わせたエドガーは、驚きを隠さずに言った。

「もういいのか? それに、お前たちが並んでるのはなんだかめずらしいね」

「マッシュに遅いって急かされてさあ」

 マッシュが否定するまでもなく、エドガーは片眉を上げてロックを見た。

「ま、それは冗談として……」

 軽く咳払いをして、ロックは背筋を伸ばした。

「待たせたな。今度こそ、大丈夫だ」

「セッツァーのところに顔出せよ。セリスも……早いところ安心させてやってくれ」

「わかってる」

 短く応えたロックが走り去ってしまうと、狭い廊下には兄弟二人だけが残された。

「いつの間に村まで出てたんだな」

「まあな」

 なんでもない質問に当たり障りなく答えたのに、よけいにぎこちなさを感じてしまうのは自分が意識しすぎているからなのかとマッシュは疑問に思う。

「俺はみんなのところに行ってくるよ。お前は? 少し休むか」

「――兄貴」

 談話室の方向に体を向けようとしたエドガーを、マッシュは衝動的に呼び止めていた。

「その前に少しだけ、いいかな」

 兄は覗き込むようにして先を促してきたが、マッシュは首を振った。

「できればここじゃないところで」

 その瞬間、エドガーがわずかながら顔をこわばらせたのをマッシュは認めた。それでも声色は変わらなかった。

「なら、いったん部屋に行こう」

 ブラックジャック号がそうだったように、ファルコン号にもマッシュたちが休息をとれるような部屋がある。ただし機体が比較的小ぶりなぶん、部屋の広さも、マッシュとエドガーが入るとそれで目一杯になってしまうくらいだった。

「このあいだのことか?」

 先にマッシュを室内に通しドアを閉めたエドガーは、椅子にも掛けず本題に切り込んだ。閉じた部屋に場所を移したことで、エドガーの緊張がひしひしと伝わってくるようだった。

 後悔のないように――ロックとの会話を思い出しながらマッシュは深呼吸をした。言いたいことを完璧に用意できているわけもない。しかしもう後には退けなかった。

「あのとき……あのとき、俺、かっこつけてたんだ」

 時折詰まりながらも、はやる鼓動が舌を動かし言葉を紡ぎあげていく。

「兄貴を守りたいっていうのも、恩を返したいっていうのも嘘じゃない。本心だ。でも――」

 純粋な感情の面だけに着目すれば、至極簡単なことだった。

「もう離ればなれは嫌なんだ。兄貴の隣にいたいんだよ。同じものを見て、一緒に笑って……死ぬまで隣にいたいんだ」

 以前エドガーが言ったように、互いの立場がそれを許さないこともよくわかっている。ならばせめて明確な終わりが欲しかった。

「でもこんなのは俺のわがままだ。兄貴の望みに反するのなら何の意味もないんだ。だから、今ここで、はっきり俺を拒んでくれ」

 言い終えた時には、めまいがしそうなほど呼吸が浅くなっていて、全身が汗ばんでいた。

 この間エドガーはマッシュをずっと見つめながら聞いていたが、ある時点で目を逸らした。それがどこだったか、マッシュは必死に思い出そうとした。答えはすぐにエドガーからもたらされた。

「俺の望みか……」

 不思議な声の調子だった。張りつめた雰囲気はなくむしろ穏やかだ。なのに何か嫌な感じがした――暗く底の見えない空洞を覗きこんでいるかのような言い知れぬ不安があった。

「――わからないんだ」

 目を閉じたエドガーは、ゆっくりと首を横に振った。

「どうしたいか、どうしたかったのかなんて……わからないよ、マッシュ」

 エドガーはずっと変わらず昔のままだと思い込んでいた。

 しかしこれが、十年という月日と重責が彼にもたらした変化に違いなかった。そしてそのきっかけを作ったのは他でもない自分だ。

 その考えに至った時、マッシュの目に涙があふれた。まばたきで視界を晴らそうとしても、涙粒が絶えず頬を転がり落ちて、叶わなかった。

 立ち姿の輪郭だけを頼りに、マッシュはエドガーの腕を掴んで引き寄せた。抵抗なく預けられた体を両腕で抱きとめ包み込む。少し低い位置から、微笑む時の息づかいが聞こえた。

「なんでお前が泣くんだ」

 それは涙声とは程遠かった。

 しゃくりあげそうになるのをこらえて、エドガーの首筋に顔をうずめるようにしながら、背を丸めてさらに深く抱き込んだ。エドガーの両手が滑るようにして背中に回される。最初のうちはただ添えられる程度だった手のひらの熱が、徐々に衣服越しに染み渡ってきた。

「兄貴が……泣かないから……」

 ならば自分にできるのは代わりに涙を流すことだ。そのような趣旨のことを言いたかったが、喉の熱い塊に阻まれて声にならなかった。

「うん」

 首元のあたりでエドガーが頷く気配がした。相変わらず落ち着いたような声だったが、マッシュの背中にはエドガーの指先が強く食い込んで、痛いほどだった。