野宿が続いた後の久々の宿というのは、いいものだ。
俺は、ガードにあてがわれた部屋に入るなりベッドに駆け寄って、勢いよく飛び込んだ。まだ風呂を浴びていないが、そんなことはどうでもいい。いつも通り同室のアーロンが苦々しく何か言っていたが、それも気にしない。とにかく疲れを癒やしたかった。
沈み込むマットレスに体の重さが吸い取られていく感じが心地よくて、思わず大きく息を吐いた。そのまま寝返りを打って、横向きに寝転ぶ。
しばらくして、寝っ転がる俺の背中にじっと注がれる熱視線。とりあえず気づかないふりをする。
しかしそれからさらに時間が経っても、穴が空きそうなほど見つめられるばかりで、俺の方が先に音を上げてしまった。
「なんなんだよ? さっきから」
勢いをつけて起き上がり振り返ると、驚き半分ばつの悪さ半分といったところか、微妙な顔をしたアーロンと目が合った。視線を反らすのが間に合わなかった、と表情が語っている。
「ジェクトサマになんか用か? あ?」
「いや……」
凄んで詰め寄ると、ひとこと言ったきり顔を背けてだんまりときた。そんな若造にため息が出てしまう。
そりゃあ、なんでもかんでも口に出して言うのが正解とは思わない。なによりそれは俺の美学にも反する。だからといって、ただ見つめられているだけでは、何を望まれているのかわからず困る。
アーロンはわかりやすい方で、今もなんとなく察しはついてはいるのだが、とはいえ。
ベッドから降りて、テーブルを挟んでアーロンの向かいにある椅子を引き、ふんぞり返って座った。
「言いたいことがあるなら言え。そうせにゃわからんこともあるぜ」
「……なんか、あんたが言っても説得力がないな」
うるせえな、と反論したいところだったが、そうしづらい事情があった。
俺とアーロンの、互いに対する感情。仲間に対する純粋な信頼や親愛とは、どこかが違っているように思えた。
それを言葉で確かめる行程をすっ飛ばして、行為でもってなしくずしにこの関係に持ち込んだのは俺だった。「この関係」というのは、キスして、触りあって……まあ、そんな関係だ。
お互い純情少年というわけでもない。いい年した者どうし、言葉より先に体が来るような即物的な関係に至ることだってあるだろう。そう俺は思うのだが、この純朴青年のお気には召さないらしい。それでも、結局決定的な言葉は無いまま今日まで来たのだった。
そんな事実があるのは俺だってわかっている。でも、アーロンの呟きをそのまま認めるのも面白くなかった。そこで、少し意地を張ってみる。
「言わない方がかえって情熱が伝わることもあんの」
「どっちなんだ、矛盾してないか?」
「場合によって使い分けんだよこういうのは。ったく、ゼロかイチかで考えるとこがほんっとカタブツだよなあ」
「……」
不満を隠そうともしない渋い表情がおかしい。こいつに対してだけわきあがるいたずら心が、頭をもたげた。
「しゃあない、そんなアーロンのために俺様が手本を見せてやろう」
ありがたく思いな、と口の端を持ち上げる。
身を乗り出して、何かを言いかけた唇にキスを落とした。何回か軽く吸って唇の感触を楽しむ。上唇を食み、最後に軽く音を立てて鼻先に。
こんなお遊びのようなキスでとどめたのは油断させるため、わざとだ。
それから、眉を寄せているアーロンの耳もとで、声のトーンを下げて、めいっぱい熱を込めて囁いてやる。
「……アーロン」
誘いのつもりなら、視線を送るだけじゃなく、これくらいはしてもらわないと。
そう考えていた次の瞬間、無遠慮に顔を掴まれ引きはがされる。体のバランスを崩してテーブルの上のグラスを倒しそうになり、少し焦った。
「おい何すんだコラ」
「おまえこそ急に、な、何を!」
にらみつけた先にある顔は、哀れなほど赤い。そこではじめて、何か思い違いをしている可能性に気づく。
「……もしかして、違った?」
俺としては、あの視線はかなり遠回しな夜のお誘いだと思っていたのだが、違ったのだろうか。
アーロンは、違う、とはっきり言って、こちらをじとりとにらみ返した。
「俺はただ、」
言いかけて、急に口をつぐむ。それからアーロンは軽く目を伏せた。
「……いや、もういい」
そんなことを言われると気になって仕方がないのに、肩透かしを食った気分だ。思わず軽く舌打ちする。
「んだよ、めんどくせえ……」
ぼやく合間に、アーロンの目が再度ゆっくりと上げられて視線が合った。そして俺は、その先に続けようと思っていた言葉を忘れた。
アーロンの目が、言葉よりもよっぽど訴えかけてきたからだ。
俺としてはからかうだけのつもりだったさっきの行動が、はからずもアーロンに火をつけてしまったらしい。
「……だから言わねえとわかんねえっつっただろ」
もう一度身を乗り出して、顎を掴んで、お遊びではすまないキス。アーロンは今度は拒まなかった。