「兄と弟」が入れ替わっちゃったマエドの話。いわゆる入れ替わりネタ……とはたぶんだいぶ違う。余談ですが、この設定のフィガロ兄弟に思いの外萌えてしまい、開いちゃいけない扉を開いた気分です
ファルコン号のおおよそ中央部にあたるこの場所は、吹き抜け空間になっている。
上層から階段で下った先に広がる大広間には、テーブルと椅子、それに座り心地のいいソファもいくつか設置されている。そこで作戦会議をすることもあれば、何もないときはお茶をしたりなど好きなように過ごすことのできる場所だった。
今、その一角においてエドガーとマッシュが兄弟二人のお茶会を開催していた。マッシュが淹れた紅茶をエドガーが満足気に口に運ぶ。いつもどおりの見慣れた光景だった。
しかしその会話に耳をそばだててみると。
「ああ、やはり兄上の淹れたお茶は美味しい」
ティーカップに口をつけた後、息をつきながらエドガーが言う。マッシュは自分のぶんのお茶をティーカップに注ぎながら朗らかに笑った。
「お前、このお茶が昔っから好きだもんなあ」
「兄上が淹れてこそ、香りも風味もこれほどまでに引き立つのです」
「いやあ、エドガーはほんと褒め上手だな。照れちまうよ」
エドガーの力説に、マッシュは指で軽く頬をかいて言葉通りの感情を示している。
――何かが、すごくおかしい。
強烈な違和感に襲われたリルムは、隣に立っているシャドウの装束のすそを引き聞いてみた。
「ねえ、なにあれ」
巷では冷酷な暗殺者で通っているらしいその男は、その肩書きに似合わず、かすかな戸惑いを見せた。
「俺に聞くな……」
シャドウもリルムもつい先ほど飛空艇に戻ってきたばかりなので、それはもっともだった。主人の当惑を察知したらしいインターセプターがしゅんと耳を垂らしている。
リルムは次に、自分たちより先にこの場にいたゴゴへと視線を移す。同じ質問を投げかけてみる。ものまね士は、リルムに軽く視線をよこした後に「俺に聞くな……」とつぶやいた。それがシャドウのものまねなのかゴゴ自身の言葉なのかはわからなかった。
「ああ、みんな戻ってたのね。おかえりなさい」
そこへ、セリスが階段を下りてやってきた。古びた革表紙の分厚い本を携えている。
「ただいま……ねえセリス、『あれ』はいったいなんなの?」
双子の兄弟の方向を見ながら疑問をぶつけると、セリスは深くため息をついた。
「ちょっと、困ったことになっててね」
一行は、今日は三つのグループに分かれて行動していた。フィガロ兄弟はセリスとセッツァーとともに洞窟の探索を担当していた。
その洞窟は、混乱の魔法を使いこなす魔物の生息地だ。そしてエドガーとマッシュは運悪くその混乱魔法にかかってしまったのだとセリスは言う。
「でも、その後すぐにセッツァーが魔物を倒したの。だから特に問題ないと思っていたのだけど……」
精神に影響を及ぼす魔法はやっかいではあるが、術者が息絶えればその効果も消える。よって、通常であれば、双子にかかった魔法もその時点で解けるはずだった。
しかしどういうわけか、魔法の効果は完全には切れていなかった。
ごく限られた一部の記憶――具体的には、「エドガーが兄でマッシュが弟」という記憶に関してだけ、依然として、兄弟二人の中で混乱が生じているようだった。その結果、今の二人の中では「マッシュが兄でエドガーが弟」という認識になっているらしい。
「治そうと思ってセッツァーと私でいろいろ試したんだけどダメで。ティナに手伝ってもらって、ストラゴスから本も借りて、魔法自体についても調べてみた」
セリスは手元の本に視線を落とす。この本は、よくよく見ればリルムの身に覚えがあるものだった。サマサにある自宅の本棚に並んでいた大昔の魔導書だ。祖父がいつの間にか飛空艇まで持参していたようだ。
「でも……今のところ全部空振り」
もうお手上げだとでも言うようにセリスは首を軽く横に振った。
ふむ、とリルムは腕を組む。なかなかやっかいな事態に巻き込まれてしまっているようだ。当人たちは相変わらず二人だけの世界でティータイムを大いに楽しんでいるようだが。
その時、話を一緒に聞いていたモグが頭を傾げた。
