13. 僕は君で

何か事情が違っていたらお互い真逆の立場にあったかもしれない、そんな「もしも」と今について話をする双子。

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 城の衣装部屋は早朝からあわただしい。自分こそがその要因だとわかっていながら、マッシュは、その忙しさの中心に居心地の悪さを抱えながら突っ立っていた。

 世界に平穏を取り戻すための旅が終わり、マッシュは兄とともにフィガロ城へと戻った。

 以来初めて迎える国王生誕日、その祝賀式にマッシュも出席することになった。参加できる立場にないのではないかと、一度辞退したのだが、エドガーがそれを許さなかった。

 そして今日がその当日だ。

 王家の礼装に袖を通すのは十代の頃以来だった。当時の衣装は当然今の体には合わないので、この日のためにわざわざ採寸のうえ仕立ててもらった。

 複雑な構造の大がかりな衣装。それを衣装係の手を大いに借りながら身に着ける。

 ベルトを締め、心当たりがないがいつのまにか授与されていたことになっていたらしい勲章をいくつか胸元に着け、仕上げに鞘に収められた儀式用のサーベルを腰に下げた。

 仮に毎日この衣装を身に着けたとしてもきっと慣れることはないのだろう。拳法着の身軽さが早くも恋しい。

 しかしこれも務めのひとつだ、と自分を鼓舞したマッシュは、おかしいところがないか衣装係に確認してもらってから、エドガーの待つ隣室へと向かった。

 

「ほう、いいじゃないか」

 がたいがいいから見栄えがするね、と、弟の姿を目に入れたエドガーが穏やかな声で言う。

 あんなに相容れないと思っていたこの衣装も、その言葉ひとつで、そんなに悪いものでもないかもしれない――むしろ誇らしいもののように思えてくる。

 マッシュの頬が無意識に緩んだが、同じくらいの照れくささもこみあげてきてどうにも据わりが悪かった。面を軽く伏せたマッシュは、特にする必要のないカフスボタンの調整をしながら呟いた。

「きゅうくつだ」

「まあまあ、ものの数時間の辛抱だ」

「長いよ、数時間って」

 言いながら、マッシュはさりげなさを装って軽く目を上げてエドガーの方を見た。

 エドガーは腕を組みながら、なおもマッシュの全身を眺めているようだった。唇は機嫌よくなだらかな曲線を描き、瞳はやわらかく細められている。

 ふいに、その瞳が何かを思いついたように瞬いた。

 次いでエドガーは自らが身にまとっていたマントの留め具を外す。そのマントは、王のみが身に着けるとされているものだった。衣装から外された、深みのある青色のそれを無造作に持ち、エドガーはマッシュの背後に回り込んだ。

 今エドガーとマッシュが身に着けている礼装は、細かい意匠の違いはあるものの、構造的にはそう大きく変わるものではない。マッシュの衣装の肩の部分にも、エドガーのものと同様外套を留めることのできる部分がある。

 エドガーはそこにマントの留め具を取り付ける。群青色の王権の象徴をマッシュの体にまとわせた。

「いや、こういう未来もあったのかなと思ってね」

 マッシュのもの言いたげな気配を感じ取ったのか、エドガーは先回りして口を開いた。

「昔は見た目もそっくりだったし、王位継承順位だって正直あってないようなものだったろ。もしどこかで、何かが少しでも違っていたら……俺とお前の立場がまったく逆だったのかもしれないと思ってな」

 自分は、「マッシュがそうだったかもしれない姿」であると時々思うのだ――そうエドガーは独り言のように言った。

 マッシュは何と返せばよいかしばし迷う。とりあえずエドガーの言葉で気になった部分に食いついてみた。

「まったく逆ってことは、そうすると、『兄貴』が『俺』だったかもしれないってこと?」

 エドガーが軽く笑うのが背後から聞こえる。

「あるいは」

「それはどうかなあ」

 疑義をはさむマッシュに対し、エドガーはいぶかしむように声を落とした。

「どういう意味だ」

「兄貴、たぶんおっしょうさまの修行に耐えられないと思うぜ」

「そうか? 優しそうな師匠じゃないか」

「修行となると話は違うんだよ」

「この間サウスフィガロでお会いした時は夫婦で仲睦まじそうだったから、そんな印象がなかったな」

「確かに、おかみさん思いなんだよな。弟子には厳しかったけど……」

 と、そこまで来て、自分の言葉がきっかけではあるのだがだいぶ話が脱線してしまった気がする。マッシュはいったん軽く咳払いをして、軌道修正を試みた。

「まあ、とにかくだ。確かにそういう道もあったかもしれないけど、結局のところ俺は俺で、兄貴は兄貴だ。で、それぞれ今こうしてここにいる。俺はそれでよかったと思ってるよ」

 十年の修行を経る前の繊細で小さな「レネ」のままだったら、そのために犠牲になったものにばかり目が行って「よかった」とはとても思えなかったかもしれない。しかし今は違った。

「兄貴にはつらい思いをたくさんさせちまったけどな。でもそのぶん、これからはずっと隣にいるからさ」

 それから一拍間が空いた後、斜め後ろから感心したような兄の声がした。

「ずいぶんと立派なことが言えるようになったもんだ」

 その直後、背後に立つエドガーの手が、マッシュの髪を撫でてきた。

 撫でる、というのは優しすぎる表現かもしれない。遊びたいざかりの大型犬を満足させようとでもするかのようにマッシュの髪を乱暴にかき混ぜた、と言った方がより実態に即していた。マッシュは鏡を見なくても、整髪料を駆使して整えられた自分の髪が無残な姿になっていることがわかった。

「あのさ……この髪、だいぶ時間かけてセットしてもらったんだけど」

 予想しなかった「嵐」に巻き込まれたマッシュは呆れてつぶやく。

「大丈夫。まだ時間はあるし、腕利きの理髪師ばかりだからすぐ元通りにしてくれるさ」

 悪びれたようすのない返答に、そういう問題ではない、と不満を言おうとした。

 しかし、続いたエドガーの声を聞いたとたんに口にしかけた言葉は霧散してしまった。

「……本当に、立派になっちまってなあ」

 いつもからりと気持ちの良い晴天のようなエドガーの声が、今はほんのわずかに曇っている。どことなくしんみりと雨の気配がした。

 とはいえ、きっと、細かな粒一滴すら落ちることはない。今マッシュが振り向いてエドガーのほうを見れば、雨雲は何事もなかったかのように一瞬でかき消えて、また元の「晴天」が訪れるに違いなかった。

 だからマッシュはもう少しだけ、先ほどよりは穏やかに髪をすく兄の手を甘んじて受けることにした。まだそうするだけの時間はあるのだから。