2. 変わった、いや変わってない…やっぱり、変わったな

レテ川を経てたどり着いたナルシェで、ロックとマッシュの合流を待つエドガーたち(※分岐シナリオのティナ編終了直後くらい)。全体的に過去捏造炸裂してます。

 

本文表示きりかえ

 軍事国家のガストラ帝国では、文官の地位は一般の兵士にすら劣るといわれている。

 今エドガーの目の前にいる帝国からの使者は、官僚組織の中ではそれなりの肩書きを持っている人物だ。しかし、国全体で見たときの実質的な権力の面では有名無実に等しいと聞く。そのような立場の者を遣わすあたりに、帝国にとってのフィガロの価値がうかがい知れた。

「このたびは陛下へのお目通りが叶い光栄に存じます。かようにご挨拶が遅れましたこと、どうかご容赦賜りたく……」

 玉座の前にひざまずき頭を下げながら、中年の男が慇懃に口上を述べる。その後ろには、まだ年若い護衛の帝国兵が一人だけ控えていた。

 エドガーが王の座を引き継いだ後、同盟国から公式に使者が送られてきたのは今日が初めてだった。前王の死より数ヶ月が経過していた。訪問が遅いのではないかとこぼす者も城内にはいるが、エドガー自身は特に気にしていなかった。まだ早いくらいだとすら思っている。

 未だ慣れない玉座の据わりの悪さを、ひじ掛けに張られた革の感触を指で確かめることでごまかしながら、エドガーは言った。

「構わない。むしろ、ご覧の通りまだ国を挙げて服喪中なんだ。前王を亡くした国民の悲しみは計り知れず、癒えるまでには時間がかかる」

 この場に控えている大臣とフィガロ兵は全員喪章を着けている。エドガーの胸にも、今は黒の喪章があった。

「本日うかがったのはその件でございます。皇帝陛下から直々に言付かってまいりました」

 顔を上げて胡乱げに眼球を動かしてから、使者は眉をひそめた。

「戴冠式はいまだ執り行われていないと聞き及んでおりますが、いつまで喪に服されるおつもりで?」

 衝動的に、エドガーは立ち上がっていた。緊張した面持ちで身構えた臣下たちとは対照的に、帝国の使者は涼しい顔で続ける。声には憐れみのようなものが入り混じっていた。

「――といった具合にガストラ皇帝も陛下を案じておられます。お辛いことと存じますが、エドガー様はまだお若い。前向きにお進みいただきたいという、皇帝陛下のいわば親心でございます」

 握りしめた拳の内側で、爪が皮膚をえぐった。どこまで前王――父を、この国を愚弄すれば気が済むのか。喉元まで出かかった叫びをエドガーはすんでのところで飲み込んだ。

 使者いわく、わざわざこうしてエドガーに伝えることの背景には、実務的な事情もあるのだという。帝国としては、正式な手続きにのっとった事実のない者を国の首長として認めるわけにはいかない。つまりかの国からすれば、戴冠式を経ていないエドガーは、厳密に言えばいまだ王権代理の立場にすぎないのだ。以上のような旨を彼は平然と述べた。

「ガストラ皇帝は同盟の合意事項の見直しを検討しておられます。それには国の首長どうしの協議が不可欠……それゆえに陛下の一刻も早い『即位』が望まれているのです」

 もはや怒りすら感じなかった。これ以上何を言っても無駄だと判断したエドガーは、今にも「客人」に斬りかかりそうになっている兵たちに、矛を抑えるよう手振りで命じた。

「……わかった。その件については、後日私から皇帝陛下あてに書簡を送ろう」

 使者は緩慢な動作で頭を下げた。

「お願い申し上げます」

 用は済んだ。早くフィガロから去ってもらおうとエドガーが口を開きかけた時、来訪者はすかさず「もう一点お話が」と付け加えた。

「出奔者は見つかりましたか」

 動揺を悟られないよう、エドガーは簡潔に答えた。

「捜索中だ」

 実際には追手など放っていない。むしろ、それらしき人物を見つけても黙殺するように城の者には言い含めてあった。

「さようですか。難航しておられるのでしたら、わが帝国は貴国への協力を惜しみません」

 目の前の男は、唇だけにしらじらしい笑みを乗せた。

 帝国が城を出たエドガーの弟にこだわる理由は、見え透いている。世界各地の例に漏れず、サウスフィガロにおいても地下組織リターナーの構成員が細々とではあるが活動していた。帝国はそれを疎んじているのだ。仮にも同盟国であるのに、リターナーの存在を把握しながら彼らを反乱分子として罰しないエドガーに明らかに業を煮やしていた。