「ボクには、あまりいつもとの違いがわからないクポ」
「ええ? あんなわかりやすいのに」
リルムはつい口を挟んだ。モグはその言葉を否定はしなかった。
「呼び方とかが違うのはわかるクポ……でも、なんというか、二人の『あの感じ』はまったくいつもどおりな気がするクポ」
いつもと異なる言葉づかいや逆転している立場についつい意識が向いてしまうが、言われてみれば、確かに本質は変わっていないかもしれない。お互いのことが大好きな双子の兄弟である。
「……確認だが、影響が出ているのは互いに関する認識のみということか? その他の人物や、現状の認識についての混乱は生じているのか」
今までずっと黙っていて、話を聞いているのかいないのかもわからなかったシャドウがここで口を開いた。セリスは驚いたように少し目を見張りながらも、判明していることを説明する。
「記憶の混乱が顕著なのは今のところその点に関してのみね。それ以外のこと――たとえば、この旅の目的とか、『エドガーは今のフィガロ王』っていうような自分たちの立場なんかについては、正常に認識しているみたい」
ただ、どこまで影響が及んでいるかについてはまだ全部わかっていないためこれから確かめるところらしい。傍らで聞いていたロックが、なるほどね、と相づちを打った。
「じゃあ、どのへんまで影響が出てるのか今確かめてみようぜ」
言って、意気揚々とエドガーに呼びかける。
「ようエドガー。お前のリボンとこのバンダナ、交換してやろうか」
フィガロ王は振り向き、冒険家を一瞥する。そして器用に片方の口角だけを上げた。
「いいだろう、このリボンに見合う品性をお前が身につけたらの話だが。いつになることやら」
「ほう、俺に対してはまったくもっていつもどおりなんだなあ……」
額に青筋を浮かべたロックは、今にもつかみかかりそうな勢いでエドガーに詰め寄った。
「ロ、ロックどの、おさえておさえて」
フィガロ兄弟の隣のテーブルで談笑していたカイエンが慌てて立ち上がり、血気盛んなバンダナ男をなだめている。その間エドガーは、つんと明後日の方向を向いていた。
その一連のようすを、マッシュは実にうれしそうに眺めていた。
「友だちができてよかったよな、エドガー」
心底そう思っていることがうかがえる穏やかな声だった。「弟」は慌てて立ち上がり、反論する。
「兄上、こいつは決してそういうのじゃないんです。全く、断じて、まるきり違います」
「そこまで言う?」
「……なあ、ちょっといいか。ロック」
そうまで否定されるとさすがにへこむ、とげんなりしていたロックは、急にマッシュに呼ばれてたじろいだようだった。
「お、おう。なんだよ」
すっと真剣な表情になったマッシュは、ロックを真正面から見据えた。
「こいつにはな、俺の身勝手で相当な苦労をかけたんだ。十年前に俺が城を出て、エドガーが即位してから、気軽にものを言いあえるヤツなんてそういなかったと思う……だからお前がエドガーの友だちになってくれて、本当に良かったと思ってるよ」
この一連の言葉から、過去のできごとの記憶においても「兄と弟」の認識だけがきれいに入れ替わっているらしいことがうかがえた。
それがわかったのはいいが解決方法は見当もつかない。むしろ、完璧な入れ替わりが発生しているという事実に、解決の困難さを突きつけられたようにも思えた。リルムとセリスは顔を見合わせ、ため息をついた。
そんな二人をよそにマッシュは、「弟の友人」に対して眩しいばかりの笑みを浮かべた。
「ありがとう。これからもエドガーのこと、よろしくな」
「あ、はい、アニウエサマ……」
ロックはなぜか背筋を伸ばしてかしこまった。
その横で、エドガーは片手で顔を覆ってうなだれている。指の間から覗く肌が若干色づいているように見えなくもなかった。
「頼むからやめてください、兄上」
「いいじゃねえか、こういうことはちゃんと言葉で伝えなきゃ」
からからと笑ったと思ったら、それにしても、と急に不満そうに唇を尖らせる。この表情のすぐ移ろい変わるさまはいつものマッシュと同じだ。
「お固いよなあ、『兄上』だなんて。しかも敬語だし。別にみんなの前だからってそこまで気にしないでいいのに」