 ならば王の肉親を利用し国内を混乱させようというのがおおかたの狙いだろう。そうでなければ、より直接的に、弟の身の安全を盾に要求を突きつけ意のままにさせようとしてくるかだ。

 エドガーは立ち上がり、再度こうべを垂れた使者に歩み寄った。見下ろす先に差し出されている頭部とそれを支える首は、防具を着けておらずまったくの無防備だった。

 なぜ自分は今、帯剣していないのだろう。醒めた頭で考えながらエドガーは静かに言った。

「皇帝陛下に伝えてくれ。これはわが国の問題であり、王家の問題でもある。貴国の貴重な人員を割いてもらうには及ばない、と」

 

   ◆

 

「――エドガー?」

 呼ばれて、意識が引き戻された。視線の先にあったのは暖炉の中で燃え盛る炎だった。

 エドガーは、斜向かいに座っている、自分を呼び戻した声の主を見た。ティナは軽く首を傾げて緑色の髪を軽く揺らした。

「どうかしたの」

「いや、少し考えごとをね」

 ここナルシェでリターナーの活動の指揮を執っているのはジュンという老人だ。エドガーたちは彼の自宅に身を寄せていた。

 立場上待たなければならない場面は多いが、じっと待っているのはどうも性に合わないとエドガーは思う。待つよりも自分が動く方がよっぽど気楽だった。今も、エドガーたちは待っている。危険を承知でサウスフィガロに潜伏し工作活動を行っているロックを。

 そして、もう一人――

「あの」

 ためらいがちな声が、再度エドガーの思考を中断した。

「さっきから顔色が悪いみたいだけど、寒いの?」

 場所を代わったほうがいい? 暖炉に最も近い席に座っている少女の申し出に、エドガーは笑顔を作って首を振った。

「ありがとう、でも大丈夫。本当に何でもないんだ」

 言外に、これ以上の詮索は無用とほのめかしたつもりだった。しかしティナは退かなかった。

「いいから、言ってみて」

 彼女の言葉にしてはやけに語気が強い。エドガーは驚きを取り繕うのも忘れてティナの顔を見つめ返した。彼女がなぜこうまで頑なになっているのかわからなかった。

 エドガーの表情をうかがったティナは、一転して自信を失ったように目を伏せた。

「……ごめんなさい。わたし、間違えた……?」

 それを聞いて、エドガーの中に一つの仮説が浮かんだ。彼女はサーベル山脈での自分の振る舞いを真似ているのかもしれなかった。ここに至るまでの道中で、「普通」の振る舞いがわからないとこぼしていた彼女が、試行錯誤の一環で発してみた言葉だったのかもしれない。

 これは単なる思いつきに過ぎないが、もし実際にそうなのだとしたら、自らの言動が後になって返ってくるこの少女はまるで鏡だ。エドガーは苦笑した。

 その時、二人の目の前に、無骨な陶器のカップが置かれた。

「二人ともナルシェの寒さは不慣れだろう。体を温めなさい」

 顔を上げると、バナンが目元を緩めながら二人を見ていた。その右手には湯気を立てるカップ、反対の手には小さなトレーがあった。

「わざわざ申し訳ありません」

「なに、ジュンが淹れたものを運んだだけじゃ」

 恐縮するエドガーに応えながら、バナンはティナの隣の椅子に掛けた。ゆっくりとカップの中身を口に含み一息つくと、ちらとエドガーのほうを見た。

「弟のことが心配かな」

 観念して、エドガーは力無く笑った。

「隠し通せませんね」

 マッシュの無事は兄弟であるエドガーが一番良くわかっているだろう――レテ川でのバナンの言葉を信じていないわけではない。自分よりも大きく成長した姿を目の当たりにして、そしてどれだけ強くなったかもすでに知っている。