「皆の前だからこそです。あまりにくだけた話し方では示しがつかない」
「二人きりの時みたいに『兄さん』って呼んでくれりゃ嬉しいんだけどなあ」
マッシュがにやにやと「弟」の顔を覗き込む。そんな「兄」から顔をそむけたエドガーは、伏し目がちに呟いた。
「それは、ちょっと」
「なんだよ? ちょっと恥ずかしい?」
「そ、そうではなく……」
また、二人だけの世界に突入してしまったようだ。
今回リルムを襲ったのは違和感ではなく、なんとも言葉にしがたい感覚だった。この、無性に背中がもぞもぞして、いてもたってもいられない感じは、いったいなんなのだろうか。
もやもやとしたものを吹き飛ばそうとばかりに、リルムはあーあ、と声を上げた。
「ウーマロに頭ぶん殴らせれば元に戻るかなあ?」
名を呼ばれて、この間ずっと部屋の隅で脇目もふらず彫刻制作に取りかかっていたウーマロが顔を上げて反応した。
「それは、やめてあげたほうがいいかも」
双子の隣のテーブルについていたティナが困ったように眉を下げる。同席するストラゴスもそれに賛同した。
「下手したら頭が吹っ飛ぶゾイ……」
「俺たちも色々試したうえでこのザマなんだ、もうほっとけ。そのうち治る」
セッツァーのどこか投げやりな声が飛んでくる。ソファの一つを悠々と占領している彼は、めずらしくやや疲れた表情でグラスを傾けていた。この状況を解決しようとして試行錯誤したのだと先ほどセリスが言っていたが、確かに、遠くを見るような目からは奔走の跡がうかがえた。
「でも、治らなかったら?」
「それはそれでいいんじゃねえか? 見ろよ」
セッツァーが顎で指し示す先に再度視線を移してみる。
マッシュは相変わらず目元を緩ませ、ほおづえをついてエドガーの顔を見つめていた。対するエドガーは、マッシュにからかわれて困ったような表情を作ってはいる。しかし、本当に嫌だとか迷惑などと思っていないことは一目瞭然だった。
「二人ともそうといえばそうなんだけど……特にエドガーが幸せそう」
リルムの感想をティナが代弁した。確かに、普段「兄」としてふるまっている時よりも、今日は多彩な表情を見せているように思えた。
腕を組んで状況を見守っていたセリスも独り言のように呟く。
「……正直、あれ以外に影響が出ていないなら、旅に支障はないといえばないのよね」
確かにこれで二人は幸せなのかもしれない。
だからといって、この状況は「正常」ではなく「異常」であるのだ、そのままにしておいていいものなのだろうか。むしろ、大人こそそういうことをちゃんとしたがるものではないのか。リルムは呆れ果ててしまった。
「薄情な人たちだなあ……ねえ、ガウ」
「うう……?」
もう一台のソファにのびのびと寝転んで、今は夢と現を行き来していたらしいガウに声をかけた。
「大人は頼りにならないから、こうなったらリルムたちがやるしかないわ。あの二人をもとに戻してあげよう」
ソファから身を起こし、ガウは首を傾げる。
「もどす? でも、どうやって」
「結局は混乱魔法のせいなんでしょ? だったらきっと魔法じゃ治らない。ならやっぱり、物理的な方法しかないと思うの」
「無駄だ、無駄」
「もう、傷男は静かにしててよ!」
外部からのやじをリルムはぴしゃりとはねつけた。
そして、腰にかけたポーチから柄の太い絵筆をガウに渡す。彼はそれなりに力があるので、素手で力が入りすぎてしまうよりは道具を介した方が安全だと考えたのだ。
「……ほらガウ、これ使って。これで筋肉男の頭をこつんとやるのよ。リルムは色男の方をやるから。筆が折れない程度の力でね」
「こつん、とだな。わかった」
絵筆を受け取りながらガウは頷いた。そして練習のつもりなのか、絵筆を構えては振り下ろす動きを何度か試している。想像以上に鋭く風を切る音がしているが、たぶん、大丈夫だろう。
「いい? さん、に、いちで行くからね。あまり強く殴ったらだめだよ」
囁きながら、双子の背後にじりじりと近づく。兄弟は相変わらずお互いのことしか見ていないようで、這いよる子ども二人に気づいたようすはない。
リルムとガウは視線を合わせ、うなずきあった。
「さん、にい、いち……」