 しかし心のどこかで、泣いて丸まっている弟の背中がちらついていた。エドガーにとって、兄弟であるということは互いの信頼の根拠であることには違いなかった。ただ同時に、十年前そのままの兄と弟の関係性を思い出させる呼び水でもあった。

「今だから言えることだが――」

 バナンはカップを置き、卓の上で両手を組んだ。重いまぶたの下で光る鷹のような目がエドガーを射抜いてきた。威厳のある風貌と相まって場の空気を緊張させる。

「フィガロを陣営に引き入れるため、リターナーは種々の策を用意していてな。そのうちの一つはおぬしの弟が絡むものだった」

「マッシュが……ですか?」

「うむ。端的に言えば、フィガロの民衆の支持を集めるための偶像に仕立て上げるつもりだったのだ」

 薄ら笑いを浮かべる帝国の使者の顔がちらついた。臓腑が鉛のように重くなる。エドガーは軽く面を伏せ、努めて冷静に応えた。

「そう、でしたか」

「ロックには何も言っておらんよ。あいつが知ったらおぬしに話さずにはいられないだろう。これは他の策が不首尾に終わって、おぬしとの協力関係を築けなかったときの最後の一手だった」

 どこか硬かったバナンの声が、そこで少しやわらいだ。

「しかし、今のマッシュ殿はそのような作戦を決して許さないだろう……それどころか、自ら立ち上がるほうを選ぶかもしれん。ともに戦ったのはわずかな時間だが、そんな意志の強さを感じたよ」

 エドガーはゆっくりと顔を上げた。バナンの鋭い眼光は鳴りをひそめて、今は穏やかな表情がエドガーをとらえていた。庇護の対象を見つめるようなまなざしは、エドガーがもうずいぶん長いこと忘れていたものだった。

「わしと同じようなものを感じ取ったからこそ、おぬしも『自分で何とかしろ』と口走ったのではないか? その直感を信じなさい」

 何と返事をすればよいかわからず、エドガーは黙りこんだ。

 確かにマッシュは変わった。それも彼にとって良い方向に。しかし、深く根を張っている記憶を一時の直感が完全に塗り替えたかといえば、そこまでの実感をエドガーはまだ持てていなかった。

 それは自分が十年前から変われずにいることの証左のように思えた。マッシュの成長を自分の目で見て理解したはずが、結局、弟に対する自分の認識はそう簡単に改められるものではないようだった。

 その理由として考えうるものに思い至ったエドガーは、ため息をつきたいような気分になった。幸せだったころの記憶との食い違い、変わったものを確かめるのが怖いのだ。

 

 しばしのあいだ、薪の爆ぜる音が部屋に響いていた。

 その間をどう解釈したのか、ふいにティナが口を開いた。

「マッシュは大丈夫。絶対に、大丈夫」 

 エドガーへの励ましとは別に、自分に言い聞かせる意図もあるのだろう。断定的な言葉と釣り合わず、語尾ははかなく消えていった。それは切な願いを託した祈りのようにも聞こえた。

 その不安定さは、不思議とエドガーを落ち着かせた。要因は異なっていても、不安に揺れている少女の心と、現在の自分の心境とに共鳴する部分があったのかもしれない。

 エドガーは頬を緩ませ、ティナに頷いてみせた。

「そうだな。なにしろあいつは強いからね、熊みたいに」

「あ……」

 ティナは目を泳がせて軽くうつむくと、気まずそうに両手の指先を合わせた。急にはにかみはじめた少女を見て、バナンが不思議そうに片眉を上げる。

 小さく笑って、エドガーはまだほんのわずかに湯気が立っているカップを口に運んだ。ミルクと砂糖をたっぷり含んだ温かい茶が、冷えきった体をゆっくりと解かしていった